17歳からのメッセージReport2003

17歳からのメッセージReport2003 page 44/76

電子ブックを開く

このページは 17歳からのメッセージReport2003 の電子ブックに掲載されている44ページの概要です。
秒後に電子ブックの対象ページへ移動します。
「電子ブックを開く」をクリックすると今すぐ対象ページへ移動します。

概要:
17歳からのメッセージReport2003

17歳からのメッセージ?[受賞作品集]??奨励賞? 42「何言ってるんよ!」「え?うっそー!」バカにするなよ?。心の中で、腹が立った。昼下がり、母と居間でなにげなくテレビを見ながら、おしゃべりしていたときのこと。なぜだかフッと、話題が”悩みごと“になって「あんたは悩みなんかないでしょう」おいおい、ちょっと待ってくれ。悩みごと、たくさん抱えてるよ、わたし。他の人に言わせてみればわたしの悩みは、ちっぽけなことだと思われるかもしれないけれど、わたしにとっては大事件。朝起きるのがつらい、体育のテストで失敗しないかな、あの子が気になる…。毎日毎日事件の連続で、それはもう大変だよ。でも、でも、これはウソ。ほんとは楽しい。なぜなら”悩む“気持ちは”生きている“ことを実感させてくれるからだ。例えば、当たり前のことだけれど、わたしを生きる人は、わたししかいない。ということは、わたしが経験したことは、わたしにしか感じられないのだ。たとえ今悩んだものが意味を持たないものだとしても、きっと今しか感じられないものがある。だからこそわたしは”悩む“気持ちを楽しめるのだ。銀色の風に乗り素敵な香りを漂わせながら、事件は絶えることなく私の元にやって来るだろう。明日はどんな日になるだろうか。僕は今、18歳の高校2年生だ。別に留学したわけじゃない。きっかけは中2の2学期中間考査。その日、いつものように登校しようとしていた。だが、突然の腹痛で動けなくなってしまった。それからというもの、家から一歩も出られなくなってしまった。なぜそうなったのかは、自分でもよく分からない。ただ、精神的なものらしいということは後で分かった。最初は、両親も理解できなかったらしく、「学校へ行きなさい」としか言わなかった。なぜ行きたくても行けないのか、本人さえも分からないことを、両親が分からないのは当然だろう。そんな状態のまま、中学校生活は卒業という形で終った。それから1年半経った頃、家から出られない僕を何度も外に連れだしてくれた2人の友達のおかげで、ようやく学校へ戻ろうと決心することができた。しかし、高校は義務教育ではない。約2年のブランクが学力と過年度生という足かせを生んでいた。学力の方は、入試前3カ月で、中学3年分を何とか詰め込んだ。だが、年齢だけはどうしようもなかった。担任の先生からは全日制の高校は無理かもしれないと言われていた。高校は過年度生を差別するらしく、学力に関係なく門前払いのところがほとんどだった。しかし、母親や担任の先生をはじめとする、大勢の人の助けで、僕は今ここにいる。この恩を人の痛みを理解することができる優しく、強い僕になって返したいと思う。私は中学2年の時ダイエットをした。今考えれば、ほとんど食べていなかった。10キロやせた頃から自分が嫌で、学校にも行きたくなくて、親とは毎日けんかして泣いてばかりいた。考える事は食べ物のことばかりで、学校で友達が話しかけてきても、話すことも体がきつくてできなかった。周りの人が心配しても、まだやせたいと思っていた。15キロやせた時、自分でも怖くなった。いつも家族や友達は相談にのってくれてはげましてくれた。それからだんだん食べられるようになって、今では体重も安定している。私はダイエットをしてる時、自分が大嫌いだった。でも今周りのみんなのおかげで立ち直り、自分を好きになることができた。特に私は姉の姿を見て、そして相談にのってもらって自分を好きになることができた。離れて暮らしている姉は、メールや手紙で私をはげましてくれた。そして姉が家に少しの間帰ってきた時、私は一つの事を学んだ。それは、周りの人に自分をさらけだしてもいいということだ。私は今まで自分の悪い所、嫌な所を自分にうそをつき、かくし通してきた。でも姉の姿を見て、自分の悪い所、嫌な所も認めて、自分を好きになることが大切だと気づいた。そしたら心がとても軽くなり、体重も安定して毎日が楽しくなった。そして今、私は少し成長できたと思う。私は姉や心配してくれた周りの人にありがとうと言いたい。そしてみんなに自分を認めて好きになってほしい。私は沖縄県の名護市という所に住んでいます。名護は那覇にくらべて人口は少なく、いなかで緑も多く、「ヤンバル」と呼ばれています。一般の人は「緑も多いし海もキレイだからいい所じゃない?」と思う人が多いと思います。私も学校の行事があるまでは名護市はキレイだと思っていました。しかし、あるきっかけが自分の考えを一転させてしまいました。そのきっかけとは、中学の時の親と一緒に名護市周辺の空きカンやゴミを拾うという学校の行事でした。その時はまだ「名護にゴミなんてないだろ」と思っていました。学校からスタートし、ビニール袋を手に持って歩き始めました。それから10分経ってもまったく前に進むことができませんでした。なぜかというと、ゴミや空きカンがあまりに多く、拾うのが大変で前に進むことができないからです。このとき初めて名護市は汚れているということがわかりました。学校に集められたゴミ袋を見てビックリしました。そこにはゴミ袋が山のようになっていたのです。一人の人がなにげなく捨てたゴミがこんなにも名護市を汚しているのがわかった時、自分の心にものすごい罪悪感がありました。このことをきっかけにゴミを捨てなくなりました。と同時にゴミを見ると拾ってゴミ箱に捨てるようになり、友達がゴミを捨てるのを見たら注意できるようになりました。私は、自分の命を大切にしようと思う。なぜなら、とても貴重で奇跡的な体験をしたからだ。1987年12月18日13時26分、関西大学病院で生まれた、比較的巨大児。その子は「温子」と名付けられた。温子は、心室中隔欠損症、いわゆる『心臓病』だった。明らかに健康そうに見える温子の心臓は、この世に生を受けた瞬間から、死への階段を一歩ずつ上っていたのだった。手術をするしか生きる道はなかった。その手術も、成功する確率が非常に低いとされる、難しいものだった…。そして、手術は成功した。今、私には夢がある。その夢はあまりにも馬鹿げていて、他人に自慢できるようなものではない。夢に向かって何かをやっているわけではないが、誰かの大きな存在になりたい。私の命は特別だから、平凡な生活はしたくない。私の命は特別だから、多少の苦しいことも我慢できる。私の命は特別だから、他人のマネはしたくない。だから、私は個性的に生きていきたいと思っている。2003年、私は元気に友達と遊ぶ。勉強をして、先生や親に反抗する。普通の高校生だが、普通の高校生とは少し違う。命の大切さを人一倍知っている。そのことをこれからも胸に秘めて、温子の人生を送っていきたい。大阪府立河南高等学校(大阪府)村山瞳さん私の悩み大阪女学院高等学校(大阪府)山畑温子さん私の命星翔高等学校(大阪府)山隆宏さん今、ここに在る自分鹿児島市立鹿児島女子高等学校(鹿児島県)山下かおりさん苦しい事を乗り越えて学んだ事沖縄県立名護高等学校(沖縄県)山入端将悟さん無題