17歳からのメッセージReport2003

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17歳からのメッセージReport2003

35 17歳からのメッセージ?[受賞作品集]??奨励賞?”自分の本当の気持ち“それは意外と、今の気持ちとは異なるものだ。先日私は初めてそう思った。最近私は何かにつけて「嫌だ」と言うのが口ぐせになっていた。しかしある日、それを見かねた母に「じゃあ好きな事だけやってみれば?」と言われた時、私は言葉を返すことができなかった。「もし何もしなくてよかったら…」そう考えるととたんに自分が何をしたいのか分からなくなった。「ただひたすら遊び続けて本当に楽しいだろうか…?」色々考えた結果、結局私がしたかったのは、これまで嫌だといってやってきたことをやり抜くことだった。つまり私が嫌だったのはその事柄ではなく、それをできない自分、しようとしない自分だったのである。今まではそんな風に考えたこともなく、その結論に自分でも驚いた。しかし『言うは易し』とは正にこのことで、そうは思ってもそれを実行に移すのはきわめて困難であることも同時に知った。しかしこれに気づいた今からは、何に対してもすぐに「嫌だ」と言うのはもう止めようと思う。そして自分の欠点を素直に認め、それを改善していく力を身につけられるように努力していきたい。私は、赤ちゃんの時から生まれつき足が悪かった。病名はよくわからないけど、「骨の病気」らしい。私は三歳、五歳の時手術をした。まだ小さかった私は、つらくて泣いたこともあったようだ。三歳の時はつきそいを許可をしてくれたが、五歳の時は、四月から小学校入学だからといって、手術が終わって個室にいる時はつきそってくれたが、大部屋にいってからは、一人で寝ないといけなかった。初めの日は、大泣きをして看護婦さんや大部屋の人にめいわくをかけてしまった。でも、すぐに慣れて一人でも寝られるようになった。あれから十一年間、今までの自分は甘えていた。理由は、足が悪いからだ。私は、いろんな人に甘えてばかりいた。私にとって反省することばかりで、これからの自分は、人に甘えない、頼らない人になりたい。そして困っている人がいたら助けられる人になりたい。あと、一人でも生きていける大人になりたい。だから将来の夢を見つけ、「最後まで、あきらめない」で一歩一歩、夢に近づきたい。私はこの「最後まで、あきらめない」という言葉が好きだ。この言葉は、私の一番尊敬する人から、教わった。だから、その人に感謝したい。「ありがとう」と言いたいけど、もうその人はいません。だけど、きっと届いていると思う。心から感謝をしているから。そしてこの十六年間親切にして下さったみなさん、ありがとう。私を含め今の”若者“は何枚ものお面をかぶっている。両親に見せるお面、友達に見せるお面、先生に見せるお面、昨日のお面、今日のお面…人によって持っているお面の数が違う。お面を持たない人なんていない。友達との会話の中で出てくる「本音トーク」なんていう言葉や「素で話そう」なんていう言葉はお面をかぶりながら発しているのだろうか。環境に適応しやすいことは”良いこと“とされている。何か物事を決める時も、多少の譲歩は必要だし、スムーズに解決できる。何を決める時も自分に合わせている友達を持ったことがある人はわかると思うが、いつの間にかうっとうしくなってくるものだ。”合わせる人って嫌い“なんて言う自分が、また”みんな“からはみ出ることが嫌で、人に合わせてしまう。ここにもお面の存在がある。お面は外せばいいわけではない。たくさん持っていてもいいわけではない。大切なのは、人と知り合っていく過程でお面をかぶっていることを自覚し、外そう、と思う気持ちである。「本音」が何か、どこからだなんて定義はない。相手を知っていく中で、自分をどこまで伝えられるかも勝負なのである。生身の人間同士のコミュニケーションは難しい。それは相手のことを知らないからだ。自分を知り、相手を知り、自分を伝えることが、お面にさようならを言う第一歩だと思う。私には、支えになる言葉がある。昔から言葉には、魂があるといわれている。本当にそうだといえる、言葉に気づいたのだ。それは、「なんとかなる」だ。私はこの言葉が大好きだ。だがこの言葉は、危険でもある。使う人の解釈によって、様々に変化してしまうからだ。逃げにも使えるこの言葉で、私は逃げていた。ただひたすらに、ボーッとしていた。勉強にも身が入らず、何も考えずにいた。1日を寝て起きるだけの生活だった。今から見れば、何がよかったのだろうと思えるくらいだ。友達もそうだった。周りも同じような感じであった。自分だけではないという安心感もあったのかもしれない。もちろんこんな生活では、毎回のテストは悪い。生活態度も悪い。そんな時の自分への言い訳は、「なんとかなる」だった。現実を知らない子供の言い訳である。だが年を重ねるごとに、本当にそうだろうか?と思うようになった。自分は間違っていると思いたくなくても、現実からは確実に逃げていた。そう気づいた時に、初めて本当の言葉の意味を知った。「なんとかなる」という言葉は、逃げのための言葉ではなく、自分を励ますためのものだ。自分が逃げないようにするためのものだと気づいた。今から逃げていたんでは、何もできない。私はやりたい事をしていきたい。だから逃げずに、「なんとかなる」というこの言葉と一緒に、現実に向き合っていきたいと思う。今まで、16年間生きてきて自分は何を学んだのだろうか。精神的にも学力的にも上がったのはわかる。しかし、人間としてはどうだろうか。現代の世界は子供のまま成長し大人になってしまった人たちが多数いるが、そんな人を見ると自分は成長しているのかな…と考えさせられる。大人と子供の境界線とは何なのだろうか。成人すれば大人?お酒を飲めるようになったら大人?誰でも大人になることはできる。ただ、自分の行動に責任を持てる人こそが大人といえるのではないだろうか。今、青少年による犯罪が増える一方だ。どうして、そのような非行に走ってしまうのか…親は本当に何も気付いてないのでしょうか。親が「何も知りませんでした。」と言うのはちゃんと子供のことを見るという責任を果たさない、親の無責任さの現れではないか。私はまだ、たった16年しか生きていないので、偉そうなことは言えませんが今の高校生から見ても、これだけの事を、思い考える事ができるということを決して忘れないでほしい。私たちも、これからの長い人生の中で何が起こるかわかりません。でも、私はちゃんと自立した大人になりたいと思う。そして、少しでもこの世から青少年の悲しい犯罪が消えてほしいと思う。今、この瞬間を思いっきり生きたいです…。立命館高等学校(京都府)石村若菜さんお面をかぶる人長崎市立長崎商業高等学校(長崎県)井上操さん今までの自分これからの自分今までの自分、これからの自分大阪府立三国丘高等学校(大阪府)明田祥子さん無題藤枝順心高等学校(静岡県)飯塚悠香さん自分にとって大切なこと大阪女学院高等学校(大阪府)泉谷葉子さん「なんとかなる」という言葉。