17歳からのメッセージReport2003

17歳からのメッセージReport2003 page 64/76

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17歳からのメッセージReport2003

17歳からのメッセージ?[受賞作品集]??奨励賞? 62詩が好きかと問うたら、皆さんは何と答えるだろう。気取ったところや、わけの分からないところが嫌い?それとも、心に響くその独特な律動が好き?きっと様々な意見が出るのだろう。私の答えは、”好き“である。自分でインターネットサイトに投稿しているくらいだ。そこでは色々な人たちの詩を気軽に閲覧し、感想なんかも書けたりして、詩人内での交流も盛んであり、目下入り浸っている。さて、何が私をここまで詩好きにさせたかというと、とある二つの詩集である。有名なので、多分皆聞いたことはあると思う。―宮沢賢治と、谷川俊太郎、この二人の詩に出合って、私は生まれ変わったといっても過言ではない。それほどの力を二つの詩集は持っていた。どういう風に変わったか、と言われれば、隠された世界への窓が開いた、と表現するのが一番近いように思われる。世界の真理を垣間見るようなその感覚に、私はあっと言う間に魅せられてしまった。詩は麻薬のように中毒性を持っている、と私は思う。(それは薬などよりずっと幸福な依存だ。)それは曇った眼を透明にし、人の思いを心に感じ、全く人生を変えてしまう。心に溜まった思いを吐き出し、私は今日も生まれ変わる。窓の外の世界をいつも夢見ながら。私は軽井沢で生まれ育った。小さい頃はこの町が大好きだった。今は、嫌いだ。夏になると涼しさを求める観光客で賑わう町。たくさんの自然に囲まれる町。しかし、その自然が失われつつある。私の家の周りにあった林はほとんど全ての木を失い、広々とした駐車場になった。そこに矛盾が生まれた。散々木を切り倒して作った駐車場に「森林保護のため前進駐車でお願いします」と謳った看板が立った。誰も間違いに気づかないのか。その他にも次々とマンションやホテル建設が進み、それに比例して自然が少なくなっている。今ではもう私が好きだった「自然いっぱいの軽井沢」とはいえない。年々軽井沢は便利で住みやすい町になっている。しかし、便利さと引き替えに自然を失っているのも現実だ。観光客がこの町に求めているのは便利さより自然ではないだろうか。たとえ不便でも、自然を残すことを最優先したい。もう一度考える。この町の自然、この町の未来がいつか自然いっぱいの軽井沢に戻ったら胸を張って言いたい。軽井沢が「私の好きな町」だということを。先日、久し振りに母と出かけた。今まで何度も一緒に歩いたことのあるルートだったが、その日、私は初めてどこか不安で少し寂しい思いを抱いていた。普段との違い、それは私がヒールの靴を履いていることにあった。私は母よりも身長が高くなっていたのだ。私たちは誰でも生まれてから約十年ほどの間、周りの大人は必ず自分より身長が高い。私にとって大人とは、両親や先生をはじめとして、叱ったり、教えたり、守ったりしてくれる人、つまりいざとなれば自分を助けてくれる人だった。そのため、頼れる存在の人は自分よりも身長や目線が高いという感覚が自然と身についていたように思う。身長や目線の高さ、そんな目に見えるもので安心感を再確認したり、時には尊敬の念を感じたりすることができていたと思うのだ。今、私が身長を抜いてしまったことに気付く時、私を守ってくれる人は私よりも目線が高くあってほしいと願う気持ちは強くなる。しかし、一方では、そんな見えるものではなく、見えないもので見ていくことを知り始めた気もする。心や気持ちの繋がりを通して、大人からもらう本当の刺激を感じ、小さい頃とはまた違った安心感を得て生きていけると思うのだ。そう、はっきりと見えないからこそ、私の中では一人一人がより大きな存在になり続け、私をいつまでも支えてくれる気がするから。私が今まで生きてきた時間は、まだまだ笑っちゃうほど短い。だけど、そんな短い間にも、一生大切にしたいものとの出合いは少なくない。それは友人だったり、音楽だったり、芸術だったりもする。そんな中で一番大事にしたい、絶対に忘れたりしたくない出合いは、チェルノブイリとの出合いだ。私が生まれる前の年に起きた最悪の事故は、今なお人々の心身に傷をつけ続けている。そのチェルノブイリへの支援のボランティアをしていた母の影響で、私も幼い時からその事故のことを聞かされて育った。支援活動にもたくさん参加してきた。チェルノブイリの被害を直に受けた、私と同世代の友人もできた。本当に、チェルノブイリへの支援とこんなに密接な高校生はいない、というぐらい貴重な体験をさせてもらっている。私はものすごく幸運だ。時間がたつにつれて、チェルノブイリは世界から忘れられていくだろう。人間は悪いものほど、どんどん忘れようとするものだから。だけど私は、世界からチェルノブイリを忘れさせたくない。だから、今まで私が経験してきてとても大切にしたいと思ったものをどんどん広めていきたい。これが今の私の、一番大切にしていきたい思いだ。ここ2、3年の間に、私の住む団地の上、つまるところ山の上に団地ができた。山しかないような場所だったので団地ができて、人が増えていいなと思った。けど、最近よく感じる。散歩をした時、竹林を見ると、山の上の方がけずられて、柵ができていた。薄暗かった竹林は明るくなった。団地ができる前まではよく見ていた狸の親子や野うさぎを見なくなった。見るのも嫌だった蛇はいなくなり、夏休み、自分の声すら消えてしまいそうなセミたちの大合唱も聞こえない。近所の家の庭から見える蛍は年を追うごとに姿が少なくなる。来春の合図にもなっていたうぐいすの声も、もうほとんど聞こえない。それを想うと、悲しく、寂しくなる。そして、そう感じた時、思うのだ。人が増えるということは、こういうことなのだと。それを痛感し、泣きたくなった。10年以上も変わらなかったモノが、たった2年そこそこで壊れた気がした。人が増えるというのは、いい事だと思う。けれどその反対側で失くなっていくモノがあることに気付いている人は、何人いるのだろう。いじめは文化だ。この言葉を聞いて勘違いしないでほしい。なにも私は、いじめが文化的なモノだと言っているわけではない。私が言いたいのは、いじめは教育と同じように、社会や子供に浸透しているということだ。学校で「どうすればいじめはなくなるか」という話し合いをよくさせられる。私たちは毎回うんざりとした。口には出さないものの、私たちの答えは一貫して同じだった。いじめはなくならない。子供にわかることが、何故大人にわからないのだろうと何度も思った。人は他人がいなければ自分を認識できない生物だ。他人より優位に立って初めて、心の安定を得られるという人間は多い。大阪朝鮮高級学校(大阪府)趙佳耶さん窓の外へ長野県立軽井沢高等学校(長野県)里香子さん私の好きな町同志社女子高等学校(京都府)長嶋志生奈さん見えないものを知ってセントヨゼフ女子学園高等学校(三重県)中世古楽さん大切にしていきたいもの土佐女子高等学校(高知県)中谷まなみさん無題鹿児島市立鹿児島女子高等学校(鹿児島県)中村菜保子さん無題