17歳からのメッセージReport2003

17歳からのメッセージReport2003 page 55/76

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17歳からのメッセージReport2003

17歳からのメッセージ?[受賞作品集]??奨励賞?53私はクラス全員で18人という、小さな小学校で育ちました。十七歳の今、幼なじみという存在のすばらしさに気づき、このメッセージを書いています。私のいう幼なじみとは小学校時代の友達をさします。幼なじみの男たちは、幼なじみの女を「女」と見ていないようです。夜遅くまで遊んでも家まで送ってくれないし、下ネタも当然と言うし、「また太ったな?!」と、デリカシーのかけらもないことを口にします。それって女としてどうなの?って感じだけど、私はそれがすごく嬉しかったりします。幼なじみの女たちはサバサバとしていて、いや、しすぎていて女同士の会話という感じが全くしません。ストレートに女の悩みをぶつければ、絶対にホームランで返してきます。小学校のころからずっと、男だとか女だとか、それほど気にしてなかった記憶があります。男だとか女だとか、それは男という人間と女という人間が存在するうえで大事なことなのだろうけど、女同士でも男同士でもできない話が、男と女だけどそうじゃない関係でいられる「幼なじみ」という関係が今、すごく大切なものに思えます。私の幼なじみには金髪も、受験生も、いわゆる不良もいます。小学校を卒業してから、外見も考えることも変わってしまった今だけど、やっぱり心のどこかにはあの頃のままの気持ちを忘れずに持ち続けていると思うのです。やわらかき青春のあり十七の夏人は独りでは生きていけない。当たり前のことながら家族や友人、その他大勢の人々に囲まれ支え合いながら共に生きていく。しかし私はヒトだけが人を支えられるのではないことを友人の経験を通して思い知らされた。先日、私の友人が出産した。彼女は外面がとても気丈なのだが、内面はとても繊細でもろく傷つきやすい。昨年の春頃からふさぎがちになり、周囲の人間を困惑させた。そんな時彼女に妊娠が発覚した。彼女は産んで自分の力で育てると言った。私は正直彼女には無理だ、まだ早すぎると思った。まだ十代で自分の責任すら負えない私たちに、一つの命の責任など負えるはずがない。大人でもノイローゼになったりするほど、大変な乳児を自分に余裕がない彼女が育てられるわけがないんだと私は強く思っていた。しかしそれは大きな間違いだった。彼女のお腹が大きくなるにつれ、彼女の顔色はみるみる良くなっていった。彼女は子供を育てるという意志と責任で、生きる目的を明確に持ち希望ができたのだ。彼女が悩んでいた時、私たち友人や彼女の家族は何もしてあげることができなかったのに、まだこの世に生まれ出でてすらない命がいとも簡単に彼女に光を与えたのだ。胎児や乳児は何を話せなくとも、大人が与え続けるだけの存在ではなく、十分に共に歩んでいける存在であることを私は本当に素晴らしいと思った。今、彼女は立派に母をしている。その周りに家族や友人が笑っているのは言うまでもない。電子メールについて話します。僕は、このメールのおかげで人生が変わりました。僕は、昔から人に物事をうまく伝えることが苦手でした。パソコンで電子メールをすることで変わりました。僕はまずパソコンに慣れるまで時間がかかりました。キーの場所を覚えるのが大変で、でも慣れてしまえば大丈夫でした。メールも初めは一通書くだけで三十分ぐらいかかりました。でもこれが楽しいのです。友達とメールし始めてかなり自分が変わりました。自分の気持ちをうまく相手に伝えられなかったのにメールで文章にすると思ったより簡単だったのです。感動しました。僕は今までこんなことで悩んでいたのかと、その日から毎日のメールがいつも以上に楽しくなりました。友達とメールをすることで、友達との友情も深くなったと思います。今では、昔よりはうまく物事を伝えることができるようになったと思います。これも電子メールのおかげです。僕は、今でもメールを楽しんでいます。あの頃の感動を思い出しながら。僕は、電子メールで人生が変わりました。メールでの事件などもニュースでやっていましたが、これは悪い例です。うまく使えば人生を変えることもできます、僕のように。人とのふれあいができるようになりました。ある日、私が家族で買い物に出かけていた時のことでした。私たちの車の後ろからは、集団でバイクに乗った若い男の人たちがものすごい音を立てて走っていました。一番前を走っていた人たちは、一人がバイクを運転し、もう一人の人は後ろに乗って、音楽を大きくかけて、歌っていました。私は、怖いなぁと思う反面、楽しそうだなぁと思いました。その時、母は、「うるさいねぇ、あの子らは。あんたらは、あんな子見てどう思う?」と私たち家族にたずねてきました。私は、その質問に、ものすごく腹が立ちました。なぜかと言うと、確かに、あのバイクに乗っている人たちは、うるさいかもしれません。人に迷惑をかけているかもしれません。でも、そういうことをしているからといって、その人たちの人格まで、とやかく言うことはないと思ったからです。バイクに乗っているから…とか不良っぽい格好しているから…などという理由で、その人たちが悪い人たちかどうかは分からないと思います。あの時、母がどんな気持ちで言ったのか分からないけど、私は人を見た目で判断するのは、絶対許せないことだと思います。人は欠点だけでなく、絶対に良い点があるから、良い点も見てから、人を判断してほしいと思いました。私は広陵高校野球部に入り、人とのふれあいの中でいろいろな事を学ぶことができた。私は野球部でいろいろな人とふれあってきて、感動したこと、楽しかったこと、つらかったこと、たくさん経験してきて人生の中で最も感動したことは、甲子園で優勝できたことだ。私たちの野球部は甲子園に出発する前の練習試合では、全く勝てず監督から怒られてばかりだったが、甲子園ではスタンドとアルプスが一体となり見事全国制覇することができた。しかし、優勝することができたのも今まで自分たちが頑張って死にもの狂いでやった結果だと思うし、周りの方々が応援してくれなかったら、この優勝はなかった。人とふれあうことでいろいろな経験ができ、優勝した時は、心の底から感激することができた。私が野球部に入りこれまで大切にしてきたことは感謝するということである。人とのふれあいで感謝することをしなければ、周りも私に協力しようとも思わないし、助けてあげようとも思わない。人とのふれあいの中で、感謝できるからどんなつらいことも乗り越えることができ、絶対に社会に出ても成功できると思う。私は広陵高校野球部でいろいろな人にふれあうことができたが、野球部に入ったことで感動したこと、楽しかったこと、つらかったこと、たくさん経験でき、この経験は本当に自分にプラスになった。これからも人とのふれあいを大切にしていき、つらいことがあったらこの経験を生かして、自分を励ましていく。今、町の中では「いやし」という言葉が当たり前のように使われています。店先では「いやし系グッズ」が、あふれんばかりに並び、流されているBGMも、そのようなものばかりです。人々は、少しでも心を休めるために「いやし系グッズ」をヒザの上に愛媛県立宇和島東高等学校(愛媛県)宮嶋梓帆さん私の青春?幼なじみ論?大阪府立桜塚高等学校(大阪府)村上かおるさん命が与えるもの和歌山県立那賀高等学校(和歌山県)安田知司さん人生を変えた友達とのメール愛媛県立今治東高等学校(愛媛県)安永知代さん母に言いたかった事広陵高等学校(広島県)山根幸隆さん人とのふれあいの中で…和歌山県立和歌山商業高等学校(和歌山県)吉岡里恵子さん人+人=安らぎ。