17歳からのメッセージReport2003

17歳からのメッセージReport2003 page 53/76

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17歳からのメッセージReport2003

17歳からのメッセージ?[受賞作品集]??奨励賞?51おばあちゃんがうちに来て、もう二ヵ月が過ぎようとしている。5年前、おじいちゃんが死んでから、親せきの家が集中している大阪で、おばあちゃんは一人で暮らしていた。ところが、腰を痛めて、一人ではもう生活できなくなってしまった。親せきの人の仕事の都合がつくまでうちにおばあちゃんが住むことになった。そして、一週間もすると、おばあちゃんは動けるようになった。それからだ。私がおばあちゃんの異常に気づいたのは。ぶつぶつ何かを言っていたと思うと、突然どなりだしたり、自分の部屋に赤ちゃんがいるから静かにするようにと私と妹に注意したり……。文句を言い出したかと思うと、魂を抜かれた人みたいに元気がなくなる。そんなおばあちゃんのことを、私は嫌いになっていった。意味も分からずどなられて、思わず「早く出ていけよ。」と言ってしまいそうになったこともある。高齢化社会とよくニュースで流れている。「ふぅん。」と人ごとのように思っていたけど、こんなにそれを身近に感じるとは思っていなかった。ボケてしまったおばあちゃん。そんなおばあちゃんのことが嫌いな私。あさって、おばあちゃんは私たちの家を出て行く。以前の私なら喜んだだろう。だけど、おばあちゃんがいなくなった家を、部屋を見たとき、私はどう思うだろうか?嬉しいという気持ちになれないような気がする。この二ヶ月で変わってしまったのだろうか。私が?それとも、おばあちゃんが?大切な人がいますか、と聞かれたとしたら、私は「家族・友達・彼氏」と答えると思う。けど、その3つの中では順番はつけられない。なぜなら、私はその人たちを同じくらい必要としていて、その人たちが同じくらい大切だからだ。家族は、かれこれ17年間一緒に暮らしてきたが、やはり一番付き合いが長い。けんかしたりして顔も見たくないと思うこともあるけど、でもそんな家族がいる家が一番落ち着くと思う。これまで色々と迷惑をかけてきた私だけど、もっとお世話になりたいから一生付き合っていきたい、と素直に思えるくらい家族は大切だ。友達は、私が学校に通う上で必要不可欠な存在だ。もし友達がいなかったら、私は学校に来ないと言い切れる。なんでもないことで笑い合ったり衝突したり一緒に頑張ったり…思い出は様々だが、日々私と仲良くしてくれている友達には心からお礼を言いたい。やっぱり一生付き合っていきたいくらい大切だ。彼氏は、家族や友達にはない優しさとか包容力があって日々癒されている。自分が一番自然体でいられるような付き合いが続けられるのなら、一生付き合っていきたいと思えるし、やっぱり、大切だ。私が挙げた3つの”大切な人“は、どう考えても私の人生において欠かすことはできない人たちだ。だから、相手が思ってくれているよりももっと、私はこの人たちを大切にしていきたい。私は昔から、『校長先生』というのは、『同じ学校にいるんだけど、世界が違う人』というイメージがあり、近寄りにくい存在だと思っていました。でも、たった一度だけ、とても良い校長先生に会ったことがあります。その先生は、すごく気さくで、おもしろくて、明るい人でした。その校長先生は、図書館で一緒に本を読んだり、校長室にみんなを呼んで、絵を描いて遊んだり、まるで友達のように私たちと接してくれました。だけど、あっという間に1年が過ぎて、校長先生と、5年生まで過ごした小学校とお別れすることになりました。私たちの学校は、全校生徒が60人をきってしまったため、翌年から他の小学校と統合することが決まっていたのです。たった1年間の間に、校長先生は数えきれないほどの話をしてくれました。楽しい思い出をいっぱい残してくれました。私はこの先生と出会って、本当に偉い人は、人を見下さず、自己中心的なことをしないで、周りの人の意見をちゃんと聞いて、誰にでも優しくできる人だと思いました。他にも大切なことをたくさん教えてくれました。これからも多くの人とふれあい、いろいろな事を学んでいきたいと思いました。今までの生活の中で私は学び、傷つき、悩みをたくさん経験してきた。このことは命がつきるまでずっと続いていくことだろう。私は過去に経験してきたことから、この先ずっと大事にしていきたいことがある。「友達」だ。友達よりも家族が大事という人もいるかもしれない。でも私はあえて友達を出した。それにはちゃんと理由があるのだ。私のような不安定な年頃は大人にもなれず、子どもでもない悩み多き頃だ。親からはガミガミ言われて相談なんてとてもできない。そんな風に考える私たちには同じ年頃の友達が数少ない相談相手だったりする。ちょうど同じ立場の人間でお互いに相談し合える。ましてや友達なのだから緊張なんてものはない。それに一緒に解決の糸口を探すことができる。もちろん親だって似たような経験をしてきたのだから相談できるはずだ。しかし時代などの環境が違ってくる。その上私たちは分からずやだ。だからこそ友達がベストなのである。熱くなってカッコ悪いというかもしれない。でも人間なのだから熱いところは探せばあるはずなのだ。探そうとしないからカッコ悪いなどと言って片付けてしまう。ただ唯一の問題がある。友達をいかに信頼できるかだ。自分が信頼しなければ相手からの信頼なんてありえない。信頼せずに相手からの信頼を欲するのはエゴだ。どうやって友達と出会うか。自然に”友達“ができるほどすばらしいものはないと私は思う。4月12日、その日は突然やってきた。病院へ向かうタクシーの中で熱いものがこみ上げてきた。初めて、涙ってこんなにも熱いものなんだと感じた。何度呼んでも返事をしてくれないおじいちゃんを前に私の涙は止まらなかった。呼んでも返事をしてくれなかったことなんて今まで一度だってなかった。いつも優しかったな。いっぱいわがまま聞いてもらったな。おじいちゃんからのお年玉が一番うれしかったな。おじいちゃんとの思い出はたくさんありすぎた。冷たくなったおじいちゃんを見つめながら、もしかしたら動くんじゃないか、もしかしたら話してくれるんじゃないかと、死という現実をどうしても受け入れられなかった。人の死が、大切な人の死というものがこんなにもつらく悲しいことだなんて思ってなかった。人がこんなにもあっけなく死んでしまう生き物だなんて思ってなかった。こんな思いをしなくてはならないのなら大切な人なんていらない。大切な人の死がつらいのなら大切な人をつくらなければいい。けどそんな簡単なことじゃない。私にはもうたくさんの大切な人がいる。失いたくないと思える大切な人。私はおじいちゃんが天国へ行ったということよりも、いつか自分が、みんなが、おじいちゃんのことを忘れてしまうということが恐かったんだって思った。私の大切なものは、携帯電話です。私の携帯電話には、大切な友達、家族との大切なメールが、つまっています。夜遅くまで友達とやった「恋の話」のメール。大事な親友とケンカしたあの日に送った「ゴメンネ」のメール。片思いのあの人に頑張って送った「ドキドキ」のメール。帰りが遅いとよく送ら和歌山県立那賀高等学校(和歌山県)鳴海彩さん私とおばあちゃん熊本学園大学付属高等学校(熊本県)橋本瑠美子さん3つの”大切な人“新潟県立小出高等学校(新潟県)羽鳥茜さん人とのふれあいの中で滋賀県立草津東高等学校(滋賀県)春名裕美さん私にとっての「友達」立命館高等学校(京都府)平井美輝さんおじいちゃんが天国へ行った日大阪府立泉陽高等学校(大阪府)細田知里さん携帯電話