17歳からのメッセージReport2002

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17歳からのメッセージReport2002

9銀賞「平和」について深く考えたことがない。戦争をしていない国、食糧があふれるほどある国、勉強ができる国。これらを平和と言うのだろうと考える程度だ。戦争をせずに、ただ毎日が穏やかに過ぎていることが平和だと考える。皆がそのようにして生きている。私もだ。だが最近私は、自分の中にある平和を壊して生きてみたいと思っている。朝おきて、朝食をすませ学校へ行き、そして家に帰って夕食をすませ寝る。毎日同じことの繰り返し。同じことをやっている人は世界中にいる。自分が漫画の一コマにおかれている気がする。決して主人公にならない今の自分がいる。でも、壊すために何をやるのか分からない。本当に壊してしまうと今までの大切なものが失われてしまう気がする。自分が自分でなくなるような気がする。壊したいが恐くてできない。そんな矛盾した中にいる自分が嫌になる。本当に壊してしまう自分がいるのか不安になる。どうしたらいいのか分からなくなる。「今まで」の自分、この題は自分にとって辛いものだと思う。これを表現するには、思い出したくもないような出来事を記憶の根底から探し出してこなければいけない。そんな風に、苦しみつつ省みなければならない少年期だったおかげで、今の「多少多重人格気味」の性格が出来上がってしまったのかもしれない。実際、そんなに悪くいう程の物ではないのだが、やはり他人に対して仮面をかぶって生きて行くのは厭だ。だが治そうとしても治らないのだから仕方ない。問題なのは、やはりこれからのことだろう。かぶった仮面を、自らの顔として生きて行くのか否か。そう、残りの人生が今の僕の物になるのか、僕でない僕の物になるのかが、現段階における一番の不安要素なのかもしれない。「未来のために」という言葉があります。その後に続く文句はさまざまですが、私はあまり好きではない言葉です。単に私が計画性のない怠け者だからなのかも知れませんが、「将来のために努力する」とか「未来のために学習する」などと聞くと、よくそんな正体不明なもののために頑張れるなあ、と思ってしまいます。未来は今の自分にとって、全くの暗闇です。たまにおぼろげに想像することはあっても、自分がバリバリ働いている姿なんて思い浮かびません。だから、私は今、「今のために」生活しています。今、楽しい。今、笑える。今、泣ける。どれも、「未来」よりも素晴らしいことだと思います。今までのどんな時期よりも充実している毎日です。今を生きたい。今のために。それが「今」、私が思うことです。私は自分の生き方を今までとか、これからというふうには、はっきり分けたくない。人間は急には変われないものだし、今までという言葉はどうしても悲観的でこれからというものには理想をつめこんでしまいがちだ。私はこういう区切られたものは好めない。目に見える目標ももちろん必要だけど、何か身体の底から、無意識に人に訴えかけられる人間になるのが私の今まででこれからだ。たぶん一生、完璧にこの思いを達成するのは無理だけど、なるべく近くまで行ってみたいと思う。ようは直感的に、何か匂いみたいなもので、人や物事を嗅ぎわけたい。私も人と顔を合わせた時、自分をうんと表現できる、そんな匂いをしっかり持っておきたいのだ。少しカリスマ性という言葉と似ているかもしれない。その匂いの中でも人を安心させられる、私の中で究極な匂いを持つのが、漠然としたこれからの自分の生き方になるのではないだろうか。ああ、臭い。くさい、クサイ。私の体から人間の臭さが出ている。木も、鳥も、風も、空も、こんな臭においは発しないのに。人間が、クサイ。時々無償に嫌になる。人間の臭さが、人間という物体が、私が人間としてこの場所に存在しているということが。何も変わりはしないのに。私がここに存在していても、いなくても。いつもと同じように、陽は昇り、沈む。時計の針は、止まろうとさえしてくれない。それが日常。でも私は十五年間人間として存在してきた。そしてこれからも存在していく。例え、体が腐敗しても、やめない。それはきっと、ここに、この場所に私の好きな物があるからなのだろう。それによって私は、この場所にかろうじてつながっていられる。私の体が人間の臭においを発していても、ここにいられる。あぁ、臭い。くさい、クサイ。まったく、私の体は何でこんなにも人間臭いんだ。現実の中で生きているよりも、本を読んだり、想像をしたりして、虚構の中に生きている方が幸せだ。現実は必ずどこかものたりない、もしくはどこか余分で、理想が実現することはまずない。その点虚構は現実とは違い、変化に富みドラマチックで、時には理想が満たされることもある。何よりも、無責任でいられる。小さいころは、錯覚かもしれないが、今より幸せだった。その時はその時で、何かしら不満はあったろうが、今よりは無責任で、とりあえず、夢を見ていれば良かった。今はどうだろう。確かに大人、もしくは未来の自分から見れば、無責任で自由かもしれない。しかし、あきらかに何か足りないのだ。私の将来の理想は夢と現実との境のないようなある意味嘘臭い虚構の世界で満たされ、ただよっていることだ。この考えは、苦労を知らない現実から逃げている子供の戯言だろうか、それとも、老化現象であろうか。おれは、留年しました。なんで留年せんとあかんねんとか思ってました。なぜ留年したかというと、日頃の授業態度とか、すぐにキレて帰ったり、昼登校したりしていたからです。おれは留年した。友達もいっぱい留年して、元同じ中学校のK・T君はおれがこの高校にさそって入ったとても仲がいい友達でした。その子は、留年して、やめてしまいました。おれは、いろいろな人にた日生学園第一高等学校(三重県)三保谷真奈さん今のために府立嵯峨野高等学校(京都府)芳中友香里さん身体の底から感じる匂い県立岐阜総合学園高等学校(岐阜県)小川優香さん今までの自分、これからの自分県立知立高等学校(愛知県)酒井敦仁さん今までの自分、これからの自分府立嵯峨野高等学校(京都府)山内梓さん私という人間府立嵯峨野高等学校(京都府)酒井峻さん子供の戯言府立園芸高等学校(大阪府)中村雄馬さん今までの自分、これからの自分1テーマ今までの自分、これからの自分101点?