17歳からのメッセージReport2002

17歳からのメッセージReport2002 page 8/32

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17歳からのメッセージReport2002

時々、はっと目が覚めることがある。それは決して眠っていたわけでもないのに、突然世界がカタチを変える。今まで見ていたものが、見慣れていたものが、急に違ったものに見え始める。特に昔に自分で描いた絵を見ると気付く。昔と全てまったく同じなのに、どこか違う。なぜ違うのか。いつ変わったのか。自分が成長したからか。単純にそうとはいえない。だがそれでわかる。僕は変わったんだな、と。今きっと自分は変わり始めている。風景がどんどん色を変える。形を変える。きっとこれは脱皮だ。昔を切り捨て、新しく生まれ変わる。だれもがきっと経験してるはずだ。十回も百回も。きっとまた変わる。これから先なんてわからない。ただ、自分が脱皮を繰り返してきたことはわかる。見えるようになってくる、色んな見えないものがたくさん。今は不安の渦の中だが、何も怖くはない。だって僕はまた生まれ変わるから。【講評】とてもリズムのよい作品だと思います。言葉の選びかたもシャープで、歯切れのよい文章がどんどんつながっていき、読者をぐいぐい引き込む力をもっています。それはまるで歌詞のようで、17歳らしい瑞々しい感性に満ちあふれています。おとなになることを「脱皮」ととらえ、その意味について安易に答えを導くのではなく、成長の過程を冷静に見つめようとする視点は、17歳という世代の意識を的確に表現していると思います。最近電車内で見た句に、私は深く考えさせられた。高杉晋作の、おもしろきこともなき世におもしろくというものだ。そもそも「おもしろ」さとは何なのだろうか。今の私たちにはそれをテレビを始めとするマスコミに求める傾向がある。自分から働きかけなくても、スイッチさえ押せば与えられる「おもしろ」さ。しかし私たちはそれを真のおもしろさだと言い切れるか。私たちが「おもしろいこともな」いと感じる時のほとんどは、身近にあるそれに気付いていないか、又は働きかけようとしないが故にそのおもしろさに触れられないでいる事が原因だろう。どんなときでも、働きかけずに真の「おもしろ」さは得られない。「おもしろ」さとは、自分から働きかけて初めて得られる、私たちの大切な感情なのだから。私はこれからの人生の中でどれだけ、真のおもしろさを感じられる時間を持てるだろう?それはこの世の中にどれだけおもしろそうに見えるものがあるのかで決まるのではない。私の、私自身の意思とそれに基づく働き掛けによって決まるのだ。【講評】電車内広告で見つけた言葉は、読みようによっていろいろな取り方が出来ます。村上さんは「おもしろさ」を安易に求めがちな最近の傾向に対して、自ら働きかけることで「真のおもしろさを見つけること」を見つけました。積極性の発見です。そこに村上さん自身の前向きな姿勢が見て取れます。発見すること自体のおもしろさに気付いたとたん、世界がさらに新鮮におもしろく見えてくる、何気ない日常にある面白さに気付かせてくれる作品です。小さい頃、というより中学校を卒業したくらいの頃まで、世界は不変なものだと思っていた。生活に変わりはなく、朝、目が覚めると、昨日と同じ重みで一日が用意されていた。理屈では不変でないと知っていても、感覚として理解できるだけの経験がなかったのだろう。物事の可変性に気付いたのは、ある銀行の建て直しがきっかけだった。私はその銀行の前を通って中学校へ通っていた。登下校。秋は落ち葉を踏んで、夏は毛虫をさけながら友達と歩いた。前あった建物が壊されて、残骸すらないその場所は、全く私の知らない空間だった。大切な思い出が傷付けられてしまった、そう思った。物事の可変性に気付かずに生きていられた時間。私の戻りたい場所は、もう手の届かないところにいってしまった。あの日から私は思い出が恐い。二度とその時、その空間には戻れないのに、決して忘れることができないから。今の私には、記憶の明るさは眩しすぎ、手に入らないものとして思い出すには辛すぎる。いつか「今」も思い出になる。その時私は「今」を思い、現在の私のように悲しむだろうか。それとも思い出を懐かしく、そして楽しく思えるほど、心の敏感さを失っているだろうか。【講評】いつも歩いている道で昨日まであったものが突然なくなる。誰しも経験のあることです。そこが思い出と結びついていれば寂しくもなる。山さんはその経験からあるはず、あり続けるはずの物事の可変性に気付きました。建物の喪失によって、結びついていた思い出の大切さに初めて気付き、「大切なもの」は失われ得るのだということを身を持って知る。それは自分自身の心でさえあるかもしれない。繊細なまなざしが深く内面まで降りていく文章が印象的です。口ばかりで何もしない僕が、やっとの思いで高三に上がり、恒例の中間テストが終わったとほっとしていると、最悪だがこれも予期できなくもない期末テストが、僕を今、苦しめている。言い訳かもしれないがこれからの進路、やりたいこと、「夢」、すぐそこの扉の向こう側にある、漠然としたそれらを、考え過ぎて、今やらなければならない大事な明日のテストを思い出したのは、朝の五時過ぎだった。気持ちを引き締めようと、顔を洗いに洗面台に行った時、窓の隙間から零れるそれを見て、今日・・何があるかもわすれて、外へ飛び出した。マンションの十一階から見えるそれを、なんと表現すれば良いだろう。真上に見える雲一つない空のずっと向こうに、幾多にも重なる剣の様な細い雲達に山の先から少しだけ覗く太陽が鮮やかな朱を帯びた橙色をつけていく。それは徐々に雲や山、そして町達の薄い色を深く鮮明にしてゆくのだ。感動した。他に言葉も見つからない。美しい朝の町に。その時、ほんの少し扉の向こうが見えた気がした。【講評】彼の住んでいる場所、家、部屋の情景がおぼろげながらも目に浮かんでくる。日常の焦燥感の中でふと我に返ることができた、誰でも一度は経験したであろう自然にふれることから生まれる感性が伝わってくる。ただ、何を訴えたいのかが、茫洋としていることが惜しまれる。しかし平明な文章で、表現力に卓越したものを感じさせる。今回はこれを評価の対象とした。1テーマ今までの自分、これからの自分府立嵯峨野高等学校(京都府)増山晃平さん変わるもの12点?6神戸女学院高等学部(兵庫県)村上晶子さんおもしろさを得る為に富山第一高等学校(富山県)山麻衣子さん「思い出」を思う府立守口北高等学校(大阪府)田中龍平さん新しい朝