17歳からのメッセージReport2003

17歳からのメッセージReport2003 page 70/76

電子ブックを開く

このページは 17歳からのメッセージReport2003 の電子ブックに掲載されている70ページの概要です。
秒後に電子ブックの対象ページへ移動します。
「電子ブックを開く」をクリックすると今すぐ対象ページへ移動します。

概要:
17歳からのメッセージReport2003

6817歳からのメッセージ?[受賞作品集]??奨励賞?イラクに大量破壊兵器がある(だろう)、と信じて疑わなかった。信じたら今度は戦争を疑わなかった。治安が悪くなり、逆にテロは増えるのではないかとか、石油という燃料がもうあと何十年しかないのに使っていいのか、環境問題はもはや人類規模の国境を超えた問題であるとか、とにかくそういった懐疑を持たない。持ちはするのだろうが、自分を否定することはまず無理なので、相手にしない。二十一世紀だグローバルだと叫ぶ割には、戦争は政策の一手段だという、一世紀前からの考え方に何ら疑問を持たない。成否はともかく、考えることを忘れている。このような例でなくても、思考の昇華、決めつけというのは、ごく日常で普通に起こる。自己懐疑、つまりは自分を見つめ直すことはとても大切です。ハテ、これで良いのか、と。できれば反証もするとモアベター。ここで注意してほしいのは、客観的に見るのではない、ということ。観察する自分とされる自分を分離してしまったら意味がなくなる。あくまで自己を自己として意識するその姿勢こそが、大事だろう。難しいことを言ってるのではない。右記のことを頭の片隅にでもおいておけば、ずいぶんものごとが楽になると思うのだ。人の栄養における五大栄養素は、糖質、脂質、タンパク質、無機質、ビタミンといわれている。発育や妊娠、加齢など人体の構造や機能の変化に応じて、これらの栄養を摂取することは、極めて重大だと思う。私たちの周りには、飲料水、スナック菓子、調理済みの食品など、種類が豊富になったと同時に簡単に手に入れることができる環境に恵まれた。しかし、私たちはこれらの食品に頼りすぎてはいないだろうか。近年、ガン、循環器疾患、糖尿病などの生活習慣病の増加が国民の大きな健康課題となっている。これらの疾病の発症と進行を防ぐためには生活習慣の改善、なかでも食生活の改善が必要だと思う。「食」と「健康」は深く関係しているのだ。乳幼児から高齢者まで、いかに健康施策を進めていくか、という社会全体の動きの中で、栄養、食生活はとても重要な要素なのだ。私は、健康づくり、健康増進のために適切な栄養指導をする、管理栄養士を目指している。「食」は、人が生きていくうえでの原点であり、欠かすことができない。美味しさだけの食事から健康に良い食事へ、人々の健康志向をまず第一に考えたい。そして、より多くの人々に「食」の大切さを伝えたいのだ。私は、栄養の大切さを知り、生きることの喜びを与える「食」と「健康」のスペシャリストとして、将来、大きな活躍を見せたい。私は朝鮮学校に通う学生だ。私には中国人留学生の友達がいる。彼女はもう二年間日本で生活しているので日本語も上達してきた。ある日、彼女が中国にいる母と電話した時、時々自分の話が母に通じなかったという。それは中国の単語はそのままだったけど日本語式の文法になってしまったからだという。またある時は、意味はわかるけど漢字が出てこなかったりすることもあるという。これは日本では中国で使われている漢字をあまり使わないからだと彼女は言う。そういう話を彼女は笑いながら私にした。でも自分の国の言葉をそういうちょっとのことでも忘れてしまうというのは悲しいことだと思う。彼女は、今自分は中国語も日本語も中途半端と言っていた。私はそれを聞いて自分もそうではないかと思った。日本語も朝鮮(韓国)語もどちらも正しい使い方をしているとはいえない、中途半端ではないか、と。今、在日同胞の中で自分の民族の言葉を話せるのは一割くらいしかいないといわれている。私はその一割の中の一人だからもっと自分の民族の言葉を大切に、正しく使わなければならないと思う。平成十三年三月一日。武兄ちゃんがこの世を去った。死因は窒息死。首吊り自殺だった。武兄ちゃんは祖父の弟の子だ。兄ちゃんといってもはとこに当たるが、祖父母の家の隣に住んでいたこともあり、私はよく可愛がってもらっていた。三月一日の夕方、雨が降っていたので、母に駅まで迎えに来てもらうため、公衆電話から母の携帯電話にかけた。母は祖父母の家にいた。何故かと尋ねると、「武兄ちゃんが自ら命を絶った」との返事。一瞬にして頭の中が真っ白になり、私は泣きながら「何で」と叫んでいた。二日の朝、祖父母の家へ行く間も、これは夢だと自分に言い聞かせていた。しかし、着いてお通夜の準備が行われているのを見ると涙が溢れた。武兄ちゃんの顔を見ることができず、祖父母の家へ直行した。戸を開けるといとこたちが皆、気を紛らわすためだろう、漫画を読んだりしていた。しかし、皆の目はうつろで、笑いはなかった。このできごとで家族皆同じことを思っただろう。それは『何故苦しんでいた事に気づいてあげられなかったのか』そして自分を責めただろう。私もその一人。でも、そうして皆が苦しむことを、武兄ちゃんは喜ぶだろうか。武兄ちゃんはいつも皆に笑顔で接してくれた。思い出すのは笑顔だけだ。明るい笑顔で私たちを癒してくれた武兄ちゃんのためにも、辛くても笑顔を絶やさないでいようと強く思った。たくさんの人と話してみたい。そんな風に、ずっと思っていた。しかし、私は積極的にいろんな人と話そうとはしなかった。そんな私は3年生となり、ずっと興味があった手話を学びたいと思い、手話をはじめた。聴覚障害者の人と初めて接し、一つ世界が広がったような気がした。まだ、手話で話すことはできないし、何を言っているのかも少ししかわからない。けれど、手話を習いに行き、そこに来ている人たちと話すことはできる。学生の人から年配の人まで、さまざまな仕事をしている人、さまざまな考えをもった人たちが集まっているので、その人たちと話しているだけでも、勉強になる。また、聴覚障害者の人たちについて学んだりするうちに、健常者の私たちと、ほとんど変わらないんだなと実際に思えた。それが私にとって、手話を学び始めて良かったと思えることにもつながる。これから先、もしかしたら出会うかもしれない障害者の人たちへの見方が、すいぶん変わるであろうと思う。このことは、何も口だけでなくても、手や体の表現で、本当にたくさんの人たちと話せるのだと実感した。そして、顔の表情が伝えるということに一番大切だと学んだ。手話を学びに行くという少しの決心から、たくさんの人からたくさんのことを教わることができた。そしてこれからは、手話を学ぶとともにたくさんの人と話せるよう、少しずつ努力していきたいと思った。私は、苦しいことや悲しいことがあると、そのストレスを自分の腕にぶつける。中学校3年生の時からリストカットを繰り返している。自分の悩みをうまく人に話せず、自分の中にため込むことが多かった私は、いつしか自分自身を傷つけるようになっていた。リストカットが痛くなかったわけじゃない。でも、その痛みが嫌なことを忘れさせてくれていた。少しでも楽になりたかった。でも他人からみれば、私は「変」なのかもしれない。「痛そう」とか「気持ち悪い」とか思うのかもしれない。けれど私は、変だとは思わない。リストカットすることがおかしいと思わない。それが自分の個性だと思いたい。大阪朝鮮高級学校(大阪府)李庸子さん母国語東筑紫学園高等学校(福岡県)渡亜貴さん武兄ちゃんのこと愛媛県立今治北高等学校(愛媛県)渡令奈さん手話を学びはじめて…大分県匿名希望私の誇り萩光塩学院高等学校(山口県)好永佳織さん「食」と「健康」のスペシャリストを目指して