17歳からのメッセージReport2003

17歳からのメッセージReport2003 page 48/76

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17歳からのメッセージReport2003

17歳からのメッセージ?[受賞作品集]??奨励賞? 46私にとって家族は一番大切な存在です。しかし、昔はそうではありませんでした。うっとうしい、消えてしまえばいいなどと思っていました。ある日、私は先輩たちからのイジメを受けるようになり、何もかもがイヤになったことがありました。友達に相談しても「私までいじめられるのはかんべんだよ」といって離れていってしまいました。そして誰もいなくなり、つらい毎日を過ごしていました。そんな時助けてくれたのがお父さんやお母さん、そして妹でした。「どんなに深い谷に落ちても、そこにはちゃんと底がある。そこからどう這い上がっていけばいいかを考えなさい」と言ってくれました。それを聞いて涙が止まりませんでした。こんなにいい家族を持っているのにうっとうしいなどと思っていた自分が恥ずかしくてたまりませんでした。これからは家族の一人一人を大切にしていきたいと思っています。「私はどうしてこの友人と居るんだろう…」これは、何も友達がいらないとか依存しているかもとかそういうことではなく、日々の中で一瞬自分と友人を冷静な目で見てしまった時起こる何気ない疑問である。大半の高校生がそうであるように、私も教室移動や休み時間や放課後の行動を共にするグループがある。もちろんしゃべったり挨拶したりする友達はたくさんいるが、この疑問が浮かぶのは、特定の仲の良い友人だけだ。昔から私は自分のことを理解していたいという気持ちが強かった。人に自分の性格を指摘されても、違うと思えば反論した。しかしそれは小中学生によくある「決めつけ」というもので、こう見られていたいという願望だったのだ。実際、信じ込もうとしていた理想が多く、分かっているつもりで分かっていなかった。それが分かり始めてきたのは、友人のおかげでもあると最近思う。友人の悪い部分と良いところを分析することは前からしてきた。だが今まで対等だと思っていた彼女の実に冷静な面を感じ取った時、はっとして浅はかな自分に気付く。それはきっと「大人に近づいた瞬間」であり、自分の行いの改善を強制する糧となる。私も友人も、今は大人と子供の間を行き来している状態にあるので、どちらかの発言にどちらかが影響され自分を見つめられる、まさに「大人になるための競争」であるといえるだろう。私はこうして高め合える友人がいることに感謝したい。今年の四月に祖母が亡くなった。父のいない私にとって、祖母は第二のお母さんのような存在だった。最後の最後まで世話をかけた。公立高校の受験が終わった次の日、祖母は倒れた。きっと私が一段落するまでがんばってくれていたんだと思う。病院で、やせこけ「助けて」と叫ぶ祖母を見ると涙が止まらなかった。私は祖母に何をしてあげただろう。いつも怒らせてばかりだったかもしれない。しかし、祖母には日頃からとても感謝をしていた。そしてとても大好きだった。倒れてから2年、祖母は亡くなった。母は棺桶の中の祖母を何十分も見つづけながら「お母さん、お母さん」と泣き続けていた。そして二日間全く寝ずに、ずっと棺桶の傍に座っていた。辛そうな母の姿を見るのが、私はとても辛かった。私が母を助けてあげなきゃと思った。家に帰ると思い出がたくさんつまっているので、母はもっと泣き出した。「自分の母親が死ぬというのは、相当辛いね。私もお母さんに言われとったもんね」と母は言った。祖母の母が亡くなった時、いい年超えたおばあさんなのによくひとりで泣いていた。母の死は相当辛いものなんだなと知った。だから私も、母が死んだ後に「何の親孝行もできなかった」と後悔しないように、母を大切にしていきたい。あたしにとって大好きなたった一人の母だから。ある日、「なんでいつも一人でいるの?」とクラスのコに聞かれた。見渡せば、みんな2?3人組になって行動を共にしている。「なんでって…一人でいるのが好きだから…かな」って答えた。別に友達が嫌いなわけじゃない。話をしたり笑い合ったり、遊んでバカやったりすることもいいと思う。だけど、それを面倒くさいと思う自分がいる。無理して相手に合わせる必要なんかない。グループを作っていつも一緒にいなきゃいけない義務なんてどこにもない。なのに人は人と一緒にいたがる。私はそれをつまらなく思う。ムダな時間だと感じるのだ。しかし、しかしである。そんな私の心のどこかにも、人を求める気持ちが存在するのだ。一緒にいたい。共感しあいたい。互いの悩みを理解しあいたい。様々な気持ちがある。だから時々寂しさや孤独感を覚えるのかもしれない。私は矛盾だらけの人間である。おそらく他の人もそのような部分はあるだろう。しかし全ての人間に共通していえることは、人は愛を求めて生きているということだ。どんなに冷めた人間でも、それを知っていながら一人でいる自分はバカなのだろうか?もっと周りに尽さなければならないのだろうか…。そんな思いを胸に秘めながら、私は今日も一人、じっと窓の外を見ている。我が家の門限は、友達の家の門限と比べると早い。だから友達の家に行っても一人で帰るのが気まずいので、昔から友達と遊ぶということが少ない。学校で友達と話していると、ときどき話についていくことができなくなってしまう。そしてそのうち仲間からはずれてしまう。親にそのことを言っても暗くなると心配だからダメとか言われる。一体大人はなにを考えているのだろう。子供の無事を願うのはわかるが、そのせいで自分の子供の友達があまりいないのに、休みの日に家に居ると友達はいないのかって聞かれる。誰のせいで友達がいないのか親はわかっていないのだろうか。私はまだ子供だから大人の気持ちなんてわかるはずがない。私もいずれこのような大人になるかもしれない。でも今は、もっと子供の気持ちになって接することのできる大人になろうと思う。高校に入学して、携帯電話を持つようになった。どこからでも連絡を取り合えるのはすごく便利だし、何よりメールを通して友達とふれあう機会が増えたコトが楽しいし、嬉しい。けれど最近、携帯に関するあるコトが気になるようになった。それは、たとえばバス停などに何人かの友達と一緒にいる時、会話がぷつりと途切れてしまうコトが度々ある。その場にいる全員が下を向き、携帯電話と向き合っているのだ。そして誰かにメールを打ち終わると、また顔を上げ、話をはじめる。返事が返ってきたら会話の相手は携帯に逆戻り。みんながその繰り返しなので、絶対に誰か一人くらいは会話に参加していない、という形式ができ上がり、それが当たり前となってしまっている。これはおかしい。なんだか、携帯を持ってからというもの、メールの画面上で話すコトはあっても、直接会話をするコトは減ってしまった気がする。今、一体どれくらいの人がこのコトを悲しいと思い、私と同じように矛盾を感じながら携帯電話と話をしているんだろう。長崎市立長崎商業高等学校(長崎県)賀木かおるさん母というものの大切さ山形県立米沢商業高等学校(山形県)加藤真子さん愛を求めて愛知県立犬山高等学校(愛知県)兼松弓弦さん門限福岡県立門司北高等学校(福岡県)萱嶋美里さん無題宮崎県立都農高等学校(宮崎県)小野満美さん大切さ滋賀県立国際情報高等学校(滋賀県)小俣香苗さん友人と居る理由