17歳からのメッセージReport2003

17歳からのメッセージReport2003 page 59/76

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17歳からのメッセージReport2003

「あぁまた見られてる。そんなに外国人が珍しいんかな。」「みんな金髪に憧れてるねんよ。」金髪にグレーの目をした彼女は典型的な外国人の容姿をしている。髪を染めている日本人は多いが、やはり本物の金髪に長い手足とくれば、だれの目にも留まってしまうのだろう。どこへ行っても彼女への視線は常に感じられた。私にも同じような経験がある。昨年の夏スウェーデンの小さな町を訪れた時、そこでは日本人が珍しいのか着くなり新聞社の人がインタヴューをしに来た。外を歩くとやはり珍しい者を見る目で見られているような気がした。あまりいい気がしなかった。そんな時、一人の女性が私に近づいて来て英語で話し掛けてきた。それだけでスウェーデン人との間に感じていた壁が一気に崩れ、スウェーデンの印象がグッとよくなった。その時は英語が私を救ってくれたが、冬に修学旅行でタイに行った時はそうはいかなかった。英語も日本語ももちろんタイ語も意味を成さなかった。それなのに私たちは話をした。一緒に笑った。『17歳からのメッセージ』それは『人間に返ろう。』である。身にまとっているすべての装飾品をはずし素の人間に返る。犬を相手に手なづけられる私たちなのだから同じ人間を前に意思の疎通をはかれないはずがないと私は思う。人から人……人種やなにもかもを忘れて、人間同士の付き合いをみんなができたらより素晴らしいグローバル社会になるはずだと私は強く思う。「私にはインドネシア人の親戚がいます。」と言えば皆さんはどう思われますか。この時決まって言われる言葉があります。それは「すごいね。」何が?誰に対して?私もそうなのですが、私たちは「自国中心」に考えています。だから他国の人が入って来た時になぜか目立つようになります。私が小学生の頃、観光に来たアメリカの人に「ハロー」と言ったら「失礼なのよ。」と先生に叱られた思い出があります。相手にとったら「こんにちは」という一番基本の言葉はもう覚えているのだから、珍しい目で見るのはよしなさいという忠告でした。あぁそうか、相手の気持ちを読めていなかったと感じました。最初の話、すごいのは私の親類のニニンさんです。どれだけ勇気のいることでしょう。ニニンさんの字は、まるで子供の字です。しかし、もう私と世間話をペチャクチャと話されるほどです。私はニニンさんとインドネシア語で話をしたいとずっと思っていました。もっともっとインドネシアを知っていきたい、その中で日本について気付くこともたくさんあるでしょう。今、そしてこれ17歳からのメッセージ?[受賞作品集]??奨励賞?57神戸市立葺合高等学校(兵庫県)水野愛子さん人間同士立命館高等学校(京都府)村瀬智里さんBibik saya orang Indonesia.?私の叔母は、インドネシア人です。?から先も親類が他国の人というのは珍しいことかもしれません。しかし、周りの人々にとって私にとって互いの国を知るよいキッカケになると思います。私はこの出会いをどんどん広げていきたいです。でもまだインドネシア語を勉強中ということはニニンさんには内緒ですよ。「グローバル社会」。そんな言葉をよく耳にしますが、皆さんはどのようにその意味を受け取っていますか。「国際化」ばかり重要視して、国内の良い文化をないがしろにしていませんか。十分日本語でも補えるのに横文字だとかっこいいと誤解して、わざわざ英語を持ってきてませんか。伝統的な文化―民族楽器、歌舞伎や茶道など―について、一体どれほどの知識がありますか。私は、「グローバル社会」で生きるには、まず自分がどの国の人間かを知ることが必要だと思います。つまりそれは、自分は何者かを知ることにつながると思います。何故それが必要なのかというと、自分を知る事で自分の主張をしっかり持て、より自分を知ってもらえると同時に、相手のことをより深く知ることができるからです。それに、「国際」という言葉は、自分の国と相手の国があって初めてあるのですから、自分の国のこともよく知らずに、どうして「国際人」などになれるのでしょうか。なれるわけがありません。私は、在日朝鮮人の三世です。日本という他国で生まれ住んでいても、学校で朝鮮半島の文化―言語、歴史や音楽など―について、多くのことを学んでいます。皆さんは、どうですか。毎朝、私の乗っている電車には学生がたくさん乗っている。私と同じ年ぐらいの学生たち。もう小さい子供ではない。しかし電車の中でのマナーは最低だ。ドアの入り口付近に集団でかたまっては地べたに座り込み、大声でしゃべり、人が降りる時も乗ってくる時もそこからどこうとはしない。口元にマイクをつけているかのように大きな声で、平気で電話する。女の子なのに足を大きく広げて座っている。鏡を見ながら化粧している。お菓子を食べる。全く周りを気にせず、自分のしたい放題、好き放題。自分のことしか考えず、周りに迷惑をかけていること、間違ったことをしていると思っていない。どうしてそういう風になれるのか?何も思わないのか?周りの大人たちはこういう若者を見て、どう思っているのか?昔はこういう事は、ほとんどなかったと聞いている。しかし、実際に今、このような状況になっているのはどうしてか?一体何が変わってしまったのか。私は同じ人間としても恥ずかしい。でも、そういう人たちを見て見ぬ振りをしてしまう何もできない自分は、もっと恥ずかしいんじゃないかって思ってしまう。何もできないくせに偉そうなことを言うんじゃないと思うかもしれないが結局は自分で間違いに気付かないといけないと思う。そうするともっと周りが見えてくるし、世の中の流れもいいように変わってくると思う。私は早く彼女たちが自分がしている事に気付いてほしい。自分のためにも、みんなのためにも。肩を組み、小さな小さな丸い一つの円を作る。みんなの呼吸が一つになる。緊張でガチガチだった肩や手、腕が自然と軽くなる。不安でいっぱいだった気持ちが自信へと変わっていく…。本番直前の円陣を組む時、私はいつも涙が出そうになる。十六の春、当時部員数六人というとても小さな部、郷土芸能部へ入部した。女ばかり、高校から和太鼓をはじめたばかりの私たちを見て、だれもがすぐやめる、長続きするわけがないと思っていたと思う。しかし私たちは自分たちに大きな目標をたてた。『全国大会優勝』私たちの目は本気だった。全国大会優勝がどれだけ難しいかなんて、私たちが一番よくわかっている。だからこそ毎日太鼓をたたいた。手が痛くても、足が痛くても、一日でも太鼓をたたかないと不安になった。これで本当に優勝できるのかと悩んだ時も、とにかくたたき続けるしかなかった。私は十八になった。太鼓を通じて多くの人たちに出会い、多くの仲間ができた。円陣を組む時のあの気持ちは今でも変わっていない。ただ一つ変わったのは、小さかった円が、今では大きな大きな円になったということだけ。涙が出るのは不安や悲しいからじゃない。みんなの気持ちがあったかすぎるから。一人じゃない。みんながいるって安心できるからだ。本番直前の円陣を組む時、みんなが一つになる時、私の大好きな時、私は涙が出る。大阪朝鮮高級学校(大阪府)李朝香さん「グローバル社会」で生きるには西山高等学校(京都府)若林めぐみさん電車でのマナー自由課題福井県立福井農林高等学校(福井県)荒井歩さん一つの円