17歳からのメッセージReport2002

17歳からのメッセージReport2002 page 23/32

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17歳からのメッセージReport2002

「身内の骨壷にはねぇ、骨の代わりに石が入ってたんだよ」82才になる私の祖母は、私に戦争のことをたくさん話してくれる。祖母の世代は、死んだ人の骨さえ見られず、生きていることを実感できないような、真っ黒な時代を生きていた。たぶん、祖母は二度と戦争が起きてはならぬことを、体験を通して伝えたいのだと思う。ある日、祖母は「非国民」という言葉を教えてくれた。当時、戦争はいいことで、天皇陛下のために、そしてお国のために戦い、傷つき、そして死ぬことが誇りであり名誉であった。しかし、平和を願い、戦争に反対だと思う人が、ごく少数いたらしい。戦乱に染まった日本は、その人たちを「非国民」と呼び、石を投げ、棒を振り回し、虐げた。人間は戦争で己を見失い、血に飢えて、さらなる血を求めた。その結果、平和に笑い合える日々になることを祈ることさえ、「非国民」と言ったのである。もしも私が戦争の血生臭い死と隣り合わせで、空襲に怯え、平和を祈ることが「非国民」と言われ、罪だとされたら…。私は、たとえ棒を持った憲兵隊に囲まれても、逃げまい。平和を祈ることさえ許されない社会に、ありったけの声を張り上げて、腰が抜けてぶざまな格好でも、光のささない真っ黒な瞳を持つ人たちに言ってやる。「私は平和を願う戦争非国民です」と。日本がもし一本の木だったら。幹はとても大きく立派だろう。しかし、中をのぞいてみるとスカスカなのだ。それはなぜ?きっと、落ちても土にかえらない実があるから。せっかく幹が厳しい冬を乗り越えて実らせたのに。そしてまた一つ。ポツリと落ちる木の実。それらの実は、また生まれ変わる努力をしなかった。あきらめてしまったのだ。何度も何回も芽を出し実をつけても、いつも渋い実にしかならない。真っ赤に熟れた実にはなかなか成長しなかった。もうダメだ…。しかし、そのあきらめによって幹の方は大ダメージをうける。養分が足りない。ポッカリと穴が開いてしまった自分の体。木とは、幹と実が協力しあってこそ、また思いやりの気持ちをいつも銀賞持ち続けてこそ、大きく立派な木になるのではないだろうか。今の日本は平和かもしれない。しかし、人々の平和への努力はまだ実っていない。この日本を中までよく見てみて。この木のように、ポッカリと穴があいている…。今の日本社会は、ますます閉塞感を強めています。その大きな原因が政治・経済にあることは言うまでもありません。特に問題なのは、今国会で小泉内閣が立法を目指している有事法制三法案についてで、将来に大きく関わってくるかもしれない若者としてはどうしても納得できないものがあります。有事法制は内容を見るにつけ、戦時を想定し、国民の立場よりも軍事を最優先した戦前、大日本帝国時代の「国家総動員法」と同じように感じられます。小泉首相がよく口にする「備えあれば憂いなし」の言葉は国民の耳に聞こえがよいが、よく考えてください。それはかつての軍部も戦争準備の段階でよく使った言葉ではなかったか。「備え(軍備拡大)あれば憂い(戦争)あり」の事実は世界の歴史が物語っています。戦後五〇年であの戦争が途切れたわけではないと思います。戦争によって日本文化は失われたままであり、子供たちは何処にも自分達の故郷、日本を見つけられないでいるような気がします。今でも僕たちの心の奥底には、癒すことのできない大きな傷があるのです。一方で日本には世界に誇れる平和憲法があり、それを守ることこそ戦争で亡くなった多くの犠牲者への償い、僕ら国民に残された唯一の義務なのではないでしょうか。本土復帰を果たして三十年、故小渕元首相がサミット会場に選んだ沖縄。私の母の故郷でもあるこの島へ毎年夏訪れている。敗戦から沖縄は特別な地となった。本島における米空軍基地の中で嘉手納は極東最大の規模を持ち、甲子園球場の実に八百倍の広さである。この基地からベトナム戦争や湾岸戦争の際は、若い米兵士達が戦争へ飛び立って行ったという。戦争の爪痕が色濃く残る沖縄だが、元々は琉球文化が栄えた王国であった。私にもこの誇り高い琉球人うちなんちゅうの血が流れている。「命ぬちどぅ宝」琉球のことわざであり、命は正に宝であり最も尊いという意味である。この沖縄の地を戦場への発信基地にしてはならない。人殺しの片棒をかつぐ事は悪魔の所業であり人としての理性に欠如していると言わざるを得ない。私は琉球人のひとりとして沖縄の地を平和の21堂々としかってほしい。もし注意したら反発され、殴られるなどと思っているのならば、それは私達に対する差別だ。もっと正面から私達と向き合ってほしい。心のどこかであなた達に助けを求めているのだから…。日本だけではないが、世の中には「発展しなければならない」という考えがあるように思う。少子化、高齢化、不景気などは「いけないことだ」というとらえ方をされることが多いし、「○○のますますの発展を祈って」という言葉はスピーチでは良く聞く。しかし、「発展する」ことがそんなに大切なことなのだろうか。私は今の生活にこれと言って不満はない。人口が減るのも悪いことばかりではないだろうと考える。例えば、省エネになる。こういうふうに、私も含めて、「これが常識だ」ということを判断の根拠にする日本人が嫌いだ。他人にふり回されることなく、もう少し自分の頭を使ってはどうか。しかし、長所・短所というのは物事の両極にあるだけで絶対的な善悪があるわけではなく、視点を変えれば、短所も長所になる。私は「常識を持っている」日本人が好きでもある。周囲に常識がなければ、「突飛なこと」を考えて楽しむことができないのだから。県立南稜高等学校(熊本県)深水正始さん日本のここが好き、ここが嫌い4テーマ平和について都立八王子北高等学校(東京都)市川美奈子さん戦争非国民の私県立須坂東高等学校(長野県)成沢未来さん沖縄は平和の発信基地都立八王子北高等学校(東京都)田中涼子さんもしも木の実に例えるなら都立八王子東高等学校(東京都)後藤一樹さん日本を再び殺さぬために