17歳からのメッセージReport2003

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17歳からのメッセージReport2003

17歳からのメッセージ?[受賞作品集]??銀賞?27人と接することが嫌なわけではない。別に苦痛とか、そういうのでもない。ただ一人の時間がとても好きなだけ。グループの中での会話中の愛想笑いは、とても切なく悲しい気がする。それにくらべて一人になるのはとても楽なことで、一人きりの自分っていうのが生きてる中では一番自分らしいと思う。この時の自分は本当に自由だ。周りに左右されずに好きなことができるし、好きな所へだって行ける。昔、自転車を手に入れた時、町全体が遊び場になったように、今僕は「時間」を手に入れた。何処へだって行ける。何だってできる。何にだってなれる気がする。今度は世界が遊び場になったんだ。そうだ、いっそのこと旅に出てこの世界中を歩き回ろう。カメラでその地の風景を撮りながら、安いホテルを拠点にして四日から五日を目安に、また他の地へと移動する。電車やホテルの窓から見る景色は五日ごとに変わり、毎日が新鮮で毎日が感動の日々の連続。その地の人々とふれあい、短い時間だけどたくさんの思い出を残し「また来るよ」と、その地をあとにする。世界中旅をして何年かぶりに日本に帰ってくると、我が家のなつかしさのあまり、のんびりとくらしていく。そんな日々をくらしていく中で時間をもてあました自分は公園のベンチでふと空を見上げてこう思う。「今度は空へ行こう。青い空へ」と、夢と希望をたよりに荷物をまとめてかけ出して行く。青い空へ。思いたったら何でもできるんだ。私は、去年の8月から3月にかけて行われた林野庁、文部科学省主催の「森の聞き書き甲子園」に参加しました。「森の聞き書き甲子園」とは、全国100人の高校生が、森の名人・名手にインタビューして、その内容をまとめることです。私は、愛知県小原村のぶり縄と呼ばれる林業の枝打ちをする時、木に登るために使う道具の名人の池野保次さんのインタビューをしました。自分の感じた池野さんは、「ぶり縄の名人」ではなく「人生の達人」でした。池野さんはただ毎日木の枝打ちをして過ごしているのではありません。鶏を飼ったり、短歌を詠んだり、自分専用のアトリエまで作って小原村の風景を絵にしたり、お金に余裕ができたら海外旅行をしたりととても大正生まれとは思えない若々しい活動ぶりです。池野さんは「何事も楽しむことが大切」と言っていました。きっと池野さんにとってぶり縄は、山を楽しくする道具の一つなのだと思います。私は、この聞き書きした文章に「大樹晩成」という題名を付けました。これは器の大きな人物になるには時間がかかるという意味の四字熟語、大器晩成から大器を大樹に置き換えて作った造語です。私は将来、大樹を晩成させることのできる仕事に就きたいと思っています。そして夢を叶えるまでに、どんなに苦しくても、楽しんで生きていきたいです。私はいつも笑っている。本当に、何がおかしくて笑うのか、怒りを紛らわせるために笑うのか。おかしくても、悲しくても、怒っていても私は笑う。人は何故笑うのかと考えたとき、人間関係を円滑にするためと答えるのが妥当だろう。が、笑うことは、相手の考えを遮断し、突き放す要因の方が大きいのではないかと思う。私は人間関係の煩わしさから逃れるために笑うのだ。だから、赤面して感情的に自己主張する人らを見ると、思わず鼻で笑いたくなるのだ。彼らにしてみれば、我を貫き相手を説き伏せることを良しとするだろうが、何とも大人げない行為ではなかろうか。それが恥辱であると気付かない、人とは何と滑稽な生き物だろう!自我を押し殺すことで得た、優越感という特権の下で、そんなことを考えながら私は密かに喜びすら感じているのだから。察しのとおり、学校などの組織生活の中で明らかに私の立場は低い。そんなことは構わない。しかし私にも人並みのプライドはある。立場相応の扱いを受けることには耐え得るが、ナメられることには怒りを覚える。ただそれを顔には出さない。何故?ぎこちない人間関係は好きじゃないから。だから私は笑う。冷たい顔、空しい笑い。顔で笑ってても私怒ってるんだよ?泣いてるんだよ…。誰かに理解してもらいたいわけではない。ただ、私は我を消し孤独に身を置きながら漠然とこう感じるのだ。笑うって淋しいことなのかもしれない、と。僕は小学校五年生の時、学校の部活動として茶道と出合った。二年間小学校の部活動で単なる入門の域で学び、その後、幸い中学校にも茶道部があり、もちろん入部した。中学校二年生の時、普通ではまず出会えないほどの先生、それは先生自身、本当の茶ちゃ道に対する悟り、自分の筋の通った解釈を持っておられる方に縁があり、本格的に茶ちゃ道として学び始めました。そしてその先生の影響をフルに浴び、年月を経る度に自分の茶ちゃ道に対する理解度が向上しているのが手に取るようにわかります。以前は漠然と『茶ちゃ道』というただ単に「お茶を差し上げる、いただく」という、ある一種の方法としか考えられなかった。しかし先生がいつもおっしゃる『利休さんの茶をしろ』ということ、それはいわゆる『侘び』というものの中で一碗に出される茶、濃茶といわれるもの、たったその一碗の茶に対し、どれほどの心意気、それへの込め方等一つ一つの大切さというものに対する考えを教わるにつれ、今までの僕の茶さ道観は百八十度切り替えさせられたものです。僕が今伝えたいことは、茶ちゃ道とは畳一畳から広がる無限の世界があり、そこには答えを見つけるのに一生かかる世界があるということです。全く禅の道と同じ・・ということでもあります。私は今、単位制の定時制課程の高校に通っています。自分で決めた時間帯に登校し、大学のように単位を取得して卒業という、できて七年目の新しい学校です。私は一年前まで、近隣で一番”良い“とされる高校に通っていました。しかし、父が多額の借金を残し蒸発してしまったのです。私は生活費と弟の授業料を稼ぐために、学校をやめました。しかし、自分の夢を実現するためにもう一度高校に通うことにしたのです。この学校には様々な人がいます。身体に障害のある人、前の学校に馴染めなかった人、不登校だった人、社会人や主婦の人。友人には、演劇を続けるためという人もいます。そんな人たちとの触れ合いの中で「人の生き方に”正しい“ものはない」と考えるようになりました。以前の私は”良い“生き方だったのかもしれません。しかし、それを”正しい“とは言い切れないと考えたのです。以前の私では、この考えにはたどり着けなかったでしょう。考え方や「当たり前」を変えることは容易ではありません。ですから、まだまだ私の生き方は受け入れられにくいでしょう。ですが、私の通っている学校のような高校の必要性が、年々高まっていくのは確実です。この事実に目を向けて下さる人が少しずつでも増え、将来どのような人でも周りの目を気にすることなく、自分の意志を突き通せる選択ができる社会へと少しずつ変化していくことを、今切実に願っています。福岡県立博多青松高等学校(福岡県)奥野由佳梨さん生き方について愛知県立安城農林高等学校(愛知県)伊藤登志夫さん大樹晩成自由課題近江兄弟社高等学校(滋賀県)安藤宗純さん青空へ岐阜県立岐阜総合学園高等学校(岐阜県)伊藤麻衣さん顔京都市立紫野高等学校(京都府)岡本伊織さん僕の茶道