17歳からのメッセージReport2003

17歳からのメッセージReport2003 page 25/76

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17歳からのメッセージReport2003

17歳からのメッセージ?[受賞作品集]??銀賞?23と携帯でメールしているときのことだった。私は『メール』という気軽に何でも言えてしまう交渉の中で、軽い気持ちで言った言葉によって、友達を怒らせてしまった。返ってきたメールから、かなり怒っていることがわかった。「急いで謝らなきゃ…」という気持ちが心の中を満たしていった。私は、一生懸命言葉を選んで謝った。しかし、もうメールは返ってこなかった。翌日学校では、気まずくて話すことができなかった。「今も怒ってる?」「私のことどう思ってる?」そんな疑問が次から次へと浮かんでくるが、声に出して聞くことも、メールをすることも怖くてできなかった。ただ辛くて涙が溢れてきた。今まで「メールは素直に何でも言えるからいい」なんて思っていた自分をばかだと思った。なぜ、「逆に人を傷つけやすい」という簡単なことに気付かなかったのか…。本当に自分に腹が立った。今も彼とは話すこともメールをすることもできないままでいる。もう夏休みは目前だ。私たちはいったいどうなってしまうのか。私は、また彼と向かい合って笑って話すことはできるのだろうか。お願い。誰か教えて…。今、僕にはとても気になっていることがある。それは何気ないもので、別段どうってことのないほどに小さな問題だ。些細なわだかまり…けれど、確実にこの胸に蓄積されているもの。人と話をしている時に、たまに聞く言葉のことだ。僕が尋ねて、相手が答える。「…どうして?」「…なんとなく」日常のささやかな談笑で使われるだけじゃない。こちらが真っすぐな眼で問いかけた時でさえ、これが答えとして返されることがある。曖昧な返事。耳にする度に、否応なく疑問が浮かび上がってくる。僕なんかに本気で話すことは何一つないとでも言いたいのか。それとも自分の考えを言葉にできないほど頭が悪いのか、いや、そもそも自分の考えすらないのか。まさかそんなはずはない、と思ってみても、どうしてもこの疑いを消すことができない。人と人は、心の底から繋がり合うことなんてできない。自分の伝えたいことの何割かを言葉に託して、そのまた何割かが相手まで届くように願う。それで精一杯のはず。だったら、できる限り自分をありのまま、より真摯に相手に伝えたいと、誰だって思うはずだ。それなのに、言葉を大切に扱っている人は少ないように感じられて仕方がない。伝えたいと願う心が自分にあること、伝えるための言葉が自分にあること。その意味に、気付いているのだろうか?…だから僕は、言葉を紡ぐ。それがたとえ自分の無知をさらけ出すだけの行為だとしても、こうして。私は立っている。私たちはきっと自分の足で、自分の力で立っていると思い込んでいる。周りから見れば、きっと一人で立っているように見えるだろう。だけど本当は足や体を支えてくれるから立っているのだと思う。私たちには友達・家族・大切な人がいてくれる。だけどその人たちとぶつかり、立てなくなってしまうときがある。それが「思春期」だと思う。自立してれば、ちょっとくらいのことで倒れたりしない。だけど歩くにもふらふらでどこへ向かって歩けばいいかさえもわからない私たちには、少しの衝撃も大きく感じ、立ち直るのに誰かを傷つけて助けを求めるなど、うまく気持ちを伝えられないで立ち直ろうとする。それが間違っていることも素直になればいいこともわかっているが、どうしてもできない。みんなは、そうやって自分で立てるようになるのだと言うけれど、今の私たちは”自立“するために何を学んでいるのかわからない。こんな迷路からいつ抜け出せるのだろう。いつ”自立“できるのだろう。「痛い!!痛いよぉ? !!」下校中電車に乗っていると、何処からか子供の声が車内に響き渡った。「何が起こったんやろ?」私は一緒に帰っていた友達と、二人で話し合っていた。でもすぐにその謎は解けた。なんと五才くらいの男の子の腕が停車中の電車のドアに挟まっているのである。私たちの目の前で必死の救出作戦は始まった。一人のおじさんが出て来て「オイ!!そっちの人たちも押して!!せ?のっ」と声をかけ始める。何と頼もしいのかっ!!そのおじさんに続いて車内の人たちも必死で男の子の腕を抜こうとするが、一向に抜けない。男の子はずっと悲鳴をあげている。すると車掌さんが棒を持って飛んで来た。棒で隙間を広げる作戦のようだ。みんなも手伝う。次に石鹸水を肩からかける作戦を遂行する。これは成功だった!!男の子の腕はやっとの思いで解放された。感動のあまり涙が出そうだった。決して大げさではない。みんなもきっとそうだったと思う。現にその場は拍手の音でいっぱいだった。私の胸は人の温かさでいっぱいだった。人は力を合わせると、こんなに温かくて力強くて大きいものになるんだ。普段はしんどそうなサラリーマンも携帯ばかりいじくっている若者も、お金にしか興味がなさそうな政治家も、みんな心の奥には温かい何かがきっとある人だ。さっきの頼もしいおじさんは、今はもう他の人に紛れて普通の人と化している。(日本も捨てたもんじゃないな)私はちょっと安心して家に帰った。大阪府匿名希望自分の足で愛知県匿名希望言葉というもの大阪府匿名希望満員電車のヒーロー達☆