17歳からのメッセージReport2003

17歳からのメッセージReport2003 page 46/76

電子ブックを開く

このページは 17歳からのメッセージReport2003 の電子ブックに掲載されている46ページの概要です。
秒後に電子ブックの対象ページへ移動します。
「電子ブックを開く」をクリックすると今すぐ対象ページへ移動します。

概要:
17歳からのメッセージReport2003

4417歳からのメッセージ?[受賞作品集]??奨励賞?でも私の母は、おじいちゃんのことが嫌いだったそうです。母にとっては実のお父さんなのに。話を聞くとおじいちゃんは、毎晩酒を飲んで暴力をふるったりするような人だったそうです。私は驚きました。今のおじいちゃんは、足が悪くよぼよぼで、小さくって可愛いイメージだったからです。私は悪く言う母に対して嫌な感じになりました。けれど母はこう続けました。「あの人は年を重ねるごとにいい表情になってきている。母さんにとって最悪な父だったけど、今は可愛いおじいちゃんよ」そう笑顔で話す母を見ながら、人は変わるんだなぁと思いました。私は若い頃のおじいちゃんを知りません。でも、おじいちゃんが好きです。何年も会っていないけど、私のイメージでは、おじいちゃんはいつも笑っています。私は夏休みにでもおじいちゃんのお見舞いに行きたいです。昔のおじいちゃんを知る母と私、おじいちゃん3人で、いろんな話をしたいと思います。「大丈夫だよ、私がいるから」と言われたその一言で私の心は変わったのです。私の第一印象はよく皆から、おとなしい人だと言われます。しかし、そんな私を変えてくれたのは太宰府にいる友達です。友達と出会ったのは、中学校1年の夏でした。姉に連れられて嫌々ながら着いた場所は、広い道場で制服を着た人がたくさん座っていました。前には高校生らしい人が4、5人立っていて、何が行われるか全く分からないまま道場に入りました。私の心は不安でいっぱいになりました。しかし、隣に座っていた子が最初の言葉で私を変えてくれたのです。そして、もっと自信を持つことが大切なんだと教えられた気がしました。今まで、自分から話すことができず、誰かが声をかけてくれるまで待っていた自分がある日その道場に行った時、また新しい人が増えていました。一人でいた子は不安そうで、前の私の状態でした。その時、ふとあの言葉を思い出し、自分が嬉しかった言葉を友達にもかけてあげたいと思い、おもいきって声をかけてみました。すると、その友達は嬉しそうに、笑顔いっぱいになっていました。おかげで今は、遊べる仲になり、周りの友達から「明るくなったね」と言われるようになりました。本当に友達って大切なんだと実感しました。僕には両親がいません。母は3歳の時に産後に病気にかかり亡くなりました。そして父は、昨年の夏に船での作業中に足を滑らせ海に転落し、亡くなりました。事故の知らせを聞いた時は信じられなかったけど、遺体を確認し通夜、葬式、面識のない親戚との対面など目まぐるしく毎日が進んでいくなかで、「現実を受け止めるしかない」と言い聞かせました。だけど周りの環境が急に変わっても全く変化のないものもありました。友情です。僕の仲間にはいろんな奴がいます。普通に学校行ってる奴、中退した奴、行ってもいない奴、部活に燃えてる奴……。仲間たちは通夜にも葬式にも大勢来てくれました。制服がないからって外で立ったままで参列してくれた奴、部活で遠征中だった奴も帰ってきてジャージで来てくれました。「どうしても来れない」と電話してくれた奴もいました。僕はその時、親父の「友達はたくさんつくれ」って言葉の意味が身に染みてわかりました。親父を失った心の隙間はあったかい友情でうまりました。僕は一生死ぬまで何があってもこの仲間との絆は切りません。僕には両親がいません。だけど不幸じゃありません。自分を支えてくれる家族、そして何より素晴らしい仲間がいます。僕はこの街に生まれ育って幸せです。―ありがとう。みんな。「死なんといて!」心の底から叫びたかった。けどあふれてくる涙をこらえるのに必死でそれは声にならなかった。高校に入学して、一ヶ月もたたない時に一緒に住んでいる祖母が緊急入院した。私はさっきまで元気に冗談を言っていた祖母が「お腹が痛い」と苦しそうに言う姿を見て怖くなった。何が怖かったのか分からない。けど怖かった。いつも強気な母もぼう然と立っているだけだった。病院へ行くための車の中で祖母はずっと「痛い」とうなっていて、何をしていいのかわからず、私は祖母の体をさすり続けた。病院に行って入院しなければならないと医師に言われた時、祖母は「お弁当」と私に言った。今までこらえていた涙があふれた。私のお弁当は祖母が朝早くに起きて作ってくれていたから…。緊急の治療室を出た時、ついに涙は流れた。たまらず、母の腕の中で声をあげて泣いた。一、二週間して祖母は帰ってきた。祖母のいない生活は苦しくて辛かった。何故なら、祖母が家事を全て行っていたからだ。祖母が入院してから母は仕事から早く帰ってきて家事をしていたし、私もいろいろな事をした。祖母の入院は本当に、私たち家族にとって辛かった。けど改めて祖母のありがたさが心にしみた。我が家の中心は祖母だったのだ。家族を代表して言いたい。「ありがとう」と。自分が嫌い。そう思っていた私は、中学の終わりまでは自分が好きだった。けれど卒業前、ある出来事で人間不信状態になり、私は無気力にのまれていった。高校では友達をつくる気にもなれなかった。優しい人に出会う度、人を信じられない自分に苛立ちを感じる。焦り始めた一年の二学期、クラブに入った。そこで自分とは正反対の性格の子に出会った。明るく素直で、よく笑いよく泣く。私には彼女が羨しかった。初めは苦手に感じたが、次第に話すようになった。ある時彼女がすごく落ち込み、私に相談してくれたことがあった。正反対だと思っていた彼女との間に共通点を見た気がした。正反対でも分かり合える。私は心の中で引きずっていた中学での出来事を詩と文章にまとめた。幼い頃から詩を書いていた私にとって、自分を一番素直に表現できる方法だった。約一ヶ月かかって書き上げ、誰より先に彼女に見せた。涙を流して共感してくれた。何より嬉しかったのは、自分でも否定していた自分を、彼女が認めてくれたことだ。おかげで私は自分の長所を発見する一方、短所も見方を変えれば愛すべき自分だと気づいた。そして、大切に思える存在があることも彼女が確認させてくれた。彼女に出会えて本当によかった。たくさんの気持ちに気づいた。これからそれぞれの道へと別れていっても、彼女が一番に気づかせてくれたこと―人も自分も大切に思う気持ち―を忘れずに、私は歩んでいこうと思う。うちの犬は「ビーン」といいます。ビーンはとても寂しがり屋です。それはビーンが捨て犬だったからかもしれません。保健所に黒ラブラドールの捨て犬がいて、今日殺されると近所の人に聞いたことがきっかけでビーンはうちに来たのです。一回捨てられているので、家族の一人でもどこかでかけると、またおいていかれると思って、苦情がくるぐらいほえていました。でも、今ではもうおいていかれないというのがわかったみたいです。でかけても「ワン!」と一回ほえるぐらいです。ビーンが一番喜ぶことは散歩です。散歩に行く時に「行こかー」と言うと、いつもとっても喜んで飛びはねます。犬は喋れない分、福岡県立三井中央高等学校(福岡県)一ノ瀬育美さん友達の優しさ神戸市立須磨高等学校(兵庫県)遠藤貴佳世さん私の大好きな犬と人とのふれあい大阪府立河南高等学校(大阪府)岩奈穂さん無題長崎市立長崎商業高等学校(長崎県)五輪政志さん言葉の意味京都府立京都すばる高等学校(京都府)伊原紫乃さん本当に大切な人