17歳からのメッセージReport2002

17歳からのメッセージReport2002 page 17/32

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17歳からのメッセージReport2002

銀賞私は小学生の頃、母のことがあまり好きではありませんでした。兄と二人兄弟の私はよく「女の子だからお手伝いしなさい」と言われていました。関西弁も話してはいけませんでした。母の前では標準語を話し、いい子にしていました。その母が小六の夏、ガンが元で寝たきりになり、半年間自宅で生活した後病院に入院しました。自力では起きあがれず、入浴も食事も介助が必要でした。私がお見舞いに行くとしんどい時でも「ありがとう」と笑ってくれて、それまでもう一人の自分を装ってきた私は申し訳ないという気持ちでいっぱいでした。「ごめんね」と言って私の手をやせ細った手でぎゅっと握ってくれた時も度々ありました。亡くなる少し前、母の意識がなくなりました。会話はできなかったけど話し掛けていました。母がもうすぐいなくなるとわかってから、私はずっと母のそばにいました。二月二日、母は亡くなりました。料理が上手で、花が大好きで、淋しがり屋で、いつも一緒にいてくれたお母さん。私は本当の自分を見せないこともあって理想の娘ではなかったかもしれない。でも母からは人に優しくすること、弱音を吐いてはいけないことを教えてもらいました。年に一度の母の日しか言えなかった、十七歳の私からのメッセージ。『お母さん、私を生んでくれて、そして大切なことを教えてくれて、ありがとう』。夏が終わる。最後の千羽鶴を折る季節だ。ラグビー部のみんなと夢中で駆けた三年間は”無気力“を言い訳に逃げてきた私に、夢を描くことを、生きることを――教えてくれた。今思うと”無気力“なんてただの甘えで。口癖は「疲れた」で、不満ばかり頭をもたげていた。私がいて何になる?私はなぜ生きている?空虚な問いの果てに自分の必要性も可能性も見いだせず、ため息ばかりついていた。そんな私だったから、全国という一つの夢を抱き全力を尽くすラグビー部の姿にひきこまれたのだと思う。強い信頼と公正な判断、屈強な体と自己犠牲の精神、敵味方の境を越えるノーサイドの瞬間――ラグビーの魅力は私にはまだ語り尽くせないけれど、言葉が追いつかないほどの感動を、震えるような喜びを、心からの悔し涙を、みんなは教えてくれた。勝てない時期が続いた時、役に立てない自分が情けなかった。ケガが起きた時、できることの限られた自分がもどかしかった。けれど何度泣いても挫けても、こんな私でも必要としてくれる人がいると思うと、辞めたいとは思わなかった。いつからか「頑張ろう」が口癖で”無気力“という言葉すら忘れていた。もうすぐ三度目の秋が来る。心からの感謝と、大好きな先輩たちから受け継いだ夢をこめて――私は千度、鶴を折る。左の翼に一人ずつの名前を、右の翼に花園へ行けますようにと繰り返し記し――私は千度、夢を託す。ねぇ、知ってる?私があなたの事をとても大切な人だと思ってる事。そんな事言った事ないから知らないだろうけど…私にとってあなたは今とても大切な人。嬉しいときも、楽しいときも、悲しいときも、辛いときも、一緒にいたいと思う人。もっといろんな事を聞いてほしいし、もっといろんな事を話してほしい。今はお互い忙しくていつも隣にいる事は出来ないけど、私にはあなたという存在がいるだけでとっても心強いんだ。あなたとの事で悩んだ事がいっぱいある。あなたとの事で泣いた事もいっぱいある。怒った事もいっぱいある。でも嬉しい事、楽しい事、幸せだと思えた事がそれ以上にいっぱいある。だからあなたの事をとても大切な人だと思えるんだ。それにね…私はあなたに好きって言えないんだ。何かね言葉が安っぽい気がして。だからってまだ今の私じゃ愛してるなんていえる歳じゃない。だから今は大切な人って言うのが一番あってる気がするんだ。いつかあなたの事を愛してるって言える日が来るのかは今は全然わからないけど、今こういう気持ちでいれるって事をとっても幸せに思うんだ。最後に…私はあなたにとっても感謝してるんだ。あなたと出逢って私はこんな風に人の事を大切に思える事を知ったから。これからもよろしくね!たった三か月間の付き合いでしたが、貴方との出会いは、私にとって宝物でした。お互いに友達を助けた身でしたね。いつの間にか、貴方が大好きでした。貴方は、私に、「自分らしさ」「人を好きになること」を教えてくれました。お別れは辛かったです。涙が溢れて止まりませんでしたが、この別れがあったから、今の私があります。海の向こうの貴方は、今、何をしていますか?お元気ですか?貴方が去ってから、私はまた、新しく大切な出会いが出来ました。人を好きになれるのは、貴方が教えてくれたお陰だと思っています。だから、心から、貴方に、ありがとう。私は…貴方に何を残せましたか…?私は忘れない。自分を忘れようとしたあの三年間を。中学校に入って間もない頃、私は必死だった。小学校にいた時に受けたイジメを振り払い、思い出したくもない惨めで弱りきった私を殺してしまう為に無理矢理明るく振舞っていたのである。でも、そんな茶番も長くは続かなかった。明るさを次第になくしていった。私は、よく授業を抜け、保健室へ行き、学校を休むようになった。見かねた担任の先生がカウンセリングを勧めて下さり、保健室の先生は、よく私の話し相手をして下さった。とても嬉しかった。ずっと過去の自分に背を向け続けた私に、正面から向き合うことの勇気と、痛みをなくすことが出来ない代わりに、その痛みを自分の糧とする強さを言葉から言葉へと伝えて下さった。感謝している。今も。きっとこれからも。私は忘れない。苦しみ続けて救われ続けたあの三年間を。――ありがとう。日本人の十八番、「すみません」コンビニでバイト中の私の脳裏にこんなフレーズが浮かんだ。狭い店の中で接客をしていると、「すみません」と言ったり聞いたりする場面に何度も出会う。かなり使い勝手がいい言葉だと思う。けれど先日、店の入り口でお客さんと鉢合わせた私が先にドアを開けて待つと、相手の女性が「ありがとうございます」と一礼。こんな時、すみません、と言われることが多かったので、少し意外に思うと同時に、私のほっぺはふにゃっとなった。思えば、「ありがとう」も「すみません」で代用されることが多い。確かに、遠慮と思いやりを表し、人間関係を穏便に保つ力を持っている「すみません」だけれど、この場合、相手への素直な感謝の気持ちを半透明にしてしまう。日本人の奥ゆかしさ?と15県立神戸高等学校(兵庫県)加島路子さん千の夢県立武庫荘高等学校(兵庫県)新宮しのぶさん「もらったもの」県立姫路商業高等学校(兵庫県)本庄理恵さん人とのふれあいの中で国立米子工業高等専門学校(鳥取県)生田詩織さんありがとう、って嬉しいな兵庫県の県立高校匿名希望私の大切な人