17歳からのメッセージReport2002

17歳からのメッセージReport2002 page 13/32

電子ブックを開く

このページは 17歳からのメッセージReport2002 の電子ブックに掲載されている13ページの概要です。
秒後に電子ブックの対象ページへ移動します。
「電子ブックを開く」をクリックすると今すぐ対象ページへ移動します。

概要:
17歳からのメッセージReport2002

銀賞訳じゃない、しかし強い願いが一つある。叫びたい事がある。それは自分の存在の確立だ。「僕はここにいる。誰の真似でもない。誰にも真似できない自分だけの自分がここにいる。誰かの役に立ち、誰かと共に生きるため」消える何かを追いかけて、失われた何かを追い求めて僕は今日も道を歩く。戻る事などできはしない。歩きたい道は一つじゃない。しかし僕の道はただ一つだ。全てを心に刻みこみ僕は今日も道を歩く。想いを貫くために。貪欲でありたい。貪欲ではありたくない。もっと高く。もっともっと高くありたい。一般的に「貪欲」という言葉に良いイメージなど持たない。むしろ意地汚い言葉としか思われない。けれどそれは違う。少なくともそれは違うと言いたい。届きそうで届かない高さだ。手を伸ばしただけでは届かない高さ。ジャンプしてみる。それでも届かない。試行錯誤を繰り返す。踏み台を見つけた。とても重い。必死で動かした。やっと届いた。その時きっと笑うことが出来る。子供の様なことだ。しかし大人も変わらない。もっと高い場所を狙う。それは罪か。そうではない筈だ。つまり貪欲とはそれと同じだ。誰もがそうだ。「高み」を狙っているんだ。そのために努力するのが「貪欲」の真の価値ではないのか。貪欲でありたい。貪欲ではありたくない。目一杯努力して貪欲でありたいんだ。私は。もうすぐ十八年目の夏がやってくる。変わらない暑さの中、僕をとりまく環境は大きく変わっていく。この夏が終わった頃、友人たちは既に目標に向かって歩き出しているだろう。その時、僕はどうしているのだろうか。今、一つの目標がある。でも、はたしてそれは本当に僕がしたいことなのだろうか。三年生になり、いやがおうにも進路という人生の半分の過ごし方の決定を迫られて「なんとなく」で決めてしまったものではないだろうか。それでもそれは、ただ時計の針が進むのを眺めていた日々とは違い明日を生きる確かな意志を与えてくれた。他人と意見をぶつけ合うこともせず、己が主義を隠し、無関心と無気力を装い、なにげない一言で人を傷付けてしまった記憶から家族とさえも距離をおいていた過去。ゆっくりとだが確実に変わっていった日常。将来、僕が日常と呼ぶのはどんな世界だろうか。私は、中3も半年過ぎた頃和歌山の学校へ転校してきました。転校してきた頃、私は人見知りで誰にも話しかけられず、話しかける必要さえないと思っていました。まわりは、転校生しかも言葉もちがうという事でめずらしいのかすぐ話しかけてきて、仲良くなった子もいました。話してみると、それまで「ノリ」とかちがうなぁと思っていたのが一緒なんだなぁと思い、私が勝手に壁をつくっていたのかなと思いました。でも、正直私は人はそんなに信用できるものだと思ってなく、それは今でもあまり変わりません。私はこれからたくさんの人と出会うと思うけど、今までの私なら話す必要がないと思い、受け入れないでしょう。でも、自分の壁をとりはずせば少しは自分の入れる場所があるし、自分も受け入れていかなければならないと思います。そして私は、その時々の時代を受け入れながら大人になりたいと思います。私がこの世で最も信用できない人々のように今と昔との変化に気づかないふりをしている大人にはなりたくないから…そういう人がたくさんいるこの学校でこれからの私が見えました。スベテヲ否定シテシマエタラ、ドンナニ楽ダロウ。小さい頃に経験したことは楽しい事ばかりではなく、悲しかった事や、つらいことがたくさんあったのかもしれない。楽しい事ではなく、そんな事ばかり思い出してる自分にうんざりする。大人はもっとそれらを経験して生きているのだろう。あれは大人ではなく、”大人ごっこ“をしている子供達ではないのかと思う。大人というだけで、もう子供のように守ってはもらえず、自分で生きていかなきゃならない。人間だってただの生物で、子孫を残して死んでいくだけなのに「社会」という固まりに縛られている。大人にはなりたくないってだれもが一度は考えることだと思う。でも生きている限り体は成長して、「社会」という物体が認める大人になるだろう。でもそれは外見だけの大人だ。心は子供のままで生きている。大人というレッテルを貼られて生きていくなんて、やはりつらいだけなのだろうか。否定シテシマウノハ簡単ナ事デアル。受ケ入レルコトガ難シイ。歩キ出スノハモット難シイ。それでも、「嫌だ」なんて思いつつもみんな大人になっていくのだろう。そこには楽しい事だけじゃなく、悲しい事やつらい事があるのかもしれない。悲しみは作りたくないけれど、ここで”死“というものに出会ってしまうと、悲しみ以外のものにかかわらないままで終わってしまうから。トリアエズ進ンデミマス。それでいいと思う。私は今、高校へ通っている。しかし、本当は学校なんて行きたくない。できることなら今すぐにでも辞めてしまいたいというのが本音だ。今の日本社会は間違っていると思う。いい大学を卒業していい会社に入社できれば人間として立派だ、という考えだ。つまり、肩書きだけの社会だ。それで一生が幸せかと聞かれると、決してそうではないと思う。かといって幸せになれるという保証もない。「普通の生活」を続けていれば、不幸になることもないが、人以上の幸せを得ることもできない。それでいて、「本当に幸せか」とか「生きていて嬉しいの」と聞かれても、答えは出せない。私は今の日本社会の考え方は嫌いだ。しかし、そう思っていながら不安という言葉に負けて、自分の思いや考えを行動に移せない自分はもっと嫌いだ。なんとかして、この嫌悪から抜け出せないかと、今も苦しんでいる。「今までの自分、これからの自分」よくあるテーマだ。僕はこのテーマで何度も作文を書いた覚えがある。そのたびに「今まではできなかったけど、これからは頑張る!」などといった目標を書く。しかしその目標を達成した覚えは一度もない。いわゆるその場限りの目標だ。決してハードルが高いわけではない、自分自身がやろうとしないだけなのだ。「中学校では、部活ばかりで勉強ができてなかったので、高校では部活も勉強も頑張ります!」高校入試で誰もが言うであろう決り文句だ。しかしほとんどの人が実行できていないだろうと思う。ようするに僕達はうそをついたことになる。だから僕はこ11県立出石高等学校(兵庫県)尾中純一さん貪欲である価値県立伊都高等学校(和歌山県)和田崇さん新緑の季節県立鳥取商業高等学校(鳥取県)河内春菜さん今までの自分、これからの自分三田尻女子高等学校(山口県)重宗美沙さん嫌い!!県立高松商業高等学校(香川県)早川昌秀さん今までの自分、今までと同じ自分和歌山県の県立高校匿名希望これからの私