17歳からのメッセージReport2003

17歳からのメッセージReport2003 page 12/76

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17歳からのメッセージReport2003

17歳からのメッセージ?[受賞作品集]??銀賞? 10なうまい人たちばかりで、気圧されながらも毎日なんとか頑張って活動していました。そんな時、滅多にないことなのですが、私の描くモチーフが誰かとかぶったことがありました。私はそれを知った時、「どうしよう、あの子の方がうまいのに。太刀打ちできない」と思ってしまいました。その時ふいに気付いたのです。私がなぜ「頑張って描こう」と思わなかったのか。なぜ戦おうともせずに負けを認めてしまったのか…。それは、私がいつも絵と中途半端に向き合っていたからなのだと。中途半端とは楽なものです。一生懸命にならなくていいから、何かあった時も本気じゃなかったんだと思えば済んでしまいます。本気じゃない分、面と向かって傷つかなくても済むのです。だから私は、絵で人と戦うことを避けてしまっていました。傷つきたくなくて、自分の一番嫌いな「中途半端」になってしまっていたのです。でも、それに気付くことのできた今、私はもう二度とそんな惨めな行動はしない、と思っています。自分という人間とのつきあいは、中途半端ではいけないから。「自分まじめやんなぁ」何度も何処でも言われてきた言葉。「まじめな子」が大概私のイメージ。間違いだとは言わない。むしろあたってる。だからこそ、嫌なイメージ。「私はそれだけじゃないっ」…必死でまじめなイメージを否定しようとする。私の中で消去しようと。「私はドジで、ぬけてて、ちょっとアホです。別にまじめじゃないよっ」そんなイメージにしたくて、でも結局は消去しきれず、まじめなイメージが残っている気がする。一番イメージに縛られてるのは私だ。もちろん、私の思い込みかもしれない。イメージなんて、誰も気にしてないかもしれない。けれど、私の中で「イメージを打破しなくては」という思いがあり、まじめな自分を隠そうとしてしまう。自分を偽ってしまう。そんな自分も嫌だ。どうして素じゃダメなのか、まじめな子が嫌なのか…。私は、友達が欲しかった。もっと、多くの友達が。まじめだと、人が寄り付かない―そんな思いがあった。でも、本当にそれでいいのかなぁ…?私は生真面目だ。でも、バカなところもドジなところもたくさんある。両方が、私の『本当の自分』だ。ごまかすのはやめよう。まじめさも、アホなところも、全部ひっくるめて”私“なんだから。素の自分だって、友達は作れるし、できる。それは、私次第。―「これが、本当の私ですよ」―堂々と、主張してみよう。突然言うのも何だが、私は変わった。どのように変わったかって、良い方向に変わったのだ。その原因は中一から高三の初めにある。不適であると思いながらの寮と学校の生活、なかなか馴染みきれない友達、集団意識の煩わしさ等々、我慢に我慢を重ねる日々が続き、遂に高一の冬に思考回路が停止。それからの転落は速く、家出、夜遊び、退学するしないで母と対立、揚げ句の果てに大して好きでもないセックスに依存しかけるという始末。大抵の男にはやれる女としか扱われないし、母は精神的疲労で寝込んでしまうし、特に高二の時は何がどうなってたかよく覚えていない。だが、急に運命が変わって、私のことが好きだという人が現れた。これはセックス依存から抜け出すチャンスだと思い、その今の彼氏には悪いが、その”彼氏“を利用してセックスフレンドとは縁を切った。これで私は無駄な重荷から解放され、今は自分の趣味で忙しい毎日。一言でいうと、私は更生できたのである。話を聞いてくれた友人やカウンセリングの先生、長い時間に支えられて、私は再び自分の意志と足で立つことができたのだ。一度や二度、堕落することがどうしていけないことだろうか。堕落を意識させない人生は、もしかしたら静かにその人の人生を堕落させてしまうのかもしれない。私は幸運にも、早いうちに堕落できたのだ。そしてまた、そこから脱出できたのである。いつも同じことの繰り返しで、何のために生きているのか分からず、ただなんとなく毎日を過ごしていた私が、「こんな生活から抜け出す」ためと「自分にもっと自信を持って生きてみたい」と思ったことから、「自分探しの旅」を始めた。そして今日までに、私はいろいろな自分と出会った。「看護師になりたい」という小学生の時からの夢を叶えるために、趣味の絵画を描くこと、家族と魚釣りに行くこと、大好きなテレビ番組を見ることさえも自分の中に押しこめ、勉強に励むことができる自分。負けず嫌いで人のことを絶対に褒めたりしなかったのに、その人の良い所を褒めるようになり、そこから何かを得ようと努力する自分。親の有り難さに気付き、少しでも力になってあげようとする自分。そんな自分と出会って、私の考え方や日々の過ごし方がとても変わり、生きることが楽しくなりだした。「知らなかった自分」との出会いは、旅のおもしろさであり、次の自分を探す(今日を力いっぱい生きる)ための糧であり、また私がまだ知らない世界を見るための地図だと思う。そして、旅をして見つけた自分が自信となり、明日へと続く私に力を与えてくれている。これからもこの旅を「死」を迎えるまで続け、もっと「自分」というたった一つのものに自信を持って生きられるように、楽しく旅をしていこう。こうして部屋に一人でいると、広い宇宙に一人ぼっちでいるような気分になって気が滅入る。だから私、部屋にいる時は常に音楽をかけてる。少しは一人ぼっちじゃない気がするから。私、文章を書くのは好き。誰かに話してるようで、一人ぼっちじゃない気がするから。だけど私、今までウソばっかり書いてたかもしれない。いつも、他の人がこれ読んだらどう思うだろうとか、ちょっとでも自分をかっこよく思ってもらえるようにとか、とにかく自分の心からって書いたことないと思う。自慢じゃないけど、一度新聞の投書の欄に載ったことがあった。全てがウソっていうわけじゃなかったけど、自分で読んでも他人事って感じがした。私が書いたのに。うれしいとは思ったけど。けど今は別。これは心から書いてるって感じがする。楽しいから。自分を見つめてるってこういう感じ?私が今夢中になってるのは、海の向こうのロックバンド。今も横でギターの音がしてる。彼らは「君は一人じゃない」って言って、体中で自分を表現してる。彼らにウソはないんだろうと思うと、うらやましくて、自分もそうありたいと願う。でも私は彼らにだまされているのかも…。いいや、ちがう。だって彼らの歌う言葉が日本語じゃなくても、私の心に響くから。これはホンモノ。私は私。ホンモノの私。ウソはやめることにした。そしたらきっと、一人ぼっちじゃなくなる気がするから。ぐずついた天気の中、雨に潤った雑草の中を自転車をこぎながら、学校へと急ぐ。同じような毎日…。”私は何のためにがんばっているんだろう?“時々わからなくなる。自分の夢や希望はどこに忘れてきたのか?後ろの道を戻ることはできない。私の前には相変わらず暗い闇が続いている。今までどうやってここまで来たのだろう?無意識のうちに歩いて来たのだろうか?いや、そんなはずはない。しっかりとこの地を踏みしめて歩んできたはずだ。でなければここに今の私はいない。私はなりたい自分になろうと精一杯努立命館高等学校(京都府)岩崎香那さん人のイメージと本当の自分宮崎県立五ケ瀬中等教育学校(宮崎県)上杉由衣さん幸か不幸か鹿児島市立鹿児島女子高等学校(鹿児島県)岡島惟さん一人ぼっちとウソとホンモノ大阪市立東商業高等学校(大阪府)大村結花さん「旅」滋賀県立北大津高等学校(滋賀県)岡村絵里さん夢と希望を手に!