17歳からのメッセージReport2003

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17歳からのメッセージReport2003

17歳からのメッセージ?[受賞作品集]??奨励賞?47私たちは普段生活する中で数えられないほどの嘘をついているのではないだろうか。例えば友達に冗談でつく嘘、見栄でつく嘘、その他にも…。嘘…私たちはたぶん自分でも気付かないうちに嘘を付き、別にどうでもいいことなのに弁解はせずにまたその嘘をかばおうとして嘘をつく、その繰り返しだ。そして後でそのことを後悔する。いや、中には、後悔しない人もいるかもしれないが、はっきりいって嘘や偽りは虚しいだけではないだろうか。現代には携帯電話があるし、友達とのやりとりもメール等で済ませることができる。でも、そのメールの中で相手が嘘をついていると自分は必ずしも解るだろうか。もし別の誰かが自分にメールを送ってきて、その人の名前や学業とかが嘘・偽りであったら自分はそれに気付くだろうか。そしてそのことに自分は嘘・偽りなく相手にメールを送れるだろうか。嘘をついて自分が無力で儚ない人間なのだと気付かないのだろうか。そう思わないのだろうか。そして嘘をつくことで今生きている自分を否定していると思わないのだろうか。たぶん私たちが嘘をつくのは、今の自分にない何かに焦がれ、魅かれていく…。だけど手には届かないそんな気持ちや思いを嘘であたかも自分の身近にあるように感じたいのではないだろうか。そして私たちはこの先もずっと、また虚しいだけの嘘をつき、その嘘とともに死ぬまで生きていくのだろうか。「赤ちゃんをおろせば私は助かるかもしれない。でも、赤ちゃんを殺してまで助かった生命なら私はいりません」そうして、ある女性が産み落とした一つの生命。それは自らの生命と引き換えになりました。若くして、癌という恐ろしい病魔に取りつかれ、その中で、お腹に生きる一つの生命。彼女は心の葛藤の中で、個人として生きるよりも、母親として死ぬことを選びました。私はいつも当たり前のように生きているけれど、犠牲にしなければならない生命もあることを知り、あらためて”生命の貴さ“を実感しました。私が今、ここに存在しているのも、母が痛い思いをして私を生んでくれたおかげであり、”母親の愛“を感じます。生きていることが当たり前ではなく、生きていられることに感謝しなければいけないと思いました。そして、世界の人々にもっと”生命の貴さ“を知ってほしい。今、世界では戦争や飢餓で生命を落としている人々が多勢います。生きるために生まれてくるのに、死ななければならない理由はなんでしょうか。私たちはもっと”生命“を大切にすべきだと思います…。私は、先日「幼稚園一日実習」に参加しました。最初は、とても緊張しましたが、子供たちのほうから寄ってきてくれて、緊張がとけました。それから、子供たちと話も少しずつできるようになり、周りが見えてきました。その一方で、一つのグループで私が遊んでいると別のグループから「先生来てー」などと言われ、あちこちから声をかけられて、どうしたらよいのかわからなくなり悩んでしまいました。子供たちは、そんなことは気にしていないようで、昼食の時間、私の席がないことに気づいた子が「先生ここで食べよー」と言ってくれました。その子の一言のおかげでみんなが「先生こっちー」と言ってくれたのが、とても嬉しかったし安心しました。その後は、楽しく時間が過ごせました。今、落ち着いて考えてみると子供たちと遊ぶことに夢中になってしまい、担任の先生の役には立っていなかったように思います。自分からもっと積極的に行動していればよかったと反省しています。たった一日だったけれど良い経験ができました。このことを生かして将来は人とたくさんふれ合う仕事に就きたいと思います。私はもうすぐ十八歳だ。私はこの十八年間悩み事が絶えることがなかった。学校では友達や先生の前ではずっと笑顔を絶やさないようにしているが、それは本当の笑顔ではない。いつわりの笑顔だ。私はずっと昔から、生きている意味があるのだろうか、友達っていってもどうせ他人だから心配していると言っても口だけではないのかと考え悩み続けてきた。だから友達とか心から信用していなかった。しかし、ある日私が本気で死のうとしていた時、私の一番の友達が家がすごい遠いのにわざわざ私なんかのためにかけつけてくれた。真剣に私の今までためてきた悩みを聞いてくれ、本気で死のうと考えていた私を力いっぱいビンタして、泣きながら私に、「なんで今までこんなになるまでため込んどったん!!ずっと小さい頃からの友達やん。私に気つかわんでええで、おもいっきり楽になるまで今までため込んどる分、私にぶつけてきな!!」と、私のことを他人としてじゃなく、とても大切な友達として本当に心の底から私と共に悩み、心配してくれた。その友達の姿を見て、今まで私が十八年間ずっと悩んできたこと、考え込んでいたこともすごくばからしいことだったのだということに十八年間と少し長すぎる時間がかかってしまったけれど、気付くことができたし、友達の存在の大きさも改めて感じることができた。今ではいつわりの笑顔じゃなく本物の笑顔で笑えるようになったと思う。人間という生物は、地球上で最も賢く弱い生物だと思う。なぜなら、他人が自分たちで作った文明の機器に頼って生きているからである。さらに、他の生物は生まれてすぐに自分の力で立ち上がるが、人間の赤ん坊はすぐには立ち上がらず、親の力を頼りにする。一歳前後を過ぎてから自力で動き始める。ここで人間は動物に劣っていることになる。そして、成長するにつれて前者は、親から離れて食べられる物を自分で判断してそれを食べるが、後者は、これに到達するまでに十年近くかかってしまう。ここで後者は前者に劣っているように思えるが、到達するまでの過程で人間として生きるための、前者には身に付けることができないものがある。それは、言葉や文字など人間が築き上げた文明の利器である。これは人間のふれあいの中でしか身に付かず、人間のふれあいの中で必要不可欠なものである。しかし、あまりにもこれに頼り過ぎると、いつか身を滅ぼすことになるだろう。人間のふれあいの中で、大切なものもあるが、大切でないものもある。これらを理解し、人間のふれあいの中で何が大切かを学び、自然界でも自分たちの役割を探して生きていけたら、本当の知恵を持つ生物になると思う。「あっちゃん、気をつけて乗るのよ」木下先生はちびっこ広場でブランコに乗っている私に、心配そうに声を掛けてくれた。私のふるさとにある城山保育園では、月に二、三度、園外保育があった。私たちは歩いて15分ほどのところにあるちびっこ広場に行くのだ。ブランコとすべり台だけのこざっぱりした公園で、公園の片隅には緑が青々と生い茂った大きな梅の木があった。私たちはいつも梅の木の根元で、木下先生が持ってきてくれたポテトチップスを食べるのが楽しみだった。木下先生は食べる前に必ず「他の先生には内緒だよ!!シー」と笑いながら口に手をあてて言った。不思議なことに、木下先生と一緒に食べる秘密のポテトチップスの味は、家で食べるポテトチップスよりもおいしかった。母の仕事が忙しく、毎日延長保育だった私は、一日のほとんどを保育園で過ごした。幼い頃の思い出は、保育園で過ごした思い出がほとんどである。木下先生の秘密のポテトチップスに引かれて、私は休まず保育園に通った。子どもの頃から保育士になるのが夢だった私にとって、木下先生は憧れの存在だ。遊具にあふれた公園で遊ぶことよりも、子どもたちとのふれあいを大切にしたい。私と木下先生の「きずなの味」、秘密のポテトチップスを、私も子どもたちと食べてみようと思っている。い福知山淑徳高等学校(京都府)久保梓さん私の唯一の心の拠り所。福岡県立糸島高等学校(福岡県)川添いづみさん嘘偽虚儚うそいつわりむなしくはかない西山高等学校(京都府)川村紗緒里さん生命の貴さ東筑紫学園高等学校(福岡県)木部美穂さん人とふれ合う大切さ東福岡高等学校(福岡県)黒岩佑丞さん人東京都立八王子北高等学校(東京都)小池敦子さん秘密のポテトチップス