17歳からのメッセージReport2003

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17歳からのメッセージReport2003

17歳からのメッセージ?[受賞作品集]??奨励賞?67す。「神楽」は、地域の青年団や子供会のメンバーが舞い、「巫女舞い」は、地域の女子中高生が舞います。それぞれ、大晦日や元旦などに地域の神社で舞われるということになっています。しかし、最近では少子化や過疎化、地域離れといったことで、後継者不足が問題になっています。とりわけ、一番問題なのは、若い人の地域離れです。面倒臭い、格好悪いなどの理由で、この「神楽」と「巫女舞い」に参加しなくなってきているのです。このままでは、いつかこの古き良き伝統が消滅してしまうと思います。やはりこの点から考えても、日本人は、もっと地域の伝統を大切にしつつ、国外の文化との交流を深め、国際化してほしいと思います。今日、世界各地で絶えず紛争や戦争が起こっている。それを止めることはできないのだろうか。では、戦争を知らない私たちは、彼らを止めることができるのだろうか。二十世紀が『メガ・デス』と呼ばれている。それは二十世紀が最も残酷で、恐ろしい戦争が起こったために、大量の人が死んだからだ。逆に、二十一世紀は『生命尊厳の世紀』と呼ばれている。また、トルストイをはじめとする多くの思想家が「戦争と平和」について述べてきた。私の尊敬するある著者はこう述べている。「科学の世紀」である二十世紀ほど、人々が「死」を見つめることを避けて「生」の欲望に走った時代もない。「死を忘れた世紀」が、その結果、二回の世界大戦や核兵器競争など「メガ・デスの世紀」になったことは偶然でないと私は思う。彼の考えは、私が死生観を考え直すことをいっているみたいだった。それから、私は「生と死」また「戦争と平和」について時々ではあるが考えている。そして、世界各地で争っている人々を思うと悲しくなってくる。なぜ戦争をするのかと思ってしまう。彼は私たちに「正しき生死観を学び、実践し、一日一日を『かけがえのない宝』として大切に生きてほしい。」と述べている。私も彼のいう生き方をして生きていきたいし、また、世界中にいる同じ年代の人々と語り、二度と戦争を繰り返さないようにしなければいけないと思う。「最近つまんないなー。」友達と2人でよく言うセリフ。日常的な生活が幸せだともわからずに、こんな事を言う人は少なくないだろう。私もその中の1人だった。先日、私はある講習会に参加した。そこでは講師の人が、イラクの子供たちが写っている写真集を持って色々説明してくれたのだが、正直、私は先生の説明なんてそっちのけで、先生の手の中にあった写真集に気を取られていた。そこには戦争の時に埋められた地雷を踏んで手足が失くなった子供、十分な食べ物がなく、飢えに苦しむ子供たちの姿が鮮明に映し出されていた。ご飯を食べる事、学校で勉強する事、友達と楽しく話をする事。そのどれを取ってもその子供たちには今までも、これからも絶対なし得ない事で、今これを当然だと感じて、生活している自分たちが、とても小さく思えた。写真集を見ただけで私の考えが100%変わったと言えば嘘になる。私の生活は何も変わらないのだから。でも昨日、私はコンビニの募金箱に20円を入れてみた。たった20円で何かが変わるとは思えないけど、そのたった20円で誰かが喜んでくれるなら…。とても小さな自分が少しだけ、大きく感じた。今、三秒数えてみて下さい。一、二、三。この間に一つの命が消えていってるのです。五歳の誕生日すら迎えられずに…。原因は戦争からくる貧しさです。栄養不良や予防可能な病気という、今の日本に住んでいる私たちには無縁の話です。戦争からくる被害を最も受けているのは小さな子供たちです。二十世紀は戦争の時代でした。日本も何度か戦争の苦しさ、つらさを味わっています。けれど今、その経験をしてきた人たちは過去の人たちになってきています。そして、二十一世紀。戦争なんて経験する事はないだろうと思っていました。そんな中、大きな戦争が起こってしまいました。ニュースを見ていると、あたり前のように流れる戦車の映像。行進する兵士たち。暴動を起こす人々。そして数字だけで表される死者の数。ニュースにはなっていなくても、どこかで起きている戦争はもっとあるはず。こんなことが許されるのですか。非核宣言していて、憲法には『戦争反対』の文字。それが日本のはずです。けれど政治家たちはそれを示さない。それはしかたないことなのかもしれない。だから一人一人が、胸を張って、「戦争反対!」と、言える気持ちが大切だと思います。将来、私が大人になった時、一日に消えていく命の数が少しでも減るようにするにはどうすればいいか。自分たちができる事を見つけた時、本当の世界平和がくると、私は信じています。僕は、この頃思うんだ。どうして自分はこの場所に居るのか。僕の未来には、いったい何が待ち受けているのだろうと。今生きている中で、一番僕の心に広がっているのは、不安と孤独感だから。だからきっとこんな事を考えるようになったのだと思う。本当は、たくさんの人に支えられているのに、一人だと感じる孤独感。自分の未来に希望があるのに、それをどう表現していいのか分からない不安感。そして、他人に対する妬み。そんな爆弾のような思いを抱えて毎日を生きているのが十五歳の僕。「成りゆくままでいいんだ」は、過去の自分。十五歳の僕に、そんな余裕はない。「理想の自分を求めて追い続ける」は、未来の自分。大人のような考えだけは、したくなかったのだが、実際、現実逃避できないのが十五歳の僕。「人前で笑顔を絶やさない君は、どうな気持ち?」と尋ねたら、君は何と答えるだろう。そんな疑問を抱いている僕が、今一番重く感じるのは「がんばれ」という言葉。人へ発するにも、人から受け取るにも勇気がいるから。いくら逃げても、その言葉は僕の後を追ってくる。「自分は自分らしく」これが忘れた過去の自分で、今十五歳の僕が描く理想の自分。誰か僕の嘆く思いを聞いて下さい。十五歳の僕は今日も心の底から叫んでいます。十五歳の僕は今日もまた、同じ道を迷いながら一歩ずつ前に歩き続けています。明日もずっと。決めつけ、というのが多い。決めつけ、というのは、何か関係のありそうな概念を結びつけて積み重ねた推論を、あたかも真理であると錯覚することで、これが非常に多い。ユーマストビー何々、これは一見便利な思考の昇華みたいに思えるが、実は危うい。推論の根拠を並べてみたところで、推論そのものが真理たりうる根拠は何もないわけだ。ところがこれは正しい、と本人は確信してしまう。何故か。それは「自分」が考えついたからだ。デカルトは思惟している自分は否定できない、と言って物心二元論を唱えた。この発見には様々な価値観が付与され、いつのまにやら現代人の解釈は、自分の思惟(された結果)は否定できない、と本末転倒なものになった。これは意識されることはなくても、「常識」として社会に染みついている。最近の例で言えば、イラク戦争。某国B・G氏らは和歌山県立和歌山商業高等学校(和歌山県)山下智絵さん3秒に1人…守山市立守山女子高等学校(滋賀県)三宅純さん生と死?戦争と平和?大阪朝鮮高級学校(大阪府)文良竹さん小さな小さな自分。名古屋市立菊里高等学校(愛知県)吉沢直晃さん簡単なこと光泉高等学校(滋賀県)山下美那さん僕の不安と希望