17歳からのメッセージReport2002

17歳からのメッセージReport2002 page 15/32

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17歳からのメッセージReport2002

銀賞ができ、それを取る手術をしたのだ。手術の前日、私は見舞いに行った。彼女は常に明るく元気だった。私は病室で何を話そう、暗くならない様にと不安な気持ちを隠していた。いざ病室に入ると以前より肌の白くなった彼女がいた。私は緊張のあまり汗が出ていた。沈黙の後彼女は「来てくれて有難う」と言った。誰もがとは思わないが、私はこんな風に言えない。そして別れぎわ彼女は「手術頑張る。退院したらバスケやろうね」と言った。私は一生この言葉を忘れない。忘れたくない。その後、彼女は入退院を繰り返し何度も大きな手術をした。そして去年の七月、十四歳という若さでこの世を去った。単に明るい彼女だと思っていたが、彼女には私にない強さを持っていた。彼女の強さが私にはうらやましく輝いて見えた。そしてその強さを自分のものにしたいと思った。「あんたも同じように壁つくっとるからやに」高校に入ってすぐ、友達ができないことを相談していた時に親友から言われた言葉だ。「みんなピリピリしとってイキっとってなんかすごい壁つくっとって嫌な感じ」とグチっていた私に発せられたその言葉に、私はハッと我に返らされた。まさにその通りだった。友達ができないのは周りのせいでなく、まだ何も知らない出会ってすぐの人を外見だけで判断し、この人とはあいそうにないとか、苦手とか、勝手に決め込んで自分のからに閉じこもっていた私のせいだったのだ。それから私は先入観を捨て、なるべくたくさんの人と話す様心がけ、その結果、多くはないが何人かのとても気のあう友達ができた。それもこれもあの一言のおかげである。あの時、慰める様な言葉しか言われてなかったら…と思うと、私にとってこんなに大きな一言を与えてくれた親友にとても感謝している。これ以外にも、私は今までに、いろんな人からたくさんの大切な言葉をもらってきた。その一つ一つを忘れずに、また、私も誰かの為になる様な心からの言葉を一人でも多くの人に与えていきたいと、そう思う。「自分の側に誰がいるか」を考えた。親、友人、兄弟、先生など、いろいろな人がいる。その人たちの中で一番近くにいてくれて、大切にしてくれる人は誰なのか。少し考えてみた。私の中では、一番母が側にいると思う。私は子供の頃から体が弱くて、病院にも通っていた。私が発作を起せば、すぐに駆け付けてくれる。母は、どんなに忙しくても病院に連れてってくれる。その他にも、私が困っていたり、何か悩んでいたらすぐに気が付いて相談に乗ってくれる。いつも優しさが詰まったボールを投げてくれる。私はその母の愛で、今まできている。しかし、私はいつも、その愛を受けとるだけで、返そうとしたことがない。これからは、少しずつ返していきたいと思う。母が投げた愛を「ありがとう」というボールに変えて、母に返したいと思う。いつも、口では言わないけれど、母が悩んでいたり、泣いていたり、困っていることとか母のいろいろな面を私は知っている。その時は、私がボールを投げる番だと思う。母が私にしてくれたように、相談に乗ったりしてあげたいと思う。これからも、母とのキャッチボールを続けていきたいと思う。目の前には視界の端まで湖が揺れていました。油絵のような群青色と銀色の世界に、私は心ごと全部のみこまれてゆくようでした。向かい風が強く吹いていた夏の終わりでした。あの人は、優しくて正直で表現の下手な人でした。元サッカー部のくせに野球部の主将で、私はあの人のマメの潰れた固い手の平が大好きでした。あの人が誕生日にくれたレフトスタンドへのホームラン。金属バットの鋭く伸びた音が、記憶の深い所から胸のあたりへ今も響いてくるのです。花火はたくさん火薬を残したまま燃え尽きてゆきました。人は、向かい風には苛ついて、何とか辿り着こうと前だけを見て進んでゆくのに、追い風には気づかず、ただ水のように流れてゆきます。大切なことは何でしょう。あの人はいつも私の肩を抱いて優しく話しました。お布団の心地でした。穏やかな追い風が吹いていました。私はその風に気づかず甘えすぎた贅沢な私でした。「知らない人とは話しちゃだめなのよ」小学生の私の頭の中には、いつもこの言葉がありました。電車の中でも下を向き、いつも本を読んでいました。肩に背負っているランドセルが、私を守ってくれる大きな武器でした。でもある日、私の目に大きな手と小さな飴が飛び込んで来ました。顔を上げると、知らないおばちゃんが微笑んでいました。私は飴を受け取り、おばちゃんと何気ないおしゃべりをたくさんしました。武器を振り回していたのは私だけでした。みんなは温かい目で13なれるから。人のやさしさに感謝してね。感謝をなくしたら、幸せを逃してしまうから。誰よりも幸せになってね」。目が覚めるとボロボロ泣いていた。悲しいんではない。それは私の心の死への憎しみを消してくれた夢だから。「祖母は確かに死んだ。きっとこの夢は祖母の私への気持ち。祖母が最後まで私に望んだこと。だから私は、祖母に恥じない生き方をしたい」。「死」って何だろう。「別れ」ですますのはさみしい言葉。だから私はあえて「死」を「一からの出発」と表現したい。その人のいない世界で、でもその人の心を胸に秘め、力強くあるいていくことだから――。私は学校が嫌いだった。勉強とか、上下関係とかではない。ただ単に人と接触する事を心の底から拒んでいる自分がいた。小学校、中学校と二度の転校を繰り返し、その度転校生を対象としたイジメから逃げる事は出来なかった。イジメの原因は小さな事だった。「方言が違う」「ジャージが違う」本当に小さな事だった。しかし、私には「人と違うこと」がとても重く感じた。そしていつからか、「友達なんか絶対にいらない」と強がってばかりいて誰にも近づこうとは思わなくなった。しかし、そんな自分が寂しかった。切なかった。それから数年経ち、今はもう高校三年。私は今、毎日が楽しい。そして、友達の存在の大きさを実感している。人と接触することの苦痛を消してくれたのは自分のすぐ身近にいる友達なのかもしれない。そして彼女がいるから私は毎日こんなに幸せなんだろうと思う。今や、私にとって友達は「自分の敵」ではなく、「私の光」になった。たった一人の気分次第で私は学校が嫌いになり、たった一人の力で私は学校の楽しさ、友達の大切さを知った。人間の心ってなんて複雑なのだろう。私はまた光を見失ったり、また新しい光を見つけたりするのだろうか。高校に入学し、三年目。私自身、何も成長していないのかもしれない。しかし、確実に少しずつ何かが変わってきている。私は学校生活で光を見つけた。そして今、自分に光を与えてくれた彼女のように自分も誰かに光を与えられるような人になりたいと思う。あなたは人間の真の強さを感じたことがあるだろうか。これからつづる話は私自身の宝であり、私を変えた出来事である。私が中学二年の時、幼なじみの子が長期入院をした。脳に腫瘍県立志摩高等学校(三重県)橋爪希美さん私の側にある愛県立国際情報高等学校(滋賀県)今江友香莉さん穏やかな追い風同志社高等学校(京都府)田英子さん人とのふれあいの中で・・・県立宇治山田高等学校(三重県)江川智恵さんことば県立下伊那農業高等学校(長野県)久保田智恵さん十二年目に見つけたもの県立大垣桜高等学校(岐阜県)勅使川原麻里さん幼なじみから