大阪経済大学 17歳からのメッセージReport2001

大阪経済大学 17歳からのメッセージReport2001 page 12/40

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大阪経済大学 17歳からのメッセージReport2001

21世紀はやっぱりインターネットの時代である。今や最新の情報はなんでもインターネットから取り入れるようになっている。世間でもだいぶパソコンが普及してきて、小さい頃からパソコンとふれ合うような時代になっている。しかし、そうなってくると子供は外で遊ばないようになる。そして当然目も悪くなってくる。これは大変だ。そのうち世間はメガネをかけた人間で覆い尽くされるだろう。文明などは発展するかもしれないが、運動などはからっきしダメになってしまう。オリンピックが楽しめなくなってしまう。それは困ったものだ。?メガネ屋は笑いが止まらないかもしれないが、若い戦力が欲しい阪神タイガースにとっては涙ものである。しかしこれが現実である。メガネがこの日本を占領するのである。メガネ帝国万歳。オリンピックなどの楽しみはすべてフレームのなかに閉じこめられてしまう。メガネがキラリと光る。メガネ屋のおやじのニヤケ顔がレンズに反射して映る。?IT革命。コンピューター社会。メガネ天国。頑固おやじ撲滅。阪神万年最下位。横分け七三。まだまだ悩みは尽きない。しかし、将来、生まれた頃からコンピューターと向き合ってきたその知識がたくさん詰まった頭でこの不安を解決してくれることを祈る。?10年後、僕のメガネのレンズにはどういった世界が映っているのか…。?尼崎市立尼崎高等学校(兵庫県)祈浩昭さん?提言21世紀の社会について?日本は世界的にも高齢化が急激に進み、その結果、色々な問題が起っている。それは、高齢者一人を何人で「支えるか」、つまり「何人の若い人が高齢者の面倒を見るか」ということである。ここで問題になるのは「高齢者が誰といっしょに住み、誰が生活の面倒を見るか」である。それは今後、ますます同居率が下がり、高齢者に対する家族の役割機能が低下すると予想されるからである。家族の役割には、「経済的な助け合い」、「病気や寝たきりになった時の身の回りの介護」、「精神的(こころ)安定」が主に考えられる。「経済的な助け合い」と「病気や寝たきりになった時の介護」については、年金制度の充実や介護保険制度の導入等によって、ある程度カバーできるかもしれない。?しかし、高齢者の「心の問題」に関しては、お金で解決することのできない「大切な何か」が存在する。それは、家族自体の問題であり、私たち個人の「心構え」とでも言うべき問題かもしれない。?21世紀の少子・高齢社会を考える時、高齢者がひっそりと老後を過ごすのではなく、社会を構成する重要な一員として、共に生きがいを持って暮らせる社会づくりを進めることが大切であると思う。?そのためには、私たちが新世紀の社会を担うということを自覚し、地域社会等と連携・協力してボランティアやNPO等の活動に積極的に参加するなど、共生の福祉社会づくりに貢献しなければならないと考える。?済美平成高等学校(愛媛県)?河内未央さん?21世紀の少子・高齢社会における若者の役割?私の将来の夢。それは、絵本作家になることである。しかも、ただの絵本作家ではない。絶対に、コンピューターという現代社会の先頭をきっていくような機械は使わない、手書きの絵本を描きたいのだ。?私が、そう思った理由というのは『時代の中にある、流行という波にのまれたくはない。そして、もし自分が、その中の一人になってしまうと、自分らしく生きられないかもしれない』と、感じた一瞬があったからである。?人からどんな目で見られようと、どう思われようと、私という存在がある限り、私は、自分の道を進んで行きたいと切望する。コンピューターという、どこの国から来たのか分からない訪問者は、日本を、世界を、そして私達、人間をも飲みこんでしまうかもしれないが、そんな恐しい闇に包みこまれてしまう前に、私は明るい絵本を人々に広めたいと思う。手書きのぬくもりと、やわらかな絵の具の色を、清らかな人の心の中の奥底まで、浸み込ませたい。?それが私の描く、未来という絵本の一ページ目になるのである。?県立大分雄城台高等学校(大分県)?続ちさとさん??自分の夢??老後の生活を保障することがどれほど大切なのか強く感じました。この事を私は帰国後も忘れず、改善されるようにできる限りの事をして、がんばりたいと思います。?大阪朝鮮高級学校(大阪府)?李珠奈さん?私の本名は李珠奈。でも、私には通名といって仮の名前があります。それは「松田」と言う名字です。私はこの2つの名前を時と場合によって使い分けています。なぜかというと、周りの目が恐いからです。最近は少くなったものの、朝鮮人に対する偏見はあるのです。でも、私は日本人がみな、偏見をもっているのではないという事を習字の先生や生徒さん達から、教わりました。私は習字に入った頃からずっと本名で行っていました。でも、先生は私になんの偏見も持たず、普通の子供と同じように接してくれました。生徒さん達の中には私の名前を見て不思議に思う人達もいましたが誰一人、私の名前を見て笑ったり、バカにしたりする人はいませんでした。?私はここで朝鮮人だからとかじゃなくて一人の人間として、書いた作品が認められることをすごく嬉しく思います。名前とか民族の違いなどと言う小さな問題にとらわれない新しいよりよい社会に変えていきましょう。?10提言21世紀の社会について?