17歳からのメッセージReport2004

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17歳からのメッセージReport2004

17歳からのメッセージ[受賞作品集]??銀賞?13小学校で貰う通信簿に、6年連続で「筋道を立てて話す事ができない」と書かれていた。低学年の頃は何とも思わなかったけど、高学年になって、いろんな人と話す機会が増えた時、初めてそれを自覚した。言いたい事が相手に伝わらなくて、どう言い換えればいいのかわからない。相手に理解してもらおうと必死になるほど、頭がこんがらがって、出てくる言葉は余計に支離滅裂になる。それが自分が大切に思っている事や、自分の気持ちを説明したい時に酷くなると気づいてからは、軽薄で中身のない言葉しか言わなくなった。その方が伝える努力をしないでいいし、楽だった。そしてそのうち、それが私の性格になった。でも最近、私は変わりつつある。常に自分の本音や感情を曝け出して付き合わなければやっていられない人間と、出会ったからだ。話しているとストレスが溜まる。正直言って苦痛に感じる。初めは、私の本音を引き出そうとする所がいやなんだと思ってた。イライラは日々募って、ある日突然、気がついた。苛立ちの原因は私自身だった。私は無意識に、気持ちを伝えようとしていたけど、やっぱりうまく伝えられない私が不満だったのだ。もっとちゃんと伝えて、私を理解してほしいと思っているのに驚いた。驚きついでに言ってしまおう。私の話、いつも真剣に聞いてくれてありがとう。誰かがいないと。側にいて。そう思った事が一度もない私。一人っきりの方が楽だったりする。学校は特にそう感じる場所である。すごく仲良くしてて、笑いあって、泣きあって、心を通わせた様に見せあいながら、ふと気付いてみれば『独り』なのだ。一人なんかじゃない『独り』。女の子独特の「グループ」作りに参戦して、ポジションを勝ち取ったとしても、そこが居場所とは限らない。と言うより、勝ち取ってもいないのではないか、とも思う。一つ一つの言葉に思いっきり気を使いつつ、顔色をうかがって笑い合う。ふとした瞬間、ある意味ポジションは戦場になる。そして埋もれてしまわないように、必死で走る。息がきれてもばれない様に。汗が流れても見えない様に。そして、「私たちは友達ね。私はこのグループの一員ね。」と変な自己満足を手に入れる。けれど、手に入れるのはそれだけでなく、「虚無感」も共についてくる。「寂しさ」のおまけ付き。大勢になればなる程そうなる。高校とはそういう社会。女の子、なんてそういうもの。そのサバイバルの先に何があるのかは分からない。でも私は”女子高生“だから、戦い続けるしかないのだ。人間は、お互いに話し合ってこそ深く結びあえるのだと、私は最近特に思います。どんなに友達と画面上の会話を交しても、口で伝えた言葉ほど深くお互いの気持ちを理解しあえません。休日、誰とも出かけず家でぼんやりしていると、無性に誰かと話したくなります。そこで私はパソコンへ向かい、知人友人誰それ構わずメールを送ります。しかし、私の「話したい」という欲求はそれだけではおさまりません。近くを散歩すれば友人に会うのではないか、という淡い期待を胸に、あてもなくふらふら彷徨い歩きますが、そう都合よく知り合いに会うはずもなく、更に激しい空しさを抱えて家路につきます。家に帰ると、友人からの返信が来ています。「明日の授業何だっけ?」「もう課題終わった?」「宿題教えてよ」…私は溢れそうになる空しさを必死に抑えて、一つ一つ返事を書きます。「本当は話がしたいのに…。」他人への連絡が簡単になった今、言葉を発することの重要性が忘れられつつあります。しかし私達人間とて、所詮は一つの動物なのです。他の動物達と同じように、自分以外のものと直に交わり、お互いの気持ちを伝えあう―それが「言葉」であっても「行動」であっても、同じ空間で同じ時を共に過ごすことこそが、私達「人間」という動物のとるべき最も基本的で最も重要なコミュニケーションではないのでしょうか。夏の夜は不思議だ。日が沈み人気がなくなり家々にあかりがともる――その道を歩いていると、ふと忘れていたことを思い出す。例えば数ヶ月前の記憶、数年前の記憶……。ある夏の夜、近所を歩いていると、一軒の大きな家が目に留まった。今では若い夫婦が時々来ては庭の草花の手入れをしているその家は昔、一人のおばあちゃんが住んでいた。私はこの家に何回か上がったことがある。小学校五年生の時、学校行事の招待状を友達と届けに行ったのが始まりだった。おばあちゃんは私達を家にあげ、お菓子をくれたり話をしてくれたりした。私達も学校の話をしたりいっぱいおばあちゃんと話した。それから卒業するまで何度か家に通った。おばあちゃんはいつも私達を笑顔で受け入れてくれた。しかし中学生になると家の前を通ることもなくなりおばあちゃんの事は完全に忘れていた。そしてある日おばあちゃんが亡くなったことを知った。夏の夜は大切な事を思い出させてくれる。私はおばあちゃんとの出会いを、おばあちゃんの死を忘れてはいけない。私は大人になって地元を離れても夏には帰ってこの道を歩きたい。子供の頃の大切な人との出会い、たくさんの宝物を決して忘れないように。働きたい。私は自分の好きな仕事に就いて人生を楽しむのが夢だ。結婚して、子育てをしながら、毎日家事に入りびたるのだけはイヤだ。同じ人生なのに、男ばかり「仕事だ」といって外に出れて、女は家事と育児のくり返しなんて、不公平すぎるではないか。女の人も自分の就きたい仕事について、人生を楽しめばいいではないか。そうすれば、男だけでかかえこんでいた仕事も楽になるし、男女がへだたりなく接することができる。そこで1つ問題がでてくる。子供はどうするのか、ということだ。学校へ行く歳まで、母親は待っていられるのか、会社は待っていてくれるのか。子供1人いるだけで、女性は働けない。だから、今、子供を産む女性が減っているのだ。このままではいけない。女性にも社会へどんどん進出してもらわなくては。だから私はそういう女性の力になれるよう、子供をあずかってあげられる仕事をしたい。そうすれば、自分はしたい仕事をしているし、女性の社会進出の後押しをしている、一石二鳥ではないか。私の20代、それは女性として女性の応援をしてあげられる年にしたい。私の母は家事がまったくできない。掃除は部屋の汚なさが限界までこないとしないし、料理はたいていスーパーで買ってきた物が食卓にならぶ。料理をたまに作ってくれたとしても、キャベツ、しいたけ、もやしが炒められ塩、こしょうで味つけされただけのおきまりの野菜いためだ。私の母は祖母を早くに亡くした。3男1女の末っ子として生まれた母は祖父の手によって育てられた。だから母のことを知る人々は声をそろえて言う、「しかたがないのよ。」と。その上母は夫に先立たれた。女1人で2人の子供を養うのは大変だろう。「お母さん1人なんだから助けてあげてね。」なんてよく言われるけれど、何をどうしたらいいのかわからない。家事に対しては何一つとしてうまくこなせない母だけれど、1つだけ尊敬できることがある。それは、仕事だ。母は高校を卒業し、福岡県立嘉穂高等学校(福岡県)尾鶴亮さん話すということ大分県立大分雄城台高等学校(大分県)衛藤祥子さん夏の夜岐阜県立羽島北高等学校(岐阜県)岩田知代さん女が女のためにできること働く、ということ?テーマ?近江兄弟社高等学校(滋賀県)田中美千代さん母の背中から大阪府立柴島高等学校(大阪府)岡本ゆかりさん「でも集中したい時に話ふってくるのはやめてほしい」兵庫県立明石城西高等学校(兵庫県)小林沙友里さん友情サバイバル