17歳からのメッセージReport2003

17歳からのメッセージReport2003 page 50/76

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17歳からのメッセージReport2003

17歳からのメッセージ?[受賞作品集]??奨励賞? 48たずら大好きな私は、園長先生に心配を掛けないように気をつけないと…。家族、私には父がいません。母一人、子一人の生活です。幼い頃からの記憶、いつも泣いていた気がする母。物心ついた頃には母はあまり泣かなくなっていました。どうしてかは分かりませんが、母は私に弱音を吐くことはありませんでした。女手一つというのは苦しいことだと分かっています。それでも、必死に育ててくれた母を尊敬し、感謝しています。幼い頃の私は友人たちとの家族の違いにいつも母に対して怒りを覚えていました。どうして…。私はたくさんのわがままを言い母を困らせ、怒らせました。私が望んでいたのは、ただごく普通の友人たちのような家庭でした。母の言い分、私の言い分、間違ってはいないのだけれども、納得ができませんでした。しかし、今なら分かる気がします。母の想い、苦しさ、願い、様々なことが。普段は恥ずかしくて言えない様々な想い。それは「ありがとう」の5文字です。言葉では言い表せないほどの感謝の気持ちも。それを私はこの5文字に詰め込んで、いつか母に伝えられたらなと思います。それまでは、私の胸の中に…。僕は、今まで母の日が、何月何日かもよくわからなかった。ただたしか、五月頃だったかなぁという具合で。もちろん、今までに何度かではあるが、プレゼントなり、感謝の気持ちをこめて、いろんなことをやってきた。昨年僕は、母の日に何もしなかった。しかし、一人暮らしをしている僕の姉が、昨年カーネーションを宅配便で送ってきた。その時の母は、うれしさで泣いていた。いつも強がっているのに。今年も姉は、せんべいを送ってきた。その理由は、昨年の花は枯らしてしまったからだ。そんな母でもある。なぜか今年、姉に負けじと思って何かプレゼントしようと思った。そして、2日遅れたけれど、ドーナツを買って帰った。たった600円だったけどね。しかし、母はとても喜んでくれた。しかも少し涙目で。そんなに嬉しがってくれ喜んだ反面、これは今まで何もしてない証拠だと思わざるをえなかった。そして、自分が情けなくもなった。このくらいのことなら、きっと母の日でもないのにする人もいるだろうと思いながら。僕は今、ある理由で教室に行けないでいます。その理由は、高校1年の2学期以降、よく体調を崩すようになり、学校を休みがちになってしまったからです。学校を休みがちになり、授業もあまり受けられなくなったので、教室に行きにくくなりました。今は相談室に登校をしてプリント学習をしています。教室ではなく相談室に行きはじめ、教室の友達や先生たちに迷惑や心配などをかけてしまいました。でも友達が「体調はどう?だいじょうぶ?」や「少しでも学校に出てこれるようになってきたね」など優しい言葉をかけてくれたとき、とても嬉しかったです。僕は「どうして教室に来ないの?」などと言われると思ったけど僕の考えとは全然違う言葉でした。僕はまだ教室には戻れていないけど、友達がはげましてくれたりして少し楽になった気がします。今すぐには、教室には戻れないかもしれないけど友達がはげましてくれたりすると自分でもがんばろうと思えます。少しでも早く戻れるように、自分のためにも友達のためにも少しずつでもがんばりたい。なくして初めて価値がわかるってほんまやねんな。転校するって自分で決めたときに、絶対弱音は吐かんとこうって思ってん。今までの私は口でえらそうに言いながらも、ずっと支えてもらってたから。一人でがんばってみようって。めっちゃしんどかった。ほんまにもう学校に行きたくないって思った。でも、行かなって思った。負けたくないから、いっしょに夢を叶えて乾杯しようって約束守りたいから。最近は、部活にも入って楽しくなってきた。ほんまにすごいな。あのとき、悠がいんかったら全部投げだしてたかもしれん。そしたら、今の私も未来の私もいんかった。いろんなカタチで私を支えてくれるねんな。あれから連絡とってないけど、笑って話せるようになったら全部話すから待ってて。ほんまは今すぐ泣きつきたいけど、やっぱり私にも意地があるから。それに、がんばって乗り越えられたらきっと成長できるから。支えられてばっかりじゃなくて、支えてあげられるようになりたいねん。同じラインに立って、やっと気持ちを伝える権利があると思うから。いつまでも守ってもらうだけじゃちょっと。やっぱ好きな人は守ってあげたいやん。私の叔父は、生まれながら障害を持っている。話す時に舌がうまくまわらないし、知能も遅れているのだそうだ。その叔父は、私が小さい頃からずっと祖母の家にいた。私はそんな叔父を「障害者」と呼びたくない。叔父は私が生まれた日から勤めはじめ、今までの十六年ちょっとの間、一日も休んだことはない。私が作った料理は、たとえ出来映えが悪くても、おいしいおいしいとたいらげてくれる。祖父は決してお世辞を言わず、ただ食べ終わり皿をさげるだけ。叔父には、祖父よりストレートな優しさがある。私は、「ありがとう」を言える人が好きだ。私もそうなりたいと思っている。叔父は、たとえ知能は低くても「ありがとう」を言える能力がある。人間性は高い。障害者というと、動作は遅くけむたい存在になってしまうかもしれない。それでも、健常者ということになっている私たちより、素直に感謝や喜びを表せる人もいるのではないか。その方がよほど健常というものではないのか。私は、「ありがとう」が言える叔父を好きだ。だから私も、「ありがとう」を言える人間になりたい。私は今、高校2年生だ。小学校、中学校にあった夢などもうない。それでも小学校の時はみんなより少し優れたものを探し出し、それを自分独自の才能だと思い込んでいた。今も続けているサッカーだってそうだ。みんなが上手い、と言ってくれるので、自分一人でボールを持ってゴールを決めていた。自分だけが上手いと思い込み、誰一人信じようとしなかった。当然私と同じチームのメンバーは楽しくなかっただろう。いつの間にか私は、昼休みになると鉄棒にぶら下がって、みんながサッカーをしているところを見ているしかなかった。教室に男一人でいるのは嫌だったし、仲間はずれにされた自分を好きな女の子に見られたくはなかった。それにもしかしたら、友達が誘いの声を掛けてくれるかもしれないと思ったからだ。天狗になった自分は、待っていればそのうち誰かが近寄って話しかけてくれると思っていた。しかし、いつになっても私は一人だった。ある日私は勇気を振りしぼって今まで仲の良かった友達に声を掛けた。最初は気まずそうだった友人も少しずつ笑顔になり、やがて今までと同じように話してくれるようになった。一人でいた間に私は傲慢だった自分を見つめ直すことができた。その経験の延長線上に今の私がいる。自己中心だと孤立するよと心のどこかでもう一人の自分が囁く。岡山県立和気閑谷高等学校(岡山県)甲山若菜さん人とのふれあいの中で…京都府立嵯峨野高等学校(京都府)才本麻奈さん離れても宮崎県立都農高等学校(宮崎県)小林佑二さん無題福岡県立久留米高等学校(福岡県)古賀常郎さんドーナツ山形県立山形西高等学校(山形県)佐々木裕子さん叔父のこと西日本短期大学附属高等学校(福岡県)下川顕寛さん一人ぼっちの私