17歳からのメッセージReport2003

17歳からのメッセージReport2003 page 42/76

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17歳からのメッセージReport2003

17歳からのメッセージ?[受賞作品集]??奨励賞? 40幼い頃からずっと抱えてきたこと、私は中度の難聴だ。人より不便な耳で育ってきた過程には、傷つくことも多々あった。授業で先生に指名されても、聞こえなくて聞き返すと「聞いてねえけん分からんのじゃ!」と怒られるし、友人の声が聞こえず「シカト!?最悪やん」と、仲間の中で一人孤立したこともあった。元々、明るくお調子者な私だけど、様々な経験からか控え目な性格になった。再び孤独を味わうのは怖かったし、難聴を悟られるのも怖かった。「変な目で見られたら嫌や」。複数の場所で複数の顔を、器用に使い分けるしかできない、そんな不器用な自分が苦しくて、この耳も自分自身も大嫌いになった。だけど難聴は治らない。一度の人生、もっと自分を好きになりたい。五体不満足でも、乙武洋匡さんはあんなに強く、輝いている。彼を見ていると、私の難聴は、ヤワな自分に与えられた試練なのかもしれないと思う。弱さや痛みを乗り越えることで、強く輝いた私になれる。この難聴も、私という人間を構成する一つの要素、大切に付き合っていこう。大嫌いなヤワな自分は今日でおしまい。自分を好きにならなきゃ、何も誰も愛せはしない。十七年間、悩んで迷って歩いてきたけど、これからも続く長い人生、これからもっと輝ける私の人生、誰にも負けない。今日からの私のモットー、「ILOVEME !!」「生きる」ということについて時々考える。日本中で「生きていたい」と強く思っている人は一体何人いるだろうか。社会の荒波にもまれて角がすっかり削られ、丸く小さくなってしまった日本人。一体何人が希望を持って生きているだろう。中学生の時、三匹の捨て猫を拾って、教室でこっそり飼っていたことがあった。まだ目も見えない手の平ぐらいの小さな猫だったが、前足を必死に動かして何かをつかもうとしている姿は、未来を模索し開かない目でもしっかりと希望の光が見えているかのように見えた。その「生きたい」という強い気持ちが、私たちを「助けてあげたい」と思わせたのだろう。動物は素直な気持ちを伝えることができて、うらやましいと思う。人間はなかなか素直になれないことが多い。感謝をうまく伝えられなかったり、強がってしまったり、人の意見に流されてしまったり。もしかしたら本当の気持ちを隠していた方が今の世の中最も一般的で、最も上手くいけるのかもしれない。私にはどれが一番正しいのかはわからないが、一人一人自分の意見を持っていてほしいと思う。私は「生きる」ということに答えはないと思うけれど、「生きる」ということについて考えることに意味があるのではないだろうかと思っている。私は自分の顔が大嫌いだった。父親はハーフだったけどアメリカの黒人のような顔立ちで、私は父親によく似ていた。小学校の時、私は皆と顔立ちが違うことを恥ずかしいことだと思うようになった。「外人」と言われるようになったからだ。初めて言われた時は、いいようのない気持ちになった。でも、どうしたらいいのか分からないし、何が悪かったのか分からなかったので、何も言えなかった。それからは鏡を見ないようにしたし、写真に映るのもやめた。何でか分からないけど自分はダメな子だと思った。中学に入ってからもそんな気持ちは心のどこかにあったけれど、母親には言わなかった。どう思われるか不安だったし、きっと傷つけてしまうから言ってはいけないと思っていた。だけどある日、その気持ちを知られてしまった時は、私はすごく悪いことをした気がして、母の顔を見られなかった。でも気持ちがすごく楽になった。中2くらいから化粧品を集めるようになって少しずつ鏡を見られるようになった。写真も苦手だったけれど、やっぱり思い出を形に残したいと思うようになって平気になってきた。今思えば、何であの時こう言わなかったんだろうとか後悔することもあるけれど、これが「自分」なのだし、誰にでもコンプレックスはあるのだし、これ以上母親に失礼なことを言うのも嫌だから好きになる努力をしていこうと思った。四月に友達が亡くなったという知らせを聞いた時、私は複雑な心情とともに、小学生の頃に天国へ逝ってしまった友達のことを思い出した。あの時、私は友達の死が悲しく、ただ怖かった。私の中では、年老いた先にあるはずだった死が、同じ年の友達に突然に起こり、「死」というものは、いつやってくるのか、誰にも分からないことなのだと思ったからだ。そして、「死」が決して年老いた先のものでないことを嫌だと思いながらも、私は今を生きていられることに感謝をして、私の死ぬ時がくるまで友達の分まで頑張って生きようと決めたはずだった。それなのに、今の私は小学生の時に決心していたことを忘れてしまっていた。何も目標をもたずになんとなく日々を過ごしていた。過去を振り返った時、後悔をする道を歩んできた。何に対しても精一杯にしてこなかった。そんな自分に気付かせてくれた今回の友の死。人生はいつまでも続くわけでなはい。限りある人生を、自分だけの人生をしっかりと歩んでいきたい。そのことを今、人生の一つの岐路に立たされている私に言いきかせたい。小学校の思い出の中で、あまり楽しいものは見つからない。いつも心の中には、黒いもやがかかっているようだった。その原因は先生にある。その先生は生徒を大人の縮小としか見ていないような人で、忘れものをすれば長時間立たせ、「挽回しろ、挽回しろ」と口癖のように言っていた。そして生徒の絵の描き方まで、すべて型にはめようとしたのだった。まだ小学生だった私は、言い返したり、反抗をすることもできず、忘れものをしないようにびくびくとし、絵を描くことが好きだった私の薄い色の絵も、だんだんと周りに合わせるように濃く、暗い色になっていった。そして、その頃から私から笑顔が消えていた。それから私は卒業し、堪え忍ぶような生活から解放された。中学校はすべて自由とはいかないが、心の中のもやはなくなった。私は美術部に入り、好きな絵を描き始めた。そこには暗い気持ちで描く絵などない。辛いことはいつか終わる。苦しければ苦しいほど、乗り越えた後は大きくなれる。先生のことを恨んでないと言えば嘘になる。でも、その辛さを堪え切ったことで、今の私がいる。これからも辛いことがたくさんあるだろう。でも私は負けない。挫けず、戦って、もっと大きく、もっと未来へと歩いてゆけるのだから。「物事から逃げるなよ」去年の吹奏楽コンクールに出たくないと言った私に、顧問の先生が言った言葉だ。その瞬間、ああそうか。と、何か分かったような気がした。もうずいぶん前からそうしていたような気がしている。例えば、勉強。結果が出るのが恐かったのかなんなのか、今じゃ理由さえ分からない。それぐらい頑張るのも努力するのもやめていた。結局、それって「逃げ」てたんだと思う。他のいろんなことからも。自分が弱かったのかなって、今は思うけれど、急に変わろうとしても難しい。そのあとからも、鹿児島市立鹿児島女子高等学校(鹿児島県)比良奈穂さん生きる大阪福島女子高等学校(大阪府)平野悠さん私の顔大和高田市立高田商業高等学校(奈良県)平元優子さん限りある人生聖霊女子短期大学付属高等学校(秋田県)藤井静佳さん昔の私、これからの私三重県立木本高等学校(三重県)三角田知美さん前の自分をふりかえって大分県立佐伯豊南高等学校(大分県)野中麻未さん私のモットー