17歳からのメッセージReport2003

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17歳からのメッセージReport2003

17歳からのメッセージ?[受賞作品集]??奨励賞?65要とされたかったのだろう。そして何より自分の居場所が欲しかった。たったそれだけのことがあの頃の僕には分からなかった。それが分かった今、僕は明日への大いなる可能性を背負っているのかもしれない。今日、我々は地球に住む生き物として環境を保護しなければならないということを、認識しつつある。そのために、環境に優しいと銘打たれた商品を購入することも多い。だが、その商品が、本当に環境に対して無害であるということを自分で調べ確認して使用する人は、はたしてそうたくさんいるだろうか。例えば、オゾン層を破壊してしまうフロンガスを使わずに、代替物質を使用している冷蔵庫やエアコンが増えている。だが、そのような代替物質が逆に大気中の二酸化炭素の濃度を増加させ、地球の温暖化を促進してしまっているのだ。そのような事実を知らずに、企業の宣伝文句のみを信用して商品を購入してしまえば、せっかくの環境保護に対する意気込みもかえってあだとなってしまうのである。地球人として、環境を守ろうと考え、そのための行動をしようとすることは確かに大切なことである。だがそのために、企業やメディアから与えられる情報に頼りきりになるのではなく、自ら積極的に情報を収集し、自分で判断を下すことも必要だと自覚することが、これからの地球のために不可欠である。聴覚障害者との出会い。それは中学三年生のある夏の日のことだった。いつものように街で買い物していた私の目に映った光景。二人の大人の人が手をなにやら動かしていた。初めて生で見た手話だった。どこか異星の人を見るようにじーっと見てしまった私。障害者イコール自分とは違うという感覚がその時の私にはあった。「これを差別というのではないか」後に振り返ってみたとき、私はあの時の人たちを差別してしまったことに気がついた。そしてこの出会いがきっかけで、手話サークルに通い始めた。手話サークルには、あの時と同じ年齢くらいの耳の不自由な方がいた。そこに通う人たちは、皆笑顔で手を使って会話していた。声じゃなくても、意思が伝わる。その指になにか温かいものを感じた。そして私は、耳の不自由な人と差別の心なく笑顔で会話したいと思った。耳だけではなく障害を持った人たちはたくさんいる。その人たちは、つらくても苦しくても、それを受け入れ精一杯生きている。不自由であっても私たちと同じ人間なんだ。電車の中で障害を持った人と会った。でも今の私には異星人と思う心はない。全ての人が支えあい尊重しあえる社会を夢見ている。『自分は何のために存在しているのか?』ふとそんな疑問に苛まれることはないだろうか。私はある。誰しも一度はそれに近い疑問を抱いたことがあるはずだ。落ち込んだ時、虚しい気分になった時、自分の存在に何か意味が欲しくなる。この疑問の答えは昔から多くの人々により考えられているが、私は今まで納得のいく答えを教えてもらったことがない。自分の子孫を残すためだとか、人生を楽しむためだとか、死後の世界で幸福に生きるため、君に逢うためになどというのもあった。どれもこれも違うような気がする。そこで私は根本から考え直した。『果たして存在に意味など有るのか?』自分が生まれたのもたくさんの偶然が重なった結果だ。人間がいる事も、地球が有る事も、すべてが偶然なのだとしたら、基から意味などないのかもしれない。意味を求める事は無意味なのだ。それが神のいない科学の世界の現実だ。だから現代の私たちは意味を探すのではなく、意味を作っていかなくてはならないのだと思う。むしろ、他人が出した答えよりも自由に考えることができる状況にあるだけ恵まれているのだ。私もこれから自分の存在する意味を作らなくてはならない。しかし絶対の答えがないという結論に至った今、自分の存在理由を問うことが少しだけ心安くなった気がする。私はこの3月にカナダへ研修旅行へ行ってきました。そこでは日本と環境も人々も、もちろん違いました。でも、違うことによって様々な事が学べたのだと思います。カナダへ行く前の私は、何事にもあまり自信が持てませんでした。少し困難なことがあれば逃げ出してばかりでした。例えば勉強です。「わからない。」そう思うと、その問題はほったらかしでした。新しい事に挑戦するときも、頭の中でできるかできないか判断して、完全にできると思うまで行動に移ることができませんでした。しかし、カナダで過ごした3週間で私の中の何かが変わりました。私のホストマザーはとっても明るい素敵な人でした。その人は誰か人に会うと私のことをとても賢い子と紹介してくれました。もちろんすぐ否定しました。でも、彼女はそれからも同じように紹介していました。日本で私はよく、「できない」「無理」などという言葉を使います。それについても彼女は私に、「3度挑戦してから言いなさい。できるんだから。」といつも言いました。もちろんそれらのことは、最後の手紙にも書かれていました。それからの私の生活に大きな変化はありません。でも、最初から諦めないでやってみようと思うようになり、少し自信が持てるようになりました。自分を信じることは簡単なことです。もっともっと信じられる素敵な自分になりたいです。私はよく、私って何?と思う。誰かの役に立っていたりとか、必要とされていたりとかするのかな、と思う。クラスでも部活でも、代わりなんていくらでもいるし。時々、いなくなりたいと思う。きっとそれは誰でも思ったことがあって、けど誰にも言えなくて、自分の心の中でムリヤリ押し殺してそのままで。私もそうで、今まで何十回、何百回って押し殺してきた気持ちの亡骸は、心の奥に積もってる。友達と笑っていても楽しいし、他にも楽しい事はあるけど、それは”代わり“のきく幸せで、私じゃなきゃいけない理由とかない。いつからかそんなことを思うようになって、いつからか”私じゃなきゃいけない幸せ“を欲しがるようになってた。でも周りは楽しそうに、その人じゃなきゃいけない理由を輝かせていて。けど、やっぱり私歩くしかないと思う。私が何かわからなくても、目の前に広がる全てのものが何かわからなくても。だれかに必要とされたい。私じゃなきゃいけない人を見つけたい。ほしい幸せはたくさんあるけど、いつか私らしい幸せを見つけたい。止まってた私の足が動きだして、広がる景色が変わる。行き先は、”私の望む世界“。そこにない幸せを嘆くより、幸せがそこにあるように歩こう。いつまでも信じられるものは、自分しかない。きっとその手は、君らしい幸せを掴むために。山形県立米沢商業高等学校(山形県)星野恵さん出会い神戸国際高等学校(兵庫県)古野裕衣子さん”地球人としての自覚“セントヨゼフ女子学園高等学校(三重県)松田知華さん自分を信じる福井県立藤島高等学校(福井県)松田由布子さん私による私のための私の幸せの応援文広島県立庄原格致高等学校(広島県)松島千穂さん存在理由を問う