17歳からのメッセージReport2003

17歳からのメッセージReport2003 page 43/76

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17歳からのメッセージReport2003

17歳からのメッセージ?[受賞作品集]??奨励賞?41たくさん逃げだしたくなるくらい嫌なことや、つらいことがあった。その度に、逃げようとした。けれど、頭の中で先生の言葉が響いて、あきらめず努力することを教えてくれた。あきらめず、努力して頑張ることができるようになった姿が、今の自分だと思う。そして、その努力や頑張りの足りないところを補っていくのが、これからの自分だと思う。今年のコンクールまで、もちろんその後も、頑張っていきたいと思う。私が日本に来てから五年半がたった。その間にたくさんのことを経験し、色々と学んできた。当時は日本語をまったく話せなかったので、毎日すごく不安だった。その時に一番の支えになったのは、一緒に小学校に通ってくれた母の存在だった。今思えば、母はすごいことをしたと思う。そして一番大変だったのは私ではなく、周りにいた先生方や家族だった。中学の時も良い友達と親切で優しい先生に出会うことができ、たくさんの思い出ができた。とても楽しい中学生活が送れた。そして今もいろんな人たちに囲まれながら、勉強や部活動などに励んでいる。私はこの五年半の間にたくさんのものを得た。前向きな姿勢で頑張る大切さ、日々の努力の大切さ、人と人との出会いの素晴らしさなど。これら全部はマイナス思考の私をプラス思考に変えてくれた。それは今までに見守ってくれた皆のお陰だと思う。だから私はこれからも色々ともっと勉強して、誰かの役に立つような、誰かの支えになるような人になりたいと思う。今年の四月で十八歳になった。「そろそろ将来のことを考えろ」と周りから言われる。両親は共働きだ。「親の後継げばいいだろ」と友達に言われた。親は理美容の仕事をしていて、小さい頃からみんなにうらやましがられた。でも私はそんな両親の仕事が大嫌いだった。小学校の参観日、周りの友達は先生が話しているのに後ろを向いて手を振ってたけど、私はじっと黒板だけを見ていた。だって後ろに両親が来てないのを知ってたし、誰も私を見てくれないから…もし後を継いだら自分の子供にもそんな想いをさせてしまう。そう思って否定してきた。しかし、最近になってその考えが変わる出来事があった。それはアルバイト先の客で両親を知る人の話を聞いた時だった。「お前の親はすごいぞ。お前を立派に育てたじゃないか。他の親を見てみろ。パチンコに行って自分の子供を可愛がってない。それに比べたらお前の親は食わせて、着せて。偉いぞ。」と言われた時、私は思い出した。食べたいものがあれば食べさせてくれた。行きたい所があれば連れて行ってくれた。それが精一杯の愛情だったのだと気付かされた。今、私は親の仕事を継ぐために勉強をしている。その道のりは決して生易しいものではないはずだ。でも、今の私ならどんなに厳しく、つらい道でもありのまま行ける。そんな気がした。僕はいつ剣道をやめるのか。最近しきりにそんなことばかり考える。それは明日か明後日か、1年後か10年後か、それとも終わることなどないのだろうか。僕が定めた終わりの時はいつになるのか、訪れることがあるのかどうかすらわからない。わかっているのは僕が絶対に後悔しないということだけだ。剣道を始めたきっかけはもう忘れてしまった。忘れる程度のものだったのだから思い出そうとも思わない。続ける理由はとても単純だった。ただ、がんばりたかった。僕が尊敬する人のようになりたかったから、だから、限界以上までがんばって同じように光っていたかった。同じように人に大切なことを伝えられる大人になりたい。同じように常にまっすぐ前を向いていたい。同じように何があっても歩き続けていたい。そう思い続けて、僕の中でいつのまにか一つの区切りが定められていた。一生のうちに一度しかできないような最高の試合ができた時、その時がおそらく僕の今までの剣道が終わる時だ、と。最高の試合ができた時には、きっと僕はそれを通じて人に何かを伝えられる。それこそが、僕があの人に近づくことができた証だろう。その時こそ必ず僕は言えるはずだ。家族に、友人に、今まで僕のために血を流してくれた全ての人に、笑いながらありがとう、と。私には名前がある。単純なことだ。しかし名前とは一体どういうものなのかと考えてみると、それはとても複雑なもののように思える。他人との区別をつけるための記号ではなく、しいていえば、タイトル。私はそう思う。人は名前を背負うことで、自分のタイトルを探し歩かなければならないという使命までをも背負っているのではあるまいか。私自身もこれまでずっとタイトルを探してきた。夢を求め、震える手で群衆をかき分けてやっとつかんだものは、いつも現実だった。その現実に失望し、目をそらしても、私はいまだに自分の夢を肯定し、そんな私をどうしようもなく愛しているのだ。この繰り返しの中で私は少しずつ自分のタイトルを手に収めてきた。夢をすり減らすことを受け止めることで、私は私に近づいてきた。そうして私のタイトルも徐々に名前に近づくのであった。今まで歩いてきた道は決して一本道ではなかった。人はまっすぐに生きることはできない。曲がり角や坂道を通らなくてはならない時がきっとある。私も迷うことは多かった。しかし、私は止まらなかった。だから今、私はここにいる、いやここを歩いている。これから歩く道もきっと長く険しい道のりだろう。けれどもこの道の果てで私はきっと、タイトルを持つ芸術となる。それまで速度はまだまだ緩めないつもりだ。もうすぐ十八になる私が今までを振り返り、今までの私に言えること。「ありがとう、未熟で在る自分を疎まないでくれてありがとう」そして、これからの自分に今の私が言えること。「どうぞ宜しく。まだ未熟ではあるけれど、その未熟さを忘れないで」私という人間は、まだまだ全てにおいて未熟なところがたくさんある。かといって、自分が未熟であることに恥を覚えて、背伸びして虚勢をはるほどに幼くもない。むしろ未熟であるからこそ勇気を失わず、恥を恐れず、物事にぶつかっていけると思える程度には成長した。大人はそれを、若者にありがちな無茶だというかもしれない。未熟さを誇るなんて馬鹿げているというかもしれない。しかし、私たちが内に秘めた未熟さは、大人が思うよりずっと偉大だ。確かに諸刃の刃ではあるものの、それは私たちに行動を起こさせるバネになる。大人にはない未熟さが、私たちにさまざまなことを教えてくれる。これからの自分の課題は、この愛すべき未熟さをどのように消化していくかということ。未熟さはいつまでも持ち続けるものではない。今の自分だからこそ持っていて然るべきものなのだ。ただ今はまだこの未熟さが必要であり、不可欠なものだ。しかし、いつかこの未熟さを自分なりに納得のいく方法で消化しようと思う。それは、未熟さをもった私たちに課せられた責任でもあると思うから。大阪府立三国丘高等学校(大阪府)村上千晴さん私のタイトル長野県立軽井沢高等学校(長野県)宮下直樹さん両親の愛情大阪市立東淀工業高等学校(大阪府)宮本航さんroots兵庫県立龍野高等学校(兵庫県)村瀬智代さん未熟さと共に岡山県立津山商業高等学校(岡山県)宮里アンジーさん日本で学んだ大切なこと