17歳からのメッセージReport2003

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17歳からのメッセージReport2003

17歳からのメッセージ?[受賞作品集]??奨励賞?39僕の体も心も、考え方も成長している。見えるもの、聞こえること、感じるものが変化している。僕は、生きてきた。感じてきた、考えてきた、悩んできた。成長してきた、変化してきた。僕は進んできた。僕の道は一方通行だけど、一本道ではない。行き止まりはない。僕は何かを感じていく。考えたり悩んだりしていく。成長していく、変化していく。僕等の道は一方通行だけど、一本道ではない。僕等は進んでいく。――生きていく。普段、街を歩いているだけなら日本人に見えるかもしれない。でも私は在日コリアンです。日本社会の暮らしの中で、常に自分が何ものであるか…と、考えているわけじゃないけれど、ふと、思うこともある。保健体育の教科書でよく目につく「わが国の…では」という言葉。自分にとっての「わが国」…海外修学旅行の説明会の注意で「万が一、街で迷子になったら大使館に行きなさい」という先生の言葉に「私はどの大使館に行ったらええかなぁ」と、冗談まじりで思ったりもした。いま、はっきりとした答えが出せたわけじゃない。でも、日本と朝鮮半島、両方のことを知ることは大事だと思う。私の「わが国」がどこであれ、何も知らないと好きにもなれないと思うから。現在、成人しても選挙に行かないという話を、たまに耳にすると、「何で?」と疑問に思うし、哀しくなる。住みやすく、いい社会にするためにも、大人には選挙に行ってほしい。そして私たちも、自分の街の市長さんがどんな人かとか、身近なところから関心を持つというのが、大事かなぁと思う。あの頃は、がむしゃらに好き勝手やっていた。目標なんて全くなかったけど、自分のやりたいことばっかりしていて、反抗するのが当たり前で、とにかくはしゃぎまわっていた。友達や自分やモノ、好き勝手やっていた中で得られたものは多かった。けど、友達や自分やモノ、失ったものも多い。そんなことを繰り返しながら、3年間ただひたすら、がむしゃらに生きてきた。夜中、高校に入ったばかりの年下がはしゃいでいた。凄く活気が溢れていて、自分にもこんな頃があったんだな、と3年間で初めて自分の過去を振り返ってみた。今のこいつらに3年後の自分自身が想像できるだろうか。3年前の自分にはとても無理だったろうと思う。今だって、自分自身の3年後なんて全く想像できない。どんなに考えても未来なんてわからない。本当にこれから先、何が起こるかわからない。これからは、今までの3年間でよくよくわかってきた。でも、今の自分には目標がある。過去を振り返ることができたおかげで、自分の目標がはっきり見えるようになった。これからの自分は、この目標に向かってただひたすら、走り続けていくしかない。それが、3年後の自分に少しでも近づくことができる方法だと思うから。高校に入ることを私はずっと望んでいた。というよりも中学から逃げたかった。中三というのは受験生であり、ストレスになってしまう子も多かった。そんな子たちの標的に私はなってしまった。毎日、学校への足どりが重く、つらかった。クラスでも男子の名前も覚えてないくらい話した覚えがない。日々の私の悩みの種は、休み時間だった。手紙を書く相手もいないのに適当に名前を作り、手紙を書いたり、友達を探しているかのように学校中を歩きまわったりしていたことを覚えている。一番楽しかったのは授業中だった。誰かと話す必要もなくて、楽だった。担任に相談しても担任は聞いてくれても、聞くだけだった。だから誰も信用できなかった。許せるかと言われれば本当に許せない。でもそんなことでは私も成長できないので、許さなければならない。だがその前に謝られた覚えもない。あっちにとっては一つの遊びだったのだろう。悲しいものだ。傷ついた方は忘れられずにいて、傷つけた方はそんな覚えもない。だが、この経験で私は強くなれた。私だけでなく、同じ経験をした人皆であろう。今は、高校生活を充実していきたい。マイナスには考えずプラスで考えていきたい。今私はとても楽しい日々を送っている。それが私の支えであり、生きる意味だ。私の人生、いじめという壁を作ってしまったことがある。それは忘れもしない、小学三年生の時だった。私は友人一人にとても酷いことをしてしまいました。私と友人二人でその友人一人の悪口を書いた手紙を屋上に置いてその子に取りに行かせたのだ。その子は屋上の影に隠れて静かに泣いていた。それなのにその時の私は笑いながら「ごめん」と一言…。そして日が過ぎていき、私はそのまま引っ越してしまった。次の学校ではとてもいじめが多かった。その時ふとあの時の記憶が頭をよぎった。そう、私がいじめていたあの記憶。その時初めて申し訳ない気持ちで一杯になった。私はあの時少し罪悪感があったけど、母に言うことしかできなかった。母は泣きそうな顔でめいっぱい私を怒った。その気持ちが今は痛いぐらいわかる。私はその気持ちを行動にうつした。その子に手紙を書いたのだ。返事はすぐに来た。その子からの返事は「大丈夫だよー。全然気にしなくていいからね。そっちの学校はどう?…」だった。私は全然これで許されたとは思っていない。だからこれからの私はもちろん、今の私も友人には親切にしようと思っている。今私は友人に恵まれているので幸せだ。「いじめがない楽しく、充実した人生」を目標にこれからの人生を歩んでいきたい。今、その友人に会えるのなら、一言「ごめんなさい」とメッセージを送りたい。本当に信じれるものとは一体何だろうか?そんな疑問を抱き始めたのは、高校一年のときだった。連日のように報道される政治家の汚職や殺人事件、果ては戦争まで。あらゆるところで”してはいけないこと“が行われている。政治家は「国を良くする」と言って選挙活動をし、通れば後の祭り状態。公約も果たさないのに、お金だけは人一倍貰う。お金に関しては”天下り“がいい例だ。あの人たちに罪悪感はないらしい。所詮そんなもんかとあきれてしまう。アメリカは他の国に「核を持つな」といい、イラク戦争まで起こしたが、自分の国は核を持っているという矛盾。矛盾という言葉を使えば世の中はある程度説明できるように思う。こんな社会で本当に信じれるもの。それは自分だ。自分の”確固たる信念“がなければ人に流され、悪いことも気付かず平気でやってしまうかもしれない。だからとりあえず経験する。”良いこと“の裏には”悪いこと“が隠れている場合もあり、”悪いこと“の裏には”良いこと“が隠れている場合だってあるのだ。初めから「こう」と決めつけないでいろんな経験をする、むしろしなければならないのが”今“だと思う。今のうちにその経験を生かし、本物を見極める力をつけたなら、これから社会に出ていろんな矛盾や壁にぶつかっても大丈夫な気がする。自分の人生を歩むのは他でもない、自分なのだから。兵庫県立尼崎北高等学校(兵庫県)中西美穂さん「ごめんなさい」の価値がわかった今京都府立京都すばる高等学校(京都府)中川哲光さん3年前鹿児島市立鹿児島女子高等学校(鹿児島県)永重智恵美さん今を作ってくれた過去熊本学園大学付属高等学校(熊本県)永野新太さん本当に信じれるもの大阪府立河南高等学校(大阪府)鄭明華さん知ること