17歳からのメッセージReport2003

17歳からのメッセージReport2003 page 8/76

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17歳からのメッセージReport2003

17歳からのメッセージ?[受賞作品集]??金賞?「君とすれちがっていたら咲かない花もあったろう」この言葉、私の好きな曲の歌詞である。このフレーズを初めて耳にした時、私は考え込んでしまった。「私は誰かの花を咲かせているのだろうか」生まれてからの17年、様々な人とのふれあいを通して今の自分がいる。人との出会いや楽しい思い出はもちろんだが、大切な人との別れや苦い思い出も、私の花を咲かせる肥料となっているに違いない。しかし、ただ一緒にいるだけでは肥料となることはできないだろう。自分の気持ちや考え方をぶつけ合ったり、相手の気持ちを考えたり、つまり「向き合う」ということが必要である。相手と向き合い、自分が成長できた時、初めて「花が咲いた」と表現できるのだと思う。高校生活を送っている中で、私はたくさんの良き友達、先生、先輩、後輩と向き合うことができた。そのおかげで成長できているという実感もある。しかし、私の存在は周りの人たちに少しでも栄養を与えることができているのだろうか。たとえそうなっていたとしても、「あんな風にはなりたくない」と悪い意味ではないだろうか。今の自分のようにただ周りの人に咲かせてもらっているだけの人間ではなく、時には誰かの花を咲かせられるような人間になりたいと思う。そして自分に栄養を与えてくれている人たちへの感謝の気持ちも忘れずに、もっともっとたくさんの花を咲かせていこうと思う。深くて、冷たい、真っ暗な海の底で空を見上げた人魚の瞳に碧く澄んだ空は映るだろうか?目を凝らしてみても、その黒い瞳に映るのは、光と水が作り出すモザイク。手を伸ばしてみても、その手に触れるのは冷たい水の感触…。望みがかなわず、真珠色の涙を流す。しかし、それも海水と混ざり合い、周りから見えるのは、無表情に空を見上げる人魚だけ。今の自分は、まさにそんな状態だと思う。人魚なんて美しいものじゃないけれど。私には夢がある。いや、あった。過去形なのだ。夢を失った私は、学校と家との往復を繰り返すだけの平凡な毎日を送っている。周りには友達がいて、それなりに楽しくやっている。でも。時々、ふと空しくなることがある。それはきっと、夢を持たず、与えられた生命を無駄に消費しているからじゃないかと思う。人魚は空ばかりを見上げる。この世で最も、自分をひきつけるものは空だけだと思っている。自分の周りには美しく輝く宝石が散らばっているとも知らないで。この海の広さを知らないで…。私は、そんな人魚にはなりたくない。もう一度言うけど、人魚なんて美しいものじゃない。早く、自分には、まだ可能性が残っていることに気づきたい。自分で自分につけた足枷を外して、海の広さを知りたい。自分が生きてきた中で、一つ大きな発見をした。それは、自分がその時の都合によって何人もいること。その時・その場所で違う自分を演じているということだ。私の場合、家の中では普通の長女。学校生活では、少し目立ちたがりやの真面目な生徒。友達の前では、本当の自分をさらけ出せてない少し変わった自分。クラブでは、何でも話せる先輩、時には素早く動く後輩。そして負けず嫌いな自分。彼氏の前では、愛想の良い女の子らしい彼女。他にもたくさんの自分を演じている。本当の自分は一体どれなのか、わからなくなっている。こんな適当に、都合よく生きていては駄目だと思う。しかし、この何人もの私が、本当の自分ということに気付いた。これが大きな発見だ。最初は、なんてずるい人間だと自己嫌悪に陥った。素直な人間になりたいと思った。けれども、もし家での私を全てにおいて、さらけ出してしまったらきっと全てを失うことになるだろう。私は全て違うけれど、芯は真の自分でいられたら、それでいいんじゃないかと思えるようになった。その時その時の、自分の心に忠実に自分にとって心地良いと思える振る舞いをすること、それが素直に生きるということかもしれない。人は誰でも仮面を被りながら生きていると思う。もっと自分自身について考え、自分の理想に近づいていきたい。私が初めて手首を切ったのは中学三年の夏でした。無意識にカッターで手首を切った。何度も何度も。切っている時は何も考えずに済むから。死にたかった。消えたかった。自分が嫌いだった。心を巣食う強烈な孤独感。でも。涙目で帰ったら妹が心配そうに見つめていた。メル友の言葉に胸が熱くなった。先生に「大丈夫?」と訊かれた。友達が仕事を代わってくれた。話を聞いてくれた…。ああ、私は一人じゃないんだな。幸せなんだな…と強く実感した。それに気付いた瞬間から、自傷は止まった。今、あの時を振り返って思う。私は、「死にたかった」ではなく、「生きたかった」のではないかと。自傷で現実逃避をしなければ、苦しくて狂ってしまいそうだったから。方法としては間違っていたかもしれない。『親からもらった体を…』と責める人がいるかもしれない。これから、死にたくなるような辛い出来事があるかもしれない。でも、私はそれでも生きていかねばならない。今でもあの時の傷が残っている。でも消したいとは思わない。過去や弱さも受け入れていきたい。『生きたい』十七歳の今、強くそう願っている。母の部屋が暗い。何もかもが沈んで見える。私は声を押し殺しながら、母の枕をびしょびしょに湿らせた。下の部屋で悲しんでいる父に聞こえないように。母は重いクモ膜下出血で「あと一週間が山だ」といわれた。信じられなかった。一瞬、夢でも見ているのかと思い、涙も出ず、悲しいという感情も忘れているほどだった。何本も母の身体に刺さっている点滴の針、そして機械の管、頭の毛は全て剃られていた。あまりに変わりはてた病院での母の姿を見て、恐いと思った。やがて、一緒に悲しんでいるかのように母の病室は雨の色に染められた。しかし、そんな私を、しっかりと受け止め、支えてくれた人がいた。「助かることしか考えちゃダメだ」私の担任の先生の言葉だ。私は母が必ず助かることを信じるように変わった。私はいったいどれだけの人に一緒に泣いてもらい、強さをもらったのだろう。人間は支えてくれる人がいることで、何よりも強い生き物になれるのだ。やがて、母の病室に大きな虹が架かった。不幸が私を成長させてくれたのだ。私は不幸のあとには、絶対に幸せがくることを信じている。自宅の母の部屋にも虹が架かるように。今までの自分、これからの自分兵庫県立生野高等学校(兵庫県)安部咲子さん花を咲かせよう兵庫県匿名希望生きる?リストカットを乗り越えて?富山県立小矢部園芸高等学校(富山県)本堂愛さん自分大阪市立南高等学校(大阪府)松江華奈さん何人もいる自分6人とのふれあいの中で…東京都立八王子北高等学校(東京都)駒場千尋さん母の部屋