17歳からのメッセージReport2002

17歳からのメッセージReport2002 page 19/32

電子ブックを開く

このページは 17歳からのメッセージReport2002 の電子ブックに掲載されている19ページの概要です。
秒後に電子ブックの対象ページへ移動します。
「電子ブックを開く」をクリックすると今すぐ対象ページへ移動します。

概要:
17歳からのメッセージReport2002

ば分かりあえない人はいない。言葉や民族の壁だって乗りこえられそうな気がする。大人の見栄がこれから先、邪魔しそうになっても母の言葉を繰り返し、いつまでも幼い頃のあの純粋で正直な心を忘れず精一杯の誠意をもってよりたくさんの人と出会いステキな付き合いをしていきたい。誰もが不安を抱えて苦しむように、十七歳というこの時に、私たちは一人きりでは生きていけないという現実を知る。大人になりきれていない中途半端な十七歳。まだ一人で歩く自信のない十七歳の私。何もかも一人で抱えこもうとしていた今までの私を救ってくれた人がいた。大切な人との別れ、そんな時も側にいてくれる人がいた。弱くて小さな自分を受け入れてくれる人がいた。だから、私はまた笑うことができた。「笑顔が一番だよ」って言ってくれるあなたがいた。私には大切にしたい友達がいる。時には叱ってくれる友達がいる。そのことに気づいた十七歳の私。一人は寂しいって素直に言えるようになった。たまには振り返ることも大切だが、私は前へ進もうと思う。一生大切にしたいあなたに、「ありがとう」が言いたい。「おばあは幸せ者だねぇ」祖母はそう言って、私達があげた千羽鶴を大事そうに抱え、顔をくしゃくしゃにし、泣きました。私の両親は、私が幼い頃に離婚し、私達姉妹は母と暮らす事になりました。しかし、父方の祖母が私達姉妹を可愛がっていた事もあり、しばしば祖母の元を訪れていました。ところが、祖母が入院する事になりました。祖母はお見舞いに行くといつもにこにこ笑っていて、病気は大した事はないと私は思い込んでいました。そんなある日、姉に祖母のお見舞いに誘われました。しかし私は翌日の試験勉強で忙しく、その日お見舞いには行きませんでした。そして翌朝、祖母は亡くなりました。昨日会いに行っていれば――。もう、そんな後悔はしたくありません。今しかできないふれあいを大切にしていきたい。今、私は心からそう思います。今も思い出す祖母の顔はくしゃくしゃで、私は『幸せ者』だと言った祖母に、言えなかった言葉を今、伝えたい……。私も、おばあの孫で幸せ者だよ銀賞いるよ。沢山沢山いるよ。「誰も悲しまない」なんて嘘だったって分かるでしょう?今この瞬間に、「死にたい」って思ってる人は数えきれないほどいるだろうけど、もう少しだけ生きてみて。「生きてても何もいい事ない」なんて、そんなの死んだ後に言うセリフじゃないの?精一杯生き抜いて、自分の人生を振り返った時に言うセリフだよ。先の事は誰にも分かんないんだから、自分で決めつけちゃ終わり。だって明日はいい事があるかもしれないし!だからもう少し生きてみて。自分がいなくなったら悲しむ人がいるって事、絶対絶対忘れないで。私は初めてお母さんの気持ちがわかったような気がします。一年生の時病気で亡くなってから一年。色々ありました。一か月くらい何も手につかず、毎日泣くばかりでした。でも皆が励ましてくれていつもの生活に戻れました。父と二人になったのでご飯など大変でした。二人とも家にいないので家の仕事がたまりっぱなしで…こんな生活が毎日繰り返され、疲れます。でも母は毎日文句一つ言わずやっていました。きつそうな時自分も部活で疲れてるから手伝わなかったりしました。母が病気にかかっていることも知らずに…私は今になって気づきました。今できるなら謝りたい気持ちでいっぱいです。「ありがとう」の気持ちを大切にしてこれから先、父と二人で頑張って生きていきたいです。「ごめんなさい」そういってうつむいた私に母は優しくほほえみかけ頭をなでてくれた。幼かった私はつい、いたずらがすぎてしまったのだった。叱られるとばかり思っていた私は母の意外な行動に驚いた。母は優しい口調でこう言った。「人は誰でも間違うもの。それを正直に心から謝ることができるかどうかが大切よ」最近、不祥事ニュースの中で必死にごまかそうとする大人達を見るたび母の言葉を思い出す。あの日の私は人とふれあい付き合っていく中で一番大切な部分を教わったのだと思う。誠意ある行動―。人と人との間で何より大切なもの。精一杯の誠意さえあれ日本人はあいまいだ。質問をされ答えを求められるとなんとも中途半端な言葉をかえす。もし、はっきり物を言う人がいれば、その人は「出る杭」としてみられ、うたれる。しかし時として、そんな人がトップに選ばれる。高校二年生の時私は生徒会に入った。昔から人前に立つのが好きだったし、自分達の学校を自分達の手で直接運営していけるということに魅力を感じたからだ。その頃の生徒会長はみんなにとても好かれていた。きっと彼がはっきり物を言う人だからだろう。彼の口ぐせはこうだった。「ただ言うだけならサルでもできる。他人を納得させるような裏付けが大事なんだ」と。たしかに今、日本人にはっきり物をいわせることは簡単だ。しかしそれだけでいいのか。私達は人間だ。サルではない。私はちゃんと他人を納得させられるだけの裏付けをもってはっきり物を言う日本人になりたい。そういう人が増えればきっと日本はかわる。ぼくが小学校6年生の時、自宅近くの公園の水路で、ザリガニや魚を釣って友だちと楽しんでいた。ところが、中学2年の時、久しぶりに同じ公園に行ってみた。公園の水路は、水が引いていて、ザリガニの数はめっきり少なくなっていた。「ヤバイ!」、たった2年の間に、こんなに変化していたのだ。自分の身近な所でも、環境が破壊されていたのだ。地球の環境が悪くなればなるほど、自分たちの首を自分で絞めているようなものだと想った。日本は高度経済成長を経て、私たちの生活は何一つとして不自由なものはない。しかし、暮らしが豊かになったといっても、森林を伐採し紙を作ったり、石油からさまざまな加工物を工場で作っているのだ。つまり、地球の環境を破壊しているだけなのだ。公園の水路にザリガニが戻ってきてほしい。未来の小学生のためにも。ぼくたちが楽しかったように。17長崎市立長崎商業高等学校(長崎県)時津愛弓さん人とのふれあいの中で―母の言葉長崎市立長崎商業高等学校(長崎県)小野村有希子さん人とのふれあいの中で―気持ち県立種子島高等学校(鹿児島県)川脇七恵さんありがとう3テーマ日本のここが好き、ここがきらい県立米沢商業高等学校(山形県)野口彩さん私の理想の日本人都立八王子北高等学校(東京都)小俣雄一さんザリガニ県立宮古高等学校(沖縄県)福里愛子さん幸せを失わない為に