17歳からのメッセージReport2003

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17歳からのメッセージReport2003

17歳からのメッセージ?[受賞作品集]??銀賞? 32決まった数人が乗る。当たり前だ。現に自分もその数人から見ればその一人だ。その人たちにとって自分がどんな風に映っているのだろうか、なぜだかそれが気になってしかたがなかった。もし自分の人生を一つの物語とすれば、その人たちはほんの一瞬でしか登場しない脇役かもしれない。たぶんその人たちにとっても自分という存在はその程度なのだという結論に達した。数ある出会いの中で同じ電車に乗ることができたという運命。自分がこれから歩んで行く人生の物語の上で、こんな出会いを大切にしていくべきなんだと感じた。一期一会…生涯にただ一度の出会い。だからこそ大切にすべきなんだ。私は最近、長い間、明るくしていた髪を黒に戻した。私の思い違いかもしれないけれど、遊んでいてもナンパやキャッチに声をかけられる機会が減り、逆に道を尋ねられたり、年配の方と話をする機会が増えた。友達の中には「絶対に前の方が良かったで!!!」って言う人も多くいる。多かれ少なかれ、髪の色は私の第一印象となり、あたかもそれは私の性格であるかのような印象を与えるのだ。なぜ私は髪を明るくしていたのだろう?髪を黒くして3日ほどは「こんなん私じゃない」と思っていた。しかし日が経つにつれ黒い髪でつくられた第一印象の私に私自身は慣れ、疑問が生まれた。髪の色を変えて本当に変わったモノは何なのだろう?髪の色を変え変わったモノ、それは髪という私の1%にも満たないモノがつくり出す、”第一印象の性格“だ。私は遊ぶ生活を理想とし、それを近づけていたのだ。私は空手道を本気でやろうと思い髪を黒くした。今は”第一印象の性格“を変えるためではない。月に1回染め直すのが手間に感じるようになり、何より今一番本当にやりたいことを本気でやろうと決意したからだ。前一番やりたかったことは、今はどうでもいいことになり、別の今一番やりたいことをしようとしている。髪の色がどうであれ自分は自分。本当は何も変わっていないのだ。”第一印象の性格“をつくりたいならつくればいい。私は今やりたいことを今本気でやっていく。私は昨年の夏休み、オーストラリアに1カ月間語学研修に行っていました。一緒に1つ年上の女の子も行きました。飛行機に乗り込むまでは、親と一緒にいたので、飛行機に乗って初めて言葉を交わしました。私たちは、すっかり仲良くなり、1カ月楽しみだねと想像を膨らませていました。シンガポールで乗り換えのためにパスポートを出した時、私は何か違うなと感じました。それはパスポートの色が違うことでした。まだその時は、このことには触れずにオーストラリアに向かいました。しかし、入国手続きをしている時、書いている名前の違いに気付き、彼女に思い切って聞いてみると、私、在日韓国人なのという答えが返ってきました。初めは驚いたけれど何も変わらないんだと思いました。1カ月の間彼女の体験したつらいことなどいろいろと教えてくれました。彼女は時々、私は在日だからと気にしなくてもいいことに傷付いたりしていました。でも本当の友達として接しているうちに何も気にせず会話ができるようになりました。私は、信頼関係が生まれたのかな、とうれしくなりました。彼女と出会い、いろいろなことを学んだと思います。私にとって本当にいい友達ができました。1年生の頃、僕は最善を尽くして日々過ごしているつもりだった。でもそれは、言い訳や妥協を大いに含んだものだった。結果、勉強も遊びも中途半端な1年間だった。僕は2年生になった。このままではいけないという危機感を感じていた。その頃、文化祭に向けてダンスメンバーを募集している女子がいた。自分を変えるチャンスだと思い、迷わず参加を決めた。女子18名、男子1名が集まった。女子ばかりというのは、もうどうでもよかった。練習は、手本のビデオテープを見てはマネするということの繰り返しだった。早朝と放課後、毎日行った。筋肉痛、睡眠不足にもなったけど、手を抜かず、本気で練習し続けた。そうしないと、今年一年、また中途半端に終る気がしたから。ついに文化祭当日。気持ちいい緊張感の中、全てを出し、踊りきった。会場が拍手で沸いた。爽快だった。会場から出ると、汗だくだくの中、みんな笑顔あり涙あり大声ありで喜んだ。何か一つのことを、みんなで協力して、本気で、最後までやり通すという経験は初めてだった。それは、僕でもやればできるんだという自信もくれた。その後、いつもやる前からあきらめていた生徒会選挙に挑戦した。そして美化保健委員長に当選した。勉強も集中できるようになった。今年は、充実した1年になりそうだ。ダンスメンバーとあの時の自分に心から感謝すると同時に、拍手を送りたい。おおきに、パチパチパチ。今、私は生きている。生きている、はず。感覚がない。生きている感覚が。二次元がすき。三次元は残酷。アニメがすき。ドラマがすき。メールがすき。チャットが好き。瞳めを見られなくてもいいから。三次元がすき。二次元は冷酷。家族がすき。友達がすき。先生がすき。風がすき。緑がすき。土がすき。私を見ていてくれるから。ライブを見に行った。テレビの中にいるはずの人が、目の前にいる。すぐ目の前にいる。でも。全然リアルに感じられない。家に帰る。いつもの家族。いつもの部屋。いつもの蒲団。私は何をしていた?必死に頭を掻きまわす。何を見た?何を聴いた?その時間は存在したのか?不安。不安。不安。不安。日常が現実。非日常は夢。だからあれは夢。とても心地のよい夢。そこにいたのは”わたし“じゃなくて”ワタシ“。”将来の夢は何?“近頃よく聞くことば。私にそれを訊いてくる。あなたは夢を持った人?持っていない人?私もあなたに訊きたい。”私たちに将来はあるの?“何処かに行きたいな。何処に行こうかな。何処に行けるかな。何処かに行かなくちゃいけないのかな。何処にも行きたくない、な。最近、身近な人が二人も亡くなったからか『死』について深く考える事が多くなった。父は私に言った。「とても残念な事だけれど、二人とも寿命だったんだよ」と。確かに死は必然だ。死なない人はいないし、『形ある物いつか壊れる』という言葉も事実だと思う。では、死が必然ならば、生は偶然なのだろうか。私は十七年間、車に当たることもなく、死に至る病に冒されたこともなく、銃弾の飛び交う街にも住んだことは無い。これらは全て偶然だ。私は『偶然生きている』に過ぎない。そして、『偶然にも死ぬことがなかった私』は『必然的に死ぬ』のだ。しかしそこで、もうひとつ疑問が湧いてくる。もしも事故に遭って死んでしまったらどうなるのだろうか。『偶然遭ってしまった事故』で『必然的な死』を迎える。『偶然が手繰り寄せた必然』、それは果たして必然と呼べるのだろうか。あるいはこんな考え方もある。『人の寿命は生まれた時から決まっていて、その時に必ず死ぬ』のだとすれば、先程述べた事故に遭って死ぬという仮定も『必然的な死』を迎えるための『偶然大阪府立泉陽高等学校(大阪府)原田知佳さんlife神戸市立葺合高等学校(兵庫県)新阜耕三さん本気のダンスセントヨゼフ女子学園高等学校(三重県)中本千晴さん人との出会い立命館高等学校(京都府)中永雅美さん髪色変えたら変わること聖心ウルスラ学園高等学校(宮崎県)野田彩由さん誰からでもなく誰でもいい誰か