17歳からのメッセージReport2003

17歳からのメッセージReport2003 page 66/76

電子ブックを開く

このページは 17歳からのメッセージReport2003 の電子ブックに掲載されている66ページの概要です。
秒後に電子ブックの対象ページへ移動します。
「電子ブックを開く」をクリックすると今すぐ対象ページへ移動します。

概要:
17歳からのメッセージReport2003

17歳からのメッセージ?[受賞作品集]??奨励賞? 64私の心は、いつも、いつも雨のことばかり考えている。毎日、天気予報のチェック…。何と悲しいことでしょう。その理由は、部活!!テニス部は外で部活をやるため、雨が降ると部活がなくなるのだ。私は毎日天気予報のチェックを忘れない。雨の確率60%私の心の中は『キャ!雨だわぁ部活、お休み♪』みたいな感じになる。授業中お空の顔色をうかがって、雨が降っているとテニス部の中で『雨だよ?』と小声でまわっている。授業中だろうとおかまいなし☆☆もぉ?うれしくてうれしくて!!!…。でもそんなことばかりではナイ。今日の雨の確率70%。な?のにお空は青い。そんな日は、遊ぶから部活ない気マンマンでやる気が出ない。それほど悲しいことはないでしょう。雨は、林ゆかにとってすごくすごく大切なものです。雨がなければ私たちに休みはありません。こんなに雨を願っている自分がなさけない…。どうして雨より晴れが多いんだろう。バカバカしい。今日も雨を願う林ゆかである。最近、集団自殺や自爆テロのニュースが何度も放送されている。私は一人の命が軽視されているように思われる。しかし、私はこの寿命の尊さや神秘さを体験する機会を得た。それは一日看護体験でNICUに行った時のことだった。NICUとは新生児集中治療室のことで、未熟児の赤ちゃんばかりいるところだ。その赤ちゃんたちは、怖いほど小さく、でもその小さい胸で呼吸し生きている。寝ている赤ちゃんの表情はまさに天使のほほえみであった。未熟児の赤ちゃんは看護婦さんの介護が必要で、母乳もゆっくりと注射器のようなもので与えていた。赤ちゃん一人一人の状態を医師や看護婦が丁寧に把握をしていた。母親と父親が一生懸命見守っていた。赤ちゃんはどんなに小さくても、どの赤ちゃんも笑顔で寝ていた。私はこの体験をして、今まで見たことのない小さな赤ちゃんを見た。赤ちゃんはかわいいと思っていたが初めてNICUに行った時、怖いと思った。小さいだけでなく、鼻やおへそや腕に管をつけて、今にも死んでしまいそうだった。私が触ったら壊れてしまいそうなそんな気さえした。この小さな命の誕生は両親だけでなく多くの人たちに支えられて育ってゆく。生と死の限られた時間の中で、死の必然性を認めることも必要だ。しかしそれ以上に、命を大切に思い、自分も共に生きてゆくことが重要だ。「21世紀は君たちの時代だから、良くするも悪くするも君たちの手にかかっているんだよ。」以前に大人からこのようなことを言われた事がある。確かに21世紀は自分たちの時代かもしれない。けれどそれは無責任な大人たちの意見だと思う。今、地球には様々な問題がある。大気汚染、酸性雨、地球温暖化などだ。しかし、これらの問題は今に始まった事ではなく、すでに20世紀の時から問題になっていたはずで、私たちが生まれる前から人間がしてきた事が積み重なって、今現在の問題になっているのに、「良くするも悪くするも君たち次第。」などと勝手な事は言わないでほしい。21世紀はもう始まっている。今政治をしているのは、「21世紀は君たちの時代だよ。」という無責任な大人たちである。私たちが政治を行うようになった時に、地球が抱えている問題などを「世代交替」などという言葉で押しつけないでほしい。21世紀は私たちが主役かもしれない。けれど良くするか悪くするかは世界中の人の手にかかっていると思う。世界中の人が責任を持ち21世紀を生きてゆかなければいけないと私は思う。ボランティアとは、社会事業のために無報酬で働く人のことを指す。しかし、彼等は本当に無報酬であるのだろうか?確かに物質的・金銭的報酬はないにしろ、精神的な面での報酬を得ていると私は思う。いつの頃だったか、テレビのリポーターに笑顔で「喜んでいる顔を見るととても嬉しい」と答えているボランティアの人を見た。その時は、とても善良な人だなぁなどと無邪気に感心したものである。しかし、どうだろうか。彼等はそういう自己満足を、金銭や物質の変わりに得ているのではないだろうか。なまじ金で買い難い分だけ贅沢とも言えよう。だから、ボランティアを誉めてサラリーマンを誉めないのはどうかと思う。両者とも、報酬目当てで働いていることには間違いないのだから。ただ報酬の形が違うというだけである。数年前まで私の家から学校までには3つの歩道橋がありました。3つとも反対側に渡れる信号から、だいぶ離れていて、反対側に行くには歩道橋はかなり便利な物です。しかし、その歩道橋の3つのうち1つが取り壊されました。そして、その歩道橋は音つきの信号にかわりました。私は歩道橋が取り壊されるのを見て、音つきの信号にかわったのがなぜなのか全くわかりませんでした。友達に聞いてみると「車いすの人たちが大変だからだよ。」という答えが返ってきました。私はそんなことにはぜんぜん気がつきませんでした。私たちは普通に歩いて階段をのぼります。だけど、階段という障害はベビーカー、車いすなどの人たちにとってはかなりの不便なものであってその人たちは重いベビーカー、車いすを持って階段を降りるか、遠い信号のほうまでいって遠回りをして反対側に行くしか方法がありません。私は「そんな面倒臭いことは絶対にしたくない!」と思います。やっぱりその人たちにとっては階段のない信号の方がいいはずです。こういったことをなくすために私たちが大人になった時には歩道橋に限らず、全ての人たちが不自由なく便利な世の中にしていかなければならないと思いました。五年前、僕は期待と不安を胸に抱いて、とある中学校の門を潜った。だが楽しい筈の日々は間もなく終焉を迎える。極度の成績不振、対人関係の縺れ、そして度重なる過ち。僕は生きながら死んでいた。そうしてやつれてゆく僕の姿は周りの者にどう映っていたのだろうか。見て見ぬ振りをしていたのだろうか。―いや、あの頃、そんな事はどうでもよかった。ただ目の前の現実から逃げ出したかった…。そうこうしている間に僕は今の高校へと流れ着く。「四月…」何の希望もない入学式。あの時の虚無感は今でもしっかりと覚えている。それから数日が過ぎたある日、過去を引き摺る僕に担任の先生は言った。「過去は過去。今はもう違う」と…。僕は永い悪夢から目覚めた。あれほどの成績不振が嘘のように、気が付けば僕は校内トップレベルの実力を身に付けていた。仲間もできた。互いの過去を見ていない彼らとは何のわだかまりもなく付き合えている。そして目前に迫る大学受験。「僕はもう負けない。僕はまだ戦えるんだ…」―僕は今、この文章を綴ることで自らの過去を清算しようとしている。それは、これからの未来に対する想いが形を成したものでもあるし、過去の自分との決別でもある。結局、僕は誰かに必鴬谷高等学校(岐阜県)林由香さん雨々フレフレ。願いですセントヨゼフ女子学園高等学校(三重県)平塚洋子さん天使のほほえみ長野県下伊那農業高等学校(長野県)平野智子さん21世紀は君たちの時代和歌山県立田辺高等学校(和歌山県)広畑真さんサラリーマンとボランティア神戸村野工業高等学校(兵庫県)藤野津芳さんprologue―プロローグ―長崎市立長崎商業高等学校(長崎県)布志木千智さん歩道橋