17歳からのメッセージReport2002

17歳からのメッセージReport2002 page 20/32

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17歳からのメッセージReport2002

全力で仕事に取り組み、帰ってくるのは深夜だというのに、休日返上で働く父の背中は小さくなった、というよりもむしろ、痛々しい。そんな現状は今の日本では当たり前となってしまった。父は、いや、私達日本人は休むことを忘れている。『全力で臨めばその見返りは必ずある』と、信じている。確かにそうかもしれない。が、休むことを忘れた私達に全力を出せる力が残っているのだろうか。私達は忘れている、全力を出すにはそれ相応の休息が必要だということを。毎週一日だけでいい、仕事を忘れ、自分の好きなことをしたり、家族と過ごす時間が大切なのではないだろうか。今という時代だからこそ、一体何のために働くのかを考えてみて欲しい。『家族のための仕事』なのか『仕事のための家族』なのかを今一度見直し、休む大切さを思い出す必要があると、私は思う。私は京都市中心部に住んできた。昼間は騒がしい街も早朝はとても静かで人などほとんどいない。そんな中せっせと働く人がいる。ホームレスの人々だ。京都は日本中で有名なホームレスの住みやすい地だと聞いたことがある。数年の間に以前よりも多く見られるようになった。身なりはみすぼらしい。そんな人と人々は関わろうとしない。日本は世界で唯一の50年間戦争のない国だ。そしてテレビでは貧しい国の人々への支援をよく呼びかけている。たくさんの人が募金などをしたことがあるだろう。しかし、国内の人々については地域の人は見て見ぬふりで、国にまかせてばかりに思える。一般の人々の国外と国内に対する行動に違いがある。人々を助けたいのなら身近なところから徐々にすべきだと思う。戦争しない日本ってすばらしい。でも他国への振舞いと国内への振舞いにギャップが感じられるところは凄く嫌だ。先日、私はある新聞記事を読んだ。―日本の高校生は悲観的?「自分は駄目」7割―という見出しではじめられていた。「高校生」という言葉に、人事ではないなと思い読んでみた。その記事に私はショックを受けた。調査結果にではなく質問形式に。「自分は駄目な人間だと思うことがある」や「あまり誇りに思えることはない」などだ。質問作成者の問いたいことは理解できるが、この質問形式はいかがなものかと思う。悲観的であるのは質問の方で、作成した大人たちではないだろうか。「計画をやり遂げる自信がある」という質問のように、他の質問もポジティブなものにすべきだと思う。質問形式を変えれば、答える側の若者の答えも変わるかもしれない。「近頃の若者は…」という言葉をよく耳にするが本当に若者は悲観的なのか。私はそうは思わない。一生懸命輝いて生きている若者は大勢いる。むしろ私は、そのことに気づけない大人にたいして危機感を抱いてしまう。日本は日韓ワールド杯共催の決定以降、積極的に韓国との交流を行いかつてない友好関係を築いてきた。けれども僕にはそれが真の意味での交流とは思えない。なぜなら一方で「つくる会」の教科書問題や靖国神社参拝、神の国発言などがあったからだ。僕が問題だと思うのはこの一部の愚かな人々による行動そのものではなく、その事への国民全体の関心の低さだ。一部の良識ある人は別として多くの人々、特に若者にはせいぜい一種のスキャンダル程度にしかとらえられておらず、その背景にある日中、又日朝(北朝鮮も含む)との歴史関係や、多くのアジアの人々(特に高齢者)が依然として抱いている感情の認識は存在してい”る“と思う。ここには日本の戦後の歴史認識の欠陥が表れていると思う。僕は直接見・生きてきたわけではないので偉そうには言えないがその原因は以下の事と思う。日本は第二次大戦で敗戦し維新以後80年近くかけ築き上げられてきた全ての価値観が崩壊し、国民は精神的にも物質的にもどん底の悲劇的な状況にあった。この状況を打開するには敗戦という悪夢を忘れ超肯定的に先だけを見て生きるしかなかった。一つの象徴的な言葉として「もはや戦後ではない」という言葉がある。これはようやく日本が戦争の傷から立ち直った頃盛んに言われた言葉なのだけれど、そこには終戦以前の事を戦争という悪夢として切り捨て忘れていこうという意図があると思う。そしてその後の日本はこうした考えに基づき発展を続けてきたと考えれば今の多くの人々が戦前・中の歴史を自分達と関係した物と見てないのも当然だという事になる。しかし、本来歴史は過去→現在→未来へと続く一つながりの流れであり、過去をのり越えるとは過去を客観的に認識し、そこから得た教訓を受けその過去の上で肯定的に生きる事と思う。つまり千年たとうとも「戦後」は「戦後」なのだと。「ではどうすべきか」は僕には分からないし、また韓国の人々と良く知り合う事は素晴らしい事だとも思う。でもその時、心のどこかにお互いの過去を認識していなければ真の意味で過去を乗り越えて心から交流する事はありえないと思う。18府立嵯峨野高等学校(京都府)坂口理子さん二重人格な日本府立嵯峨野高等学校(京都府)西川真祐子さん近ごろの高校生大阪産業大学附属高等学校(大阪府)小林等さん「日本のここが好き、ここが嫌い」今までの私は、ずぅーと人の言う通りに、常識ある事をしてきました。それが、幼い頃から言われてきたこの国でのあたり前だったから。みんな同じ服を着て、同じ事を考え、同じ事に反発して、同じ頃大人になる。だから、私は日本が好きじゃない。好きなところはいっぱいある。食べ物。おいしいし、ヘルシー。言葉。いっぱい文字がある。暮らし。けっこう恵まれている。でも、やっぱり理解できない事が多い。どうして、同じように見えなきゃいけないのか…。どうして、中身と外身、みんな一緒にならなきゃいけないのか…。どうして、個性を出そうとする人を止めてしまうのか…。日本は恵まれた国であるのと同時に、苦しく固まった国だと思う。私は、そんな固まった国では、育つものも育たなくなってしまうと思う。いつの日かこの日本は、身勝手な自由を求める人でいっぱいになると思う。その前に、ある程度の個性を許してくれる、国になったらいいなぁーと思う。日本は人間関係が熱い国だと思う。新年には年賀状、夏には暑中見舞いを出し、相手の近況を伺う。こんなにまめに連絡を取りあうのは他の国ではあまりないことだ。私はこうやって相手を気づかう習慣のある日本は、優しい国だと思う。しかし、それは相手が自分と同じ日本人である時だけだ。最近起こった「日本領事館への亡命」事件。家族が必死に助けを求めていたのに、日本人の領事館役員はその家族を守ろうとしなかった。もしあの家族が日本人だったら、役員の人達は懸命に彼らを守ったと思う。そう考えると、日本はとても冷たい国に思えてくる。「他国の人だから」と構えてしまう所を、日本はこれから改善していかなければならないと思う。それにはまず、個人個人の気の持ち方が重要になってくる。すぐに改善できることではないけれど、「優しい国」になる為に、この事はとても大切だと思う。今の日本は枯れているように思う。それは、最近父の背中が小さく見えてしまうからなのかもしれない。毎日満員電車で通勤し、県立国際情報高等学校(滋賀県)米尾和美さん仕事の意義と休みの必要性県立大垣桜高等学校(岐阜県)若園ひとみさん「優しい国」になる為に小松市立高等学校(石川県)北野沙織さんここが嫌い