17歳からのメッセージReport2003

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17歳からのメッセージReport2003

17歳からのメッセージ?[受賞作品集]??銀賞?31生きるということにどんな意味があるのか。いや、そもそも生きること自体に意味はあるのか。祖父の冷たくなった頬に触れて、私の中の”生と死“への漠然とした疑問が一つの形となった。「私は何故生きているの?」勉強している時、友達と話している時、ご飯を食べている時、ふとした瞬間に襲ってくる、この誰でも一度はぶつかるであろうありふれた根源的な問いになんとか答えようと、私はあれこれ悩んでみたりした。輝く未来を掴むため、両親に授かった命を謳歌するため、まだ見ぬ誰かに出会うため。でも、どうしてもこれだというものが見つからない。どんなに理由付けしても「どうせいつかは死んでしまうのに」という消極的な反論が生まれる。たかだか百年の短い命。死んでしまえばそれで終わりの、あっけない命。それは確かに生と死の厳然たる一面だ。結局、しばらく悩んだ挙げ句私はこう考えることにした。「無意味だからこそ、私は生きている」。意味とは、所詮後付け。無理な意味付けは、自分の本当の姿を曲げかねない。むしろ、無意味だからこそ、自分の人生を他の誰でもない自分自身で見つけだせるのではないかと、そう思ったのだ。しかしまあ、なんと言ってもまだ十六歳。平均寿命の五分の一も生きてないのだ。人生の酸いも甘いも私は知らない。ならば、何者にも縛られることのない人生を価値あるものとしていくことが、今の私の生きる意味なのかもしれない。小さな猫が生まれました。名前が付いて、飼い猫となりました。その猫はとても可愛がられ、猫もまた期待に応えようとしました。同じ時期に生まれた猫たちもまた同じように可愛がられ、期待に応えようとしました。一匹の猫が綱渡りをし始めました。一匹は成功し、二匹、三匹…と成功しました。ところが、そのなかで失敗した猫もいました。太った猫、足を怪我した猫、臆病な猫…。でも親猫はこう言います。やればできる。さあおやりなさい。猫はそれでも綱をわたることができませんでした。猫はこう思いました。僕はやってもできない。無理だ。それでも親猫はこう言います。やればできる。さあおやりなさい。猫はこう思いました。僕はやってもできない。無理だ。僕はやってもできない。無理だ…。その繰り返しが続き、とうとう猫は決心しました。僕はやってもできない。無駄だ。猫はいろんなことをいっぱい考えました。たくさんたくさん考えました。でも答えは見つかりませんでした。見つかるはずがありませんでした。猫は一つだけ思うことがありました。思ってはいけないことです。可愛がってくれた親猫が付けてくれた名前。名前だけは残そうと。そう思ったのです。その名前だけを残して…。私は思うことがあります。今鏡に映っている人は本当に自分で、自分はこんな顔をしているのかと。自分自身を見るのは、鏡、ガラス、写真などを通してしか自分の目で見ることができません。だから、本当に自分の顔がどんなものなんだろう、と不思議に思ったりします。自分のことは自分がよく知っている、という人もいると思うけれど、私は自分のことをよく知りません。自分の性格、良い所、悪い所、全てを知っているわけではありません。そんな時、ふと、自分の行方がわからなくなったりします。自分は確かにここにいる、多分いるはずなのに、というように矛盾が生じてしまいます。自分はどこから来て、どこに居るのか。今している動作は本当の自分がしているものなのか。私の夢の中で、なぜ自分の目からでなく第三者として見ているのか不思議です。なぜ夢の中で、自分は空想の世界を見ているのか、なぜ夢の中の自分は二人なのか…と。皆さんはそう感じたことはありませんか。きっと私と同じ思いをしている人が、どこかに居るはずです。迷宮の世界へ。私はこの前何気なく乗ったバスで違和感を感じた。気づけばその運転手は女性だったのだ。バスの運転手が女性というだけで驚くことはないだろうと思われるかもしれないが、大げさだが私はこの十七年間運転手が女性であるバスに乗り合わせたことがなかった。皆さんも気づいてほしい。男女平等といわれるこの社会の中でたくさんの仕事が男性のみで運営されていることを。ところで私がこんなにもその女性が印象に残り作文を書くに至ったわけは、彼女の客に対する振る舞い方に感銘を受けたからだ。そのバスに偶然目の不自由な方が乗ってきた。彼女はその人が安全に席に着けるように配慮し、事前に降りる場所を尋ね、その停留所ではゆっくり長めにとまることを他の客に了承させた。その停留所に着くと彼女は段差があることを丁寧に説明し、その障害者は安心したように降りて行った。こんな光景も初めてだった。女性ならではの細かい心配りがバスの雰囲気をこんなに良いものにするとは思わなかった。今まで男性だけだと思われていたものに新しい風が吹き込んだ。男女雇用機会均等法が制定されたが、未だ女性の方が就職の枠が狭い。日本人はあまり問題を起こしたがらず従来通りにしたがる傾向が強いが、このバスの例のように新しい風を吹かせ、新しい発想によって物事が進めば新しい問題も生まれるかもしれないが、新しい良い仕事内容にすることもできるのだ。コマは漢字で独楽と書く。自分の勝手な見解ではあるが、独楽=独りで楽しいという意味があると思う。つまり独楽は独り(一人)遊びの類ではないだろうか。独楽とは書いたものの、独楽が勝手に回り出すわけではない。独楽はやはり人が回すものだ。独楽という字は独りでは何もできない人間への喝だったり、独りでも遊べる喜びの提示として遊ばれているのではないだろうか。独楽について考えたとき、独楽とは人間関係を形にしたようなものだと思った。目には見えないが、独楽は大気をまきこんで回っているらしい。それは人間関係においても同様である。人間は人生という回転の中で人をまきこんで回るのである。これを人は人間関係と呼ぶ。たとえ家の中の一部屋にいても、周りに人がいるならば自らの意思に関係なくまきこむ。つまり人間は独楽なのだ。だからこそ人は誰かの力によって人生という回転をしているのである。生まれた瞬間から誰の力も借りずに生きることができないように。一人のものでない力に感謝しなくてもいい。当たり前に近いものには感謝しにくいからだ。逆に謝ってみてはどうだろうか。人を回転にまきこんだことを。やはり人は一人で生きるには難しいようだ。一期一会という言葉がある。雰囲気と今までの経験からある程度の意味は知っていたが、実際に辞書をひいてみようと思った。通学には電車とアストラムラインを乗り継いでいる。片道一時間以上かかる通学時間で、本を読んだり、ウォークマンで音楽を聴いたり、参考書を広げてあからさまに”受験生“を気取ったりもせずに、ただ一人ボーッといつまでも変わらない外の風景を眺めている。”時は金なり“この言葉を言った人がこの時間の過ごし方をみれば、どれだけ嘆くだろうか。そんなことも考えながら毎日毎日同じように電車に揺られていた。ある日の電車で感じたことがあった。自分と同じ時間の電車に高知県立高知小津高等学校(高知県)筒井香央里さん迷宮の世界広島女学院高等学校(広島県)田原千愛さん無意味だからこそ価値のある人生大阪府立三国丘高等学校(大阪府)辻林良さん名前京都女子高等学校(京都府)戸田晴菜さん社会に新しい風を島根県立大田高等学校(島根県)富田正博さん独楽の回転と人。広陵高等学校(広島県)中田大介さん出会い