17歳からのメッセージReport2002

17歳からのメッセージReport2002 page 18/32

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17歳からのメッセージReport2002

思いつつも、当り障りの無い便利な文句として使われている気がしてならない。今まで「すみません」で済ませてきた、ささやかな感謝の気持ちを、少し照れ臭くても、「ありがとう」で素直に伝えることを心がけようと思う出来事だった。ソモソモ私は17歳なんだし、変化球を投げる必要はない。ストレートに表現したい。人とのふれあいを豊かにするキーワード、笑顔が一番似合う言葉を、もっと大切にしなきゃ。私の家はコンクリートで出来た薄汚れたアパートである。窓ガラスはひび割れ、壁はクレヨンの落書きや大きな亀裂が走っていた。私は家が嫌いだった。風通しが悪くいつも湿気を含んでいて、そのせいか家族仲までもが崩壊寸前だった。父と母は夜になると決まった時間に口論をし始め、その争いは夜が明けてもなお続く時さえあった。私は家が嫌いで仕方がなかった。本当は温かい家庭を求めているのにもかかわらず、私の家族は冷たかった。特に両親が喧嘩をしている時は、生まれて来なければ良かったとさえ思ってしまう。また、言い争いをしている。私は平常心を保ちながら両親の声に耳を傾けた。盗み聞きを悪いとは思わなかった。私には、私の心をズタズタに傷付ける二人の喧嘩の理由を知る権利がある。すると父の怒鳴り声が聞こえた。「あいつが進学できなくなったらどうする気だ」私のために喧嘩している事に気付き私は嬉しくなった。嫌いだった家が好きになった。母にとっては厳格で苦手な父親だったそうだが孫には優しく気前のいい祖父だった。祖父の旅立ちは私達に多くの教えを残した。痴呆化が進み「うそ?」と叫ぶ程の奇怪な言動にみんなが振り回されたものだ。多忙が重なり母が倒れた時、先行きの不安で健康の大切さ家族の絆というものを強く感じた。「今、じいちゃんはどんな時代のどんな場所にいるの?」私達がどんなに空想しても、ついてゆけない世界にいたね。高齢化が進み私達も避けては通れない道。祖父の死に接して体験した事やそれぞれにできる役割の大切さなど得たものは大きかった。祖父を囲んで白い手足をさすった時の家族の顔を思い出す。じいちゃん、両親と姉を心から大事にするよ。命を大切にし何事にも前向きに努力するよ。お年寄りを見る目に変化も起きた。私をちょっぴり成長させてくれてありがとうね!!私には父親がいない。まだ小学生だった私にとって両親の離婚は心に大きな傷をつけた。学校での休み時間、父親の話になると私は自然に友達から離れていた。私の家は他の家とは違う。私は今まで父を憎み、そして母を憎んだ……。高校受験の時までは本当に…。高校受験が近づき、私は進学について悩んだ。私には高校生の兄がいる。『母は私の分の授業料を払えるのか?』ずっと悩んでいた時、そっと母親が私の手を掴み、「お金は大丈夫。心配せんでいいけん、あんたが行きたい学校に行きなさい」そう言って母はその場を去った。私の手に残る母の手。毎日私たちのために一所懸命働いて男の人の手みたいにガサガサになった母の手。私の頬にたくさんの涙が流れた。『ありがとう。お母さん……』。今、私は自分の夢に向かって前に進んでいる。私の心の傷は消える事はないけれど、私は母の手が大好き。そして母が大好き。私は、自分にとって大切な人にどうしても素直になれないところがあった。ただ反発するっていうのでもなくて、心の中にまで入ってこられるのが、恐いという感じ。別に人とのつきあいが表面上だけだとは思ってない。自分を知られることへの不安。でも、本当に人を理解するということを教えてもらった時少し自分が変われた気がした。あの時の私は、失意のどん底で、本当にヤバカッタ。泣きたくてもみんなに悩みを相談できない私には、笑うしかなかった。笑って自分をごまかしていた。けれどそんな中で、私の事情を知る数少ない先生がいた。その先生は、「大丈夫か?」って聞いてくれた。うれしかったけれど、私はまた笑って、「大丈夫です」と答えた。本当は、全然大丈夫でないのに。先生は、そんな私の心の内をすっかり見透かしていて、「今のお前の笑っているところを見てるのが辛いんだ」と言って泣いてくれた。その時やっと私は泣くことが出来た。いつも素直になれなくて、困らせてばかりの先生が私のことを思って先に泣いてくれたから、私は先生の前で泣けたんだと思う。先生に、本当に感謝している。その時の私は先生に生かされたんだと今思っている。やっぱり、人には人がいないといけない。「一人になりたい」と思うこともあるが、一人じゃないからそんなことが言えるのかもしれない。人と人の心の琴線がふれあい、ふるえた時、人はかけがえのないものを得るんだと思う。飽食の国に生きる私は、幸にも平成14年3月25日から2週間、ザンビアとマラウイ共和国を訪問し、大統領をはじめ多くの青少年と交流する機会を得た。両国の小学校を訪問し、鉛筆やノート、楽器等を贈呈する親善の旅であるとともに、ODAやJICAの活動状況を検証することにもなり、多くの事柄について深く考えることになった。発展途上国への支援は、その国の文化や民族の根底に流れる固有の価値観などを十分に調査・研究し、相手が本当に望むことを援助しないと環境破壊や貧富の差を助長し、かえって南北格差を拡大させることも実感した。そして、アフリカからの帰途のバンコクにおいて、訪問を終えたザンビアが世界一のエイズ感染国で国民の五人に一人がエイズに感染していると報じる新聞記事を目にした時の複雑な気持は、生涯忘れることができない。今回の親善の旅で多くの人との出会いとふれあいを持つことができたことは、何ものにも変えがたいものになった。今後、アフリカの子供に明るい未来が開かれるか、それとも世界から「忘れられた地域」として留まるかを見守り、可能な限り支援して行きたいと思う。21世紀を担う私たちは今、「私たちに何が出来て」、「何が足りないか」、「何をなすべきか」が問われている。この前、学校であった全校集会の時、あなたの事が書かれた本を先生が読んでくれたよ。あなたの遺書には、「このまま生きてても何もいい事なんてないし。私が死んだって誰も悲しむわけないし」って書かれてた。いつもは騒がしい私達も、その時はすごく静かだった。泣いてる人もいた。あなたはこの光景をどこかで見ているのだろうか。あなたの話を聞いて、あなたの事を思って悲しんでいる人達がここにいるよ。涙を流している人達がここに16県立今治北高等学校(愛媛県)越智千絵子さん心の琴線済美平成中等教育学校(愛媛県)河内未央さん国際親善の旅から学んだこと長崎市立長崎商業高等学校(長崎県)深堀千春さん「忘れないで」県立今治北高等学校(愛媛県)渡邊綾さん祖父の死から学ぶ県立城西高等学校(徳島県)原友美さん家県立今治北高等学校(愛媛県)矢野麻美さん母の手