17歳からのメッセージReport2003

17歳からのメッセージReport2003 page 52/76

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17歳からのメッセージReport2003

17歳からのメッセージ?[受賞作品集]??奨励賞? 50しまった。母は泣いていたが一番辛かったのは姉に決まってる。励ましのつもりが逆に姉をここまで追いつめてたなんて、気づいた時には遅かった。この事がきっかけで私は”頑張れ“について考えさせられるようになった。頑張ってる人に”頑張れ“と言うのは無理をさせてるだけじゃないのか。”頑張らなくていいんだよ“の一言でもしかしたら姉は救われたのかもしれない。その人のありのままの姿を、そのまま受け入れることも大切なことなんだと私は感じた。僕の友達には同じ高校に通っている子もいれば、高校をやめて働いている子もいる。みんな同じ友達なのに、親の見る目が違っている。遊びに行ってくると言うときに高校をやめた子たちの名前を言うと、何か嫌そうな顔をする。その子たちとは小学校やもっと小さい時から一緒で、家も近くにあったからよく遊んでいた。中学校までの間は親もその子たちのことを他の子たちと同じように見ていたと思う。なのに何で急に見方が変わるのかわからない。確かに高校を途中でやめるのは良くないと思う。でも今はみんなちゃんと働きながら通信制の学校にも通ったりして頑張っている。だからそういう子たちとはあまり遊ぶなと言われるとすごく腹が立つ。でも親が心配する気持ちも少しはわかる。その子たちと遊び回って勉強しなくなったらいけないとか、悪いことをしないだろうかとか、色々あると思う。でも、それは別に高校に通っている子たちと遊ぶ時でも同じだと思う。僕は、高校に通っているからいいとかやめたから悪いとかじゃないと思う。みんなそれぞれいいところもあるし、悪いところもある。だから一緒にいて楽しいし、ずっと友達でいるんだと思う。みんな僕の大切な友達だから、親にももっと信用してほしいと思う。今までもこれからも、みんなずっと友達だから。中2の弟は、ただ今反抗期の真っただ中です。気に入らないことを言われるとすぐ「うるせぇし」。「おはよう」もなければ「ありがとう」も言えない。部活のサッカーも練習には欠かさず行くものの、試合では惨敗。どちらかというとサッカーのTVゲームが好きらしい。こんなんだから成績なんてよろしいはずがない。そんな弟に、両親は困り果てている。ところがどういうわけか弟は、私にはわりととっついてくる。「○○のCD買った。」とか「△△のビデオ録った?」とか、たわいもない話ではあるがなぜか私はちょっと嬉しくなる。弟は小さい頃から内弁慶で、家族を心配させてきた。ところがどういうわけか弟は、私にはいつもくっついてきた。私が友達と遊びに行こうとしているのに「ぼくも行くー!!」とついてくるような弟が、時には邪魔だと思ったこともあった。そんな弟が、ただ今反抗期の真っただ中である。色気もついてきたらしく、まったく困った弟だ。でも私は知っている。「英語教えてー。」と頼んでくる弟のひたむきさを。おばあちゃんの料理を手伝う弟の優しさを。そして、おじいちゃんが亡くなった時、泣きわめく私の前で必死に涙をこらえる弟の強さを、私は知っている。他の人がどんなに取り柄のない奴だと思っても、弟は昔から私の弟で、これからも私の弟である。世界を敵に回しても、私だけは弟の味方でいようと思う。周りの空気中に読経が響き渡っていた。側にいる人たちは皆、黒い服や制服に身を包み、長い列を作って君へ最期の別れの言葉を告げていた。そんな中、ぼくは一人何も言えず空を見上げていた。君と交わした言葉を少しでも多く思い出そうと…。ほんの1ヶ月前、ぼくは、いつものように自転車で坂道を登っていった。1、2週間に一度、君に会って話がしたいためだけに。部屋に着くとたいてい君は眠っているか、起きていてもベッドの上で横になっていた。ぼくは君が気付くまで近くに置いてあるパイプいすに座って一息ついていた。2人で話すことはいつも同じ。学校の生徒会の仲間のことやF1の話、いつもと変わらない話の中にも、現状をよく話そうとして様々なことを口に出していった。様子を見に来た人が「あら、お友達?」と聞いてきた時に、「大親友です。」と言った言葉が今も耳元から離れない。ぼくはその言葉にふさわしい人間かと考えていた最中のある夜、1本の電話でまるで動力を失った機械のようになり、心の中に巨大な風穴が作られた。最後に君の瞳が開かなくなった顔を見た時、今まで君と交わした言葉がふいに流れてきて、こんな言葉が自然に口からもれていった。「また今度、いろんな土産話を持って来るからここで待っててくれ。それじゃあちょっとでかけてくるよ…それでは―行ってきます。」と。私には、2歳になる甥っ子がいます。甥の麟太郎とはいつもは別々に住んでいます。でも、平日の夕方は私の家に来ています。毎日学校から帰って麟太郎と遊んでいると、私がだんだん年をとっていくにつれて、気にとめなくなっていたものに、気付かされることがあります。例えば、公園や散歩に行くと、アリ・バッタ・チョウチョ・カタツムリなどの生き物がいるのに気付きます。それを興味津々で目を輝かせて眺めている麟太郎の横で一緒になって見ていると、小さい頃に戻ったみたいに何も考えずに見ていました。麟太郎と接していて、いろんなことを教えてもらえました。子どもと接することの難しさ。今まで子どもはかわいいと思っていました。でも実際は、楽しい時もたくさんありますが、子どもが寝たい時など機嫌が悪くなり、ぐずぐず言いはじめたりと、もう嫌になります。でもそれを知ることができたのも麟太郎とふれあったからです。これからも、いろんなことを教えてもらおうと思います。「いってらっしゃい。」いつもの母の声が聞こえてきた。いつものように学校へ行き、今日も何事もなく一日が終わると思っていた…。最初に異変に気付いたのは、父と妹だった。妹の部屋に通帳や印鑑など、大切な物が知らないうちに置いてあったとのことだ。そして、いつもは仕事を終えて家にいるはずの母の姿がない。僕の両親は、インテリアの仕事を自営していた。だから、帰宅が遅くなることも度々あり、いつものことだろうと思った。妹の部屋のことも気がかりだったが、とにかく母の帰りを待つことにした。十時、十一時、十二時、時間だけが過ぎていく。でも、母が帰ってくる気配も連絡もない。携帯電話もつながらない。とうとう待ちきれなくなった父が、警察と心当たりのある所に手当たり次第電話をかけ始めた。母がいなくなった事実を信じるしかなかった。「何でお母さんが?」という言葉が頭の中を駆け巡った。「自殺」この二文字が一瞬頭をよぎったが、必死に振り払った。母が帰ることを信じて…。次の日、母から電話があった。家族全員泣いて喜び合った。母は「何でこんな所に来たのか分からない。とにかくどこかへ行きたかった。」と話した。軽いうつ病になるほど母に負担をかけてしまったことに、家族全員反省と後悔をした。家族間での会話、本音をぶつけ合うことの大切さを知った。この出来事を決して無駄にはしない。山形県立米沢商業高等学校(山形県)田村奈々さん弟広島県立尾道商業高等学校(広島県)長藤勇気さん行ってきます。兵庫県立香寺高等学校(兵庫県)種田侑祐さん友達長崎市立長崎商業高等学校(長崎県)中村美加さん発見と再発見岐阜県立白川高等学校(岐阜県)中山孔志さん家族