17歳からのメッセージReport2004

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17歳からのメッセージReport2004

17歳からのメッセージ[受賞作品集]??銀賞?11私の祖母は、現在67歳。しかし、年齢を感じさせない程、とても元気だ。3年前、私は祖母があまり家に来ないので心配になり、母にたずねた。すると母は、祖母がホームヘルパーの資格を取得するために毎日教室へ通っていること、そして自分の生きがいを見つけようとしていることを教えてくれた。私はこの時、何とも言えない気持ちが次から次へとこみ上げてくるのが分かった。もう70歳近い祖母が、自分の夢を叶えようとしている。私も後に続きたい、そう思った。そして現在、祖母はあちこちの病院やお年寄りの家を訪れ、お世話をしている。時には悲しい別れもあるけれど、毎日とても充実しているのが祖母の表情にあらわれている。私は、こんな祖母から夢をもらった。人を笑顔にする仕事・人を幸せにする仕事…それが私の今の目標だ。高校の3年間は、長いように思えて短い3年間だと思う。何か夢を持ち、それに向かって進めたら、どんなに幸せだろう。私は、祖母も取得したホームヘルパーの資格を、高校3年間の間に取得したいと思っている。夢を、夢で終わらせないための目標だ。それを自分のものにした時、次の目標がきっとまた見えてくることを楽しみに、これからの3年間をすごしたい。ライブハウスには演奏する人達が立つステージと観客が演奏を見る場所とがある。ステージと客席には少し高い段差があって観客が演奏を見やすいようになっている。僕はこの差が嫌いだった。ステージと客席には段差があっては一体感が得られるはずがないと思っていたからだ。僕は友人達とバンドを始め月に一、二回ライブ活動をしていた。何度かプロの人達と共演したこともある。僕は衝撃を受けた。ステージと客席の差をまったく感じることもなく、会場がまるで一つになったようだった。それ以来僕は会場が一つになるようなライブをしたいと思い続けるようになった。しかし実際にはうまくいかずもう一度やり直したいと思うライブも何回もあったが。いよいよ3年生となり最後のライブのときである。一曲目を演奏し始めた時僕はふと客席の方を見た。すると何人もの人達が一緒に歌ってくれていた。その時僕はあぁこれだと思った。そして体中に何かが走った。その日来てくれた二百九人のお客さんに何か少しでも伝わっただろうか?確かに言えるのは、僕はステージの差も忘れていて自分が伝えたくて作った曲を本当に素直に演奏できた事だった。自分の気持ちをうまく伝えるのは難しい、僕が一番苦手な事だった。でも最後に何十分の一でも伝わったのかなと思うと続けてきてよかったと思った。誰かに対する感謝や愛情を素直に伝えられるような人間に成長していきたい。これが僕の将来の夢なのだと実感した。幼い頃から踊る事が好きだった私。そんな私を母はバレエの発表会へ連れて行った。開演時間になり幕が上がった瞬間、私の瞳はその舞台に釘づけになった。キレイな衣装を着てバッチリお化粧をして舞台全体がキラキラして見えた。発表会が終わり、母は私に尋ねた。「バレエあんたもするね?」「うん!!」即答だった。今年高校2年生になった私はバレエを始めて10年目になる。幼い頃はバレリーナになりたい!!という漠然とした夢があったが、月日が経つとやはり実力の差がでてくる。何になりたいかと聞かれても答えられなかった。将来について考えている時、私はある有名なバレリーナのステージを見に行った。憧れのバレリーナの「白鳥の湖」に感動した。劇場から帰る時、(こんな人達とすばらしい舞台を作りたいなあ)と思った。…その瞬間!!私の頭にある事がよぎった。(そうだ!!舞台を作り上げる人になろう。すばらしい舞台を。)今まで表のステージで、たくさんのライト、そして拍手を浴びて華やかな舞台に立っていた私。これからは裏のステージで舞台を見つめ、汗を流し、たくさんの拍手をもらえるようなすばらしい舞台を作り上げる人になりたい。今まで、すばらしい舞台に立たせて頂いた感謝の気持ちも込めて。高校に入学して私に新しくできたものがある。それは「心の休息時」。毎日が足早に過ぎていく。楽しいことも辛いことも。休む暇もなく過ぎていく時間の速さに心は少しずつ疲れてくる。するとその疲れが自分の身勝手な行動となってしまい、気付いた時には大切なものをなくしてしまっている。高一の時私は初めてこの経験をした。何にでもがむしゃらに手を出した。がんばることが一番偉いのだと思って。しかし、実際そんなにたくさんのことをがんばれるわけはなく、すべてが中途半端になった。自分を責めた。頭や心が苦しくなり、いつも涙がでてきそうだった。最後には何に対しても無気力になり、時間だけを過ごしていた。すると何だか少しずつ心が冷静になっていった。と同時に、この心を休息させる「時間」が生きていく上で必要なものだということに気付いた。がんばることを休む時もあってもいいんだ。そう私の心に少しゆとりができた。今、私は定期的に「心の休息時」をとっている。何もせず、ただ時間を過ごすだけ。でも、それだけで心がなんだか楽になってくる。心にゆとりができると楽しい気分になる。人にも優しくできる。「心の休息時」は自分の人生もよりよいものにしてくれる。私は最高のものを学べて本当によかったと改めて実感している。「心の休息時」で変われた私を、私は今、胸を張って大好きだと言える。高校一年生の終わりのある日、私は初めて歩いて下校した。いつもは自転車で学校から家まで30分かかる道のりを歩いて、それも遠まわりをして帰った。私は江津湖を通って帰った。よく晴れていたかどうかは忘れたけれど、それはとてもいい天気だった気がする。江津湖に訪れたのは久しぶりだった。急に、私は訳もなく泣き叫びたくなった。『こんな気持ちを忘れていたなんて…』毎日慌ただしく時間に追われながら過ごしてきた高校生活だったけど、『こんなにも時間というものは穏やかに流れているんだ…。』と、心の中で思った。幼いときから慣れ親しんできた江津湖に私は帰ってきた。江津湖は私の心が帰る場所だった。ずっと、ずっと時間を忘れてひとりでひたすら歩いた。昔の自分を思い出し、今の自分とみつめあいながら。静かに揺れる水面に気持ちがやすらいだ。あのころよく摘んだ花や植物がいとおしく思えた。江津湖からその日、たくさんの元気をもらった。家についた時、足の疲れは快い疲労となった。『あのころに戻りたい。』なんてことを、今も思ったりするけど、あのころの私のそばに江津湖がいてくれてよかった。昔と今の江津湖との付き合い方は変わってしまったけど、私の中の強い基盤となって、ずっと自分を受け入れてくれるだろう。私は昨年の十二月に、語学研修でカナダのバンクーバーへ行きました。私はそこでサケの生態系を保護するボランティア活動に参加したり、中学校訪問などをしました。そのとき私には日本とカナダの友好関係に何一つ問題が無いように思えました。しかし、研修中、日本とカナダは第二次世界大戦中では敵同士であったという事実を知りました。つい五十年ほど前まで互いの国を行き来するどころか国交すら無かったということを考えると、現在の日本熊本学園大学付属高等学校(熊本県)山聡美さん表のステージから裏のステージへ熊本学園大学付属高等学校(熊本県)原口美貴さん心の休息時熊本学園大学付属高等学校(熊本県)山下未紗さんこころが帰るところ高知県立高知小津高等学校(高知県)岡崎貴史さん夢横浜隼人高等学校(神奈川県)辻亮介さん親しいカナダ人とのふれあいの中で…?テーマ?和歌山県立星林高等学校(和歌山県)宮本紗也さんゆめ