17歳からのメッセージReport2002

17歳からのメッセージReport2002 page 16/32

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17歳からのメッセージReport2002

私を見てくれていました。下しか見ていなかった私は、この優しいきっかけで初めて、自分の周りのさまざまな風景に視界を広げることが出来ました。窓の外を流れる川・雲・空。そして車内の温かい人々の顔。私は時々、闇に住む自分が目覚める。人は誰でも心の中にさまざまな顔を持っている。楽しい顔、嬉しい顔、苦しい顔…人とのふれ合いの中でそのさまざまな顔の使い道を分け、使い回している。私の場合、その闇に住むもう一人の私が目覚める時は、只単純に夜中、一人で何もない空を眺めている時に、フッ…と出てくる。闇に住む私はとても攻撃的で、この世の『生』のつく全てのものが憎く思えるのだ。それは、生命の輝きや明日への輝きといったキラキラしたものとはずいぶんかけ離れ、まるでそこには何も始まっていなかったかのような『無』のままの状態で、全てを壊したくなるのだ。自分の命さえも……別に何か不満があるわけでもない。周りには友達だっているし、家族だっている。でも、そんな毎日の中にどこからか不安が芽生え、その訳の分からない不安と普段の日常との間に生まれる矛盾が、私の心の中の孤独を誘うのだ。そんな日の夜は決まって腕を切った――。私にとってのその行為は、平常心を保つ為の薬のようなものだった。溢れる血は『イノチ』を覚えさせ、感じる『イタミ』は不安を掻き消していくように思えた。ダラダラと過ぎる日々に飽き飽きして、身の周りで起こる裏切りや混沌に疲れていた。そんな時、友達の存在が助けてくれた。一番『友達がいてよかった…』と思ったのは、「一人で悩まないで…もっと自分の身体大事にして…」と、私の代わりに泣いてくれた友達がいた事だった。私に支えてくれる友達がいるうちは、たぶん闇に住む私の顔が表れる回数は減るだろう……人の決められた命の長さの中で、私がどれだけ『生きていたい…』と願うのか分からないけど、なるべく多く『生』への執着を持ちたい。自分のために…大切にしたい人のために…「あっ!」そう言った瞬間、私の隣の自転車からドミノ倒しの様に順々と倒れていき、私は大きな溜息をつきながら倒れた自転車を一つずつ起こしていると、「大丈夫ですか?」と、私と同い年くらいの女の子が話し掛けてきましたが、その後は一言も話さずに黙って手伝ってくれました。全ての自転車を起こし終えると、女の子は何も言わずに走って行ってしまい、私はお礼も言えずにただ呆然と立っている事しか出来ませんでした。後に残ったのは、女の子に一言「どうもありがとう」と言えなかった後悔の気持ちだけでした。それから数日後、後悔の気持ちを心の隅にひきずったまま学校に向かっていると、途中の駅の階段でおばあさんが重そうな荷物を持って上っていたので、私は「よければ、お荷物持ちましょうか?」と聞くと、おばあさんは笑顔で「ありがとう。ごめんなさいね」そう言うと、申し訳なさそうに荷物を渡し階段を降り終えるまで「ありがとう。ありがとう」と、何度も何度もお礼を言ってくれました。私は、すごく嬉しい気持ちになった反面、数日前の女の子の事を考えていました。顔も知らない、名前も知らない女の子なのに黙って手伝ってくれて本当に感謝の気持ちでいっぱいなのに何も言えなかった自分に腹が立ちました。しかし、その女の子がいたからこそ私は何のためらいもなく行動が出来たと思います。もう、永遠に会えないかもしれないけど本当にどうもありがとうと伝えたいです。久しぶりに行った母の実家で、祖母と二人、散らし寿司を作った。なんと二日がかりで。一日目は、祖母と山菜採り。ぜんまい、椎茸、蕨に筍、後は家で下ごしらえ。山菜がこんな手間を経て食卓に並ぶとは知らなかった。二日目は、細かく刻んだ山菜と高野豆腐、こんにゃくなどを煮て、酢飯と一緒に混ぜるのだ。私がパタパタうちわで扇ぎ、祖母が手早く混ぜていく。つんと香る酢の匂い。横にはさっき焼いた薄焼き卵が香ばしいごま油の香りを漂わせている。最後の仕上げは祖母秘伝の隠し味。自家製柚子に浸したちりめんじゃこ。お箸でぱくりと味見をしたら、なんと、母のお寿司と同じ味。びっくり眼の私にニコニコ顔の祖母の声。「あんたのお母さんに料理を教えたのもばあちゃんじゃきねえ」。祖母から母へ、それから私へ。血が受け継がれたように、料理も受け継がれていく。しわだらけの祖母の手は、限りなくあたたかい。私は自分の存在を信じている。十六の秋、私の頭の中はぐちゃぐちゃだった。何処にいても何をしてても「私じゃなくても平気」という声が頭に響き、自分が消える感覚に襲われた。体重は激減し、最も「消えて」しまう学校も休みがちになった。家では私の不出来さに嘆く親の言葉が私を消した。そんな中、部活の演劇を通して知りあった二人とよく遊んだ。一人は小さな劇団をつくっている七歳年上の男性、もう一人は服作りが趣味の十歳年上の女性。自分の意見をしっかり持った個性的な人達で私は彼らが物凄く好きだ。初めて消える感覚のことを話したとき、二人は静かに聞いてくれていた。それまで誰にも言えなかった。伝え方も知らなかった。話し終わると彼女が「消えへんよ。ウチが覚えてる」と言った。涙があふれ出て戸惑う私の瞼や額に彼は黙って軽くキスしてくれた。誰が私を否定しても見ていてくれる大切な人達が居る。私は今、ここにいる。「夏越せないかもしれない」という母の言葉が祖父の死を意味すると悟った時、私は戸惑いを隠せずにいた。悪性リンパ腫。離れて住んでいるため詳しい病状はわからないが、日に日に悪化しているようだ。春休みに母と二人で家を訪ねた。既にやせて肉が落ち、細い両足で体を支え、おぼつかない足取りで歩いていた。去年までの元気な姿と眼前の、一際小さくなった祖父の姿が交錯する。あまりの変容に、私は放心状態の日々を送った。祖父や介抱に疲れた祖母を元気づける為の帰省だったのに、結局私は何をしてあげられただろうか。人は誰だって他人の手助けがなければ生きていけない愚か者だが、人との接触の中でお互い成長する。私自身、祖父とのふれあいで何もかもを事実として受け止める心を取り戻しつつある。自分の大切な人を失う前に、今までの感謝の気持ちを何らかの形で表さなければ。今、私には母がいません。私が高一の冬、六年間のガンとの闘病生活の末、他界してしまいました。その母と私の事、ちょっと話したいと思います。14大阪市立住吉商業高等学校(大阪府)三井愛さん人とのふれあいの中で大阪教育大学教育学部附属高等学校(大阪府)柳原枝里佳さん受け継がれるもの府立堺東高等学校(大阪府)田村絵梨子さんウチが覚えてる県立神崎高等学校(兵庫県)衣笠逸子さん私の母府立桜塚高等学校(大阪府)鈴木杏子さん大切な存在大阪府の府立高校匿名希望闇に住む自分