17歳からのメッセージReport2003

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17歳からのメッセージ?[受賞作品集]??銀賞?21真冬であるにもかかわらず、私の額からは汗がボトボトと流れ落ちていた。久しぶりに天神での買い物を楽しんだ帰りの電車の中で、私は急に具合が悪くなってしまったのだ。最初のうちは必死に我慢をしていたが、だんだん立っているのさえも辛くなり、私はその場にしゃがみ込んだ。とにかく席に座りたいと思い、重い頭を上げてみたが空いている席はなく、皆、携帯電話とのにらめっこに忙しい様子で誰一人として私と目を合わそうともしてはくれなかった。相変わらず、真冬であるにもかかわらず、私の額からは汗がボトボトと流れ落ちていた。私は最近、人と人とのつながりやふれあいの形がおかしくなってしまっているように感じている。「人と人」よりも「人と機械」のつながりの方が大切にされているということが、私は悲しくてしょうがない。実際に、あの電車に乗っていた人たちは、苦しんでいる一人の「人間」ではなく体温のない「機械」しか相手にしなかった。私は人の体温が感じられる社会に生きたい。自分が今何を大切にすべきなのかを正しく判断できる人でありたい。周りの人の気持ちを分かり、それに適切な行動をとれる人になりたい。みんな、一度メールを打つ手を止めて周りを見渡してみて。誰もがきっと「送られてくる文字」なんかより、あなたの「温かい心」を求めていることに気づくはずだよ。君は私より七年も後に生まれてきました。それなのに私は少しも姉らしくありません。まるで同年代の子供のようにすぐムキになってケンカをしてしまいます。でも本当は君のことが大好きです。君が生まれた頃、私は小学二年生でした。新しく増えた家族の君にその頃の私はやきもちばかりやいていました。今まで一人っ子として家族を一人占めしていた私は、君にその座を奪われて子供心にも嫉妬でいっぱいでした。でもそれでも私の後をトコトコとついてくる君は可愛くて仕方がない存在でした。そんな君も今では小学四年生。まだまだ私の中で赤ちゃんで止まっている君なのに日に日に成長していく君を見ているのはちょっぴり寂しいです。きっとそのうち、もう一緒に遊んだりはしなくなって私の知らない君になっていくのでしょう。それでも生涯、君が大好きです。ケンカをしてどんなに君のことなんかもう嫌いだと思っても結局最後は君の笑顔でそんな感情は消えうせてしまう。運動会を見に行ってもまるで君の周りだけ輝きがあるかのように見え、すぐ君を見つけられる。どんな子よりも君が一番可愛いと思ってしまう。そんな私はきっと誰よりも姉バカなのでしょう。私の弟としてこの世に生まれてきてくれてありがとう。それだけをただただ感謝します。いくつになっても君は私の弟です。君のことが大切で大好きです…。「どうして住居学に進みたいの。」進路についてそう聞かれて私は、将来の夢を持った最初のきっかけを忘れかけていたことに気づいた。その時は慌てて「自分が住みたいような家に住めたら楽しいから」と答えたが、私がインテリアの仕事をしたいと思った背景には一人の友人が存在した。ある年の5月、私は毎日のように友人Hの原因不明の悩みに悩まされていた。Hは、前向きな心をほとんど失っていたと同時に、私服では黒い服ばかりを着ていたのだ。それがきっかけで私は、色によって心のケアをする色彩心理学というものに出合った。この色彩心理学を知った時、もしかしたらこの方法で、Hのような人を救うことができるのではないか、と思いはじめた。そしてその思いがいつしか、色彩を使った空間で人の心を救うことができるのではないかという思いに発展し、住居学を学びたいと思うに至ることになったのだ。今になって思うことだが、もしHと出会っていなかったら、色彩心理学とも住居学とも出合わなかったかもしれないのだ。残念なことに、そのHと私は、ここ一年ほどまともに口をきいていない。このまま一言も口をきくことなく高校を卒業することになるかもしれないし、それならそれでよいと私は思っている。しかし、もし、インテリアの仕事に就く夢がかなったら、その時はHに、この夢の実現までの経緯をすべて伝えようと思っている。もし、作りかけていた物が途中で壊れてしまったら、あなたならどうしますか?昨年の、中学最後の文化祭前、私は美術部に入っていたので、作品作りで大忙しでした。この年は、数名で一つの物を作っていたのですが、一人の部員が制作途中で落とし壊してしまいました。しかし、誰もその子を責めたりしませんでした。その子を責めてもどうにもならないし、それよりも、これからどうするかを考えなければいけないということをみんな分かっていました。その後、みんなの考えがまとまり、私たちは、作り直すのではなく、壊れた部品で違う物に作り変えました。文化祭当日、展示場所には多くの人が作品を見にきてくれました。初めに作ろうとしていた物よりも、たぶん作り直した物の方が人気があったと思います。これは、けがの功名だと思いました。このことは、部活に入って、みんなで何かをしていなければ、経験できなかったことです。人を責めてもどうにもならないということや、一つのことにこだわり続けるだけより、他の考え方をするのも大切だということなど、私一人では思いつかなかったことも教えてくれます。人と関わることで、さまざまな発見ができます。だから私は、これからもたくさんの人とふれあうことができるといいなぁと思います。私は絶対に人前で泣かない。恥ずかしいから。弱い自分を見せたくないから。自分には辛い事なんて一つもないように見せたいから。涙を人に見せたところで何の得にもならないと思っていたから……。だけど、涙というのは必要だから存在するのだとわかった。それは、私が引っ越す事が決まった時だ。私にはどんな時でも一緒にいて、とても仲の良い友達が家の近くにいた。その友達とは本当の姉妹のように仲良かった。私は、その友達に引っ越す事を言えずにいた。言うと泣いてしまいそうだったからだ。私はまた強がってしまったのだ。私だけが悲しい思いをするのは嫌だと…。しかし、話をした瞬間、友達の目から涙がこぼれたのだ。そして、一緒に泣いた。友達も私と同じ気持ちなのだとわかった。その時は特に話はしなかったけど、その涙だけで二人の仲がいっそう深まった。泣くことが何の得にもならないと思っていたことが間違っていたと、この時気付いた。涙は時には必要だ。うまく話すことができなくても、涙だけで気持ちが伝わることもあるのだ。私には車椅子生活をしている兄がいる。仲が良く、買い物などに行くといつも一緒に行動するほどだ。しかし、出かけるたびに困っていることがあり、そのせいで兄は外出を楽しめない時がある。それは車椅子に関することだ。デパートなどに行くと車椅子専用駐車場というのが店の入口にあり、車椅子で乗り降りしやすいように広くスペースがとられている。しかし、そこに車椅子でもない人が必ずと言っていいほど車を止めていることがある。強制的に「そこに止めるな」とも言えないし、一般駐車場だと乗り降りするのが一苦労。やはり、そのスペースは空けておいてほしいもの。それから、気になるのが子供の視線。大人はそこまでひどくな福岡県立明善高等学校(福岡県)原田伊織さん人の体温が感じられる社会に平安女学院高等学校(京都府)深井りんさん弟へ三重県立宇治山田高等学校(三重県)松井里奈さん壊れた作品から……不二聖心女子学院高等学校(静岡県)別府美奈子さん無題佐賀県立厳木高等学校(佐賀県)松本絵理香さん車椅子についての理解を求める長崎市立長崎商業高等学校(長崎県)松本麻由さん涙の大切さ