17歳からのメッセージReport2003

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17歳からのメッセージReport2003

17歳からのメッセージ?[受賞作品集]??奨励賞?45表情で感情を表しているのがわかります。散歩はだいたい同じコースに行きます。ずっとしっぽをふりながら歩いてうれしそうです。はじめに行く公園でまず一番に会うのは、ビーンと同じ種類のグレースです。家が近いのでよく庭で遊ばせてくれて二匹共、とても楽しそうです。同じ犬を飼っているので飼い主さんともお互い相談しあえるのでとても助かっています。遊ばせた後しばらく歩くと、工事現場の人が絶対に「黒ちゃん」と呼んできます。毎回会う人は同じ人なのに、何回「ビーン」だと名前を教えても「黒ちゃん」と呼ぶので最近はあきらめました。最後は近所の犬と遊ばせてやっと散歩が終了します。こうして大好きな私の犬を通して、数々の人とつながりが増えることはうれしく思います。大きな駅のホームで、電車を待つ。周りには、たくさんの他人。それぞれ違った目的で、同じ電車に乗る。電車の中は、狭くて不思議な空間。色々な人が入り交じっていて、私はその中の一部でしかない。私の存在が、薄くなっていく気がする。この中で一人が消えたとしても、きっと誰も気付かない。私は一人。無表情で孤独の中の寂しさを覚える。隣りにいるのは、私の見知らぬ人たち。見える風景も、聞こえる音も同じはずなのに、みんな違う方を見て、違う音を聞こうとする。同じ場所にいても、お互いに繋がってなどいない。ただ、周りと自分を同化させることで、自分の居場所を作っている。人の鎖から、離れないように。そんなことをしても、孤独の寂しさは消えない。この世界には、私と繋がりある人と、そうではない人がいる。私を、誰かに知ってもらって初めて、私の存在が生まれる気がする。だから他人の中にいる私は、存在が小さくなっていくように思われるのだろうか。どこかで、私という人間を、知っていてくれる人がいるのに。最近は、自分で自分を消してしまう人が、多くなったように感じる。自分を人に見せないようにして、人の中の一部になって、そのストレスで、自分の心を潰してしまう。そんな人、この世に一人としていなくていい。これは、私の勝手な思いだけれど、私の大切な人が、自分自身を消すようなことがないように。そう願う。母親はよく仕事をしている。朝は小学校へ行き、夕方からは旅館のアルバイト。いつも母親が帰宅する頃にはもう夜の十一時をまわっている。私は母に「どうして仕事ばかりするの?」と訊ねた。返ってくる言葉は、「お金がないからでしょ」と笑いながら言う。そんなことは分かってる。私は母親にそんなに頑張ってほしくなかった。私が帰宅してもいつも母はいず、おばと小二の妹がいる。夕飯の時刻になっても、母も父もいない。そんな毎日に、イライラしてしまう自分がいた。いつの間にかこのイライラをおばや妹に当ててた。そんな自分がいやでいやでどうしようもなかった。妹は、私をこわがるようになってしまった。悲しかった。家族ってやっぱ必要だ。しかし、一人が欠けるとやはり寂しい。親子ゲンカができるっていいことだ。それほどいっぱい話したり言い合ったりできるから。頑張りすぎる母親へ。そんなに頑張りすぎないで、家でたくさんケンカしようよ。幼い頃、亡き祖父に「戦争って何なん?」と聞いたことがある。祖父は、こう答えた。「喧嘩や」戦地に行った時の話をする祖父の顔はいつも険しく、悲しそうだったのは憶えている。だって、その『喧嘩』の話は、あまりにも無惨で、感情を凌駕するものだったのだから。人を殺す話。捕虜となって働いた話…。「もう二度と帰れへんと思ったわ」と祖父は言った。シベリアの極寒の地へ捕虜として船に乗せられ、連れて行かれ、そして仲間は自殺していく。祖父は、自分も死のうと幾度も思ったらしい。妻もきっと、待ってはいない。戦争が終わって、随分たったが帰れない祖父は絶望の端にいた。その思いは、戦争も知らない、本当の失望も知らない私には想像できなかった。けれど、その「死のう」は、実行に移されなかった。それは何故なのか?聞いたはずなのに憶えていない。祖父が日本に帰った時、なんと祖母がずっと祖父が生きてると信じ続けていて、感動の再会があったらしい。待ち続けた祖母。帰ってきた祖父。二人をそれぞれ見ながら、この二人のどちらかがあきらめていたら、私は生まれていなかったんだと思うと、嬉しい気持ちでいっぱいになった。どんな境遇の中でも、人は必ずつながっている。幼いながら、その時の私は、それを痛感したのだった。ある日私は授業に遅れた。私は遅れた理由を先生に言いに行った。「体調が悪かったので遅れました」と言うと「それは理由にならん。罰として放課後6時まで残って勉強して帰れ」と言われた。私はどうしても納得がいかず言い返すと、腹が立つと同時に悲しくなる返事が返ってきた。「どうせおまえは寝坊した時でも頭が痛かったとか腹が痛かったとか言うんやろが」その時私は本当に体調が悪かったのに、どうして先生は生徒のことをもっと信じてくれないのだろうと思った。でもあとから冷静になって考えてみると、先生は生徒を信じてくれなかったんじゃなくて私だから信じてもらえなかったのかなと思った。私は今までを振り返って先生に信用してもらえることをあまりしてない。むしろ平気で校則を破ったりして誰から見ても信用できないことをやってしまったのかもしれない。人に信用されるということは、自分への自信にもつながることだと思う。私はその先生だけじゃなく他の先生、友達などにどう思われているのだろう。これからは二度と「どうせおまえは」と言われることのない人間になろうと思う。相手への印象は大切だなあと思った。メル友。最近よく聞く言葉。顔も性格も何も知らない人とメールだけの友達になる。メールは何でも言えちゃう。「好き」って言葉とか、実際はなかなか言えない言葉でさえ、簡単に言えてしまう。すごいパワーを持っているメール。自分がいい時だけメル友とメールして、自分が飽きたり嫌になったりしたら「バイバイ」って言ってまた新しいメル友をつくる。メールだけの友達だからそんなこと、すごく簡単にできる。便利だけど、人を、すごく傷つけてしまう凶器にもなってしまう。しかし、学校や部活などの友達はそういうわけにはいかない。嫌いになったから「バイバイ」とか言えない。言ったら自分はひとりぼっちになっちゃいそうで怖いから。自分は弱いから。本当の友達をなくすということは、メル友をなくすということより、全然重いことだと思う。自分の心の支えを失ってしまうことになるし、自分を小さくして生きていかなくてはならなくなってしまうから。そんなこと、私は絶対やだ。だからこれからも、友達を大切にしていこうと思う。自分を大きく生かしたいし、心の支えを失いたくないから。そして本当の、本物の友達をこれからももっともっと増やしていきたい。メル友のような形だけの友達じゃなくて。静岡県立静岡商業高等学校(静岡県)小田巻美妃さんケータイの中の友達と本当の友達長野県立下伊那農業高等学校(長野県)大倉裕希子さんかぞく京都府立嵯峨野高等学校(京都府)大前有佳里さん祖父の話愛媛県立今治東高等学校(愛媛県)大山恵里さん言われて初めて気づいたこと和歌山県立和歌山商業高等学校(和歌山県)大上真知子さん人の中にいる私