17歳からのメッセージReport2004

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17歳からのメッセージReport2004

銀賞?17歳からのメッセージ[受賞作品集]??1418歳のころから34年間同じ職場でずっと働いている。これは、すごい事だと思う。私が何不自由なく暮らしているのは母のおかげだと思う。私も将来、母のように仕事を頑張りたいと思う。今は働くことには無縁の私だけれど、いつか母の頑張りがわかるようになれたらいいなと思う。以前、新入社員を対象としたアンケートで、内部告発すべき事柄に直面した際、どう対処するかというアンケート結果を見た。大半の人が自分の将来が不利になるので知らないふりをすると回答していた。三菱自動車のリコール隠しが、尊い人命を奪う結果となり漸く内部告発された。最近見た水俣20年というビデオで、窒素水俣社員が汚泥中の有機水銀が水俣病の原因だと分かっていたが自分の将来を考え内部告発出来なかったと証言しているのが映っていた。今から25年ほど前の作品だ。自分の幸せの為には、人の命を何とも思わない社会は連綿と引き続かれている。働くということは自分の幸せを確実なものとするのに必須なものだ。しかし、人の命を犠牲にして築き上げる虚構の幸せなど欲しいとも思わない。人命は地球より重く、最も尊重されるべきものであるが、敵という名目で殺人を許容する戦争行為が21世紀になっても続いている。この現状をローマ教皇は嘆き、一切の殺人行為を直ぐに止める様訴えている。私はわたしの20代、いや全人生を病や傷害で苦しむ人たちを救う為の新薬開発に捧げたいと思う。今、大学受験を目の前にその目的完遂のため、毎日眠い眼をこすりながら受験勉強をしている。自分自身の人生をより良いものとすると同時に、如何に多くの人類が人口過剰になると言われようとも、目の前の苦しんでいる人を一人でも多く救う為に私の人生を使いたい。私は幼い頃から看護師に憧れていた。憧れてはいたが、「他にやりたいことができたらどうしよう。」と迷っていた。そんな私の迷いを消してくれたのは祖父だった。3月、東京で暮らす祖母から夜中に祖父が脳梗塞で倒れ、病院へ運ばれたと電話が入った。両親に起こされ話を聞いた私は早朝6時の飛行機で母と東京へ向かった。祖父は大学病院の集中治療室に運ばれていた。部屋に入ると祖父は奥の方のベッドに横たわっていた。東京に住んでいた頃、共働きの両親の代わりに幼い私を育ててくれた祖父、山登りが好きで休日にはいつも私を山に連れて行ってくれた祖父。いつも元気だった祖父が今は身体に何本もの管をつけ、機械につながれ、目を閉じていた。私がショックで祖父に言葉をかけることもできずに泣いていると、看護師が私の側に来て、泣いている私を慰めてくれた。集中治療室から出たあとも私は母と離れたところで泣いていた。すると、さっきの看護師が出てきて「大丈夫?おじいちゃんが良くなるように私も頑張るから泣かないでいいよ。」と言ってくれた。「私も頑張るから」私はその看護師のひとことにとても救われた。そして改めて看護師という職業の素晴らしさに気がついた。自宅へ帰宅する頃には今までの迷いも消えていた。私もあの人のように優しく人の心の支えになれるような看護師になりたい。そして私が看護師になった姿を祖父に見せたいと切に願っている。私は一生踊り続けたい。「おばあちゃん」になっても踊りたい。私はいつからか思い始めた。小学校二年生から始めたジャズダンス。今はモダンダンス、ヒップホップもやるようになった。はや始めて九年。たった九年…と自分では思う。私は踊っている時が1番自分自身がキラキラと輝いていると思っている。高2になって、周りの子は将来を考え始めている。もちろん私だって考えている。私は夢がいっぱいある。「幸せに暮らしたい、お金に不自由しないで生活したい…」まだまだいっぱいある。でも、その中で私は若いうちは「ダンサー」、年をとったら「インストラクター」になりたいと思っている。でも現実は甘くない。ダンサーなんていっぱいいるし、私なんて…って思いたくないが思ってしまうことがある。でも、私は「踊ること」でお金もうけがしたい。バクチな商売だと思う。だけど踊りたい。踊って、人に魅せたい。キラキラしたい。この気持ちはダンスを始めてすぐにわかった。そして知った。「踊ることが大好きでたまらない。」私はダンスの才能がないかもしれない。でも、努力することは誰にも負けない。言いきれる。全体を10と考えて、才能は1とする。才能のある人が努力を5しかしなかった。合計は6である。じゃあ才能のない人は「7」努力すれば勝てるのである。私はきっと後者の方である。私は勝つ。私はダンスが上手い。そう思って私は踊り続ける。そして職を手にいれたい。「勝ち組」とは何だろうか。親を含め大人達は、将来、私達が立派な大人になることを望んでいる。立派な大人とは、良い大学に入って良い企業で働く、いわゆる”エリート“が勝ち組であると考えている人がいるようだ。となると、フリーターは負け組ということになるのか。人々はフリーターを冷たい目で見ているが、私はフリーターが負け組だとは思わない。自分の興味のあること、好きなこと、やりたいことを仕事にできたら嬉しいし、私もそう望んでいる。しかし自分の思うようにならないのが現実で、自分の夢を諦めたり挫折したりで、自分のやりたい仕事ができない人も中にはいると思う。人はそういうことの積み重ねで成長していくのだと思うが、フリーターは失敗や挫折から逃げているのではなく、自分のやりたいことや夢を模索し、その夢を叶えるために、彼らなりに頑張っているのではないだろうか。そんな人達をただの「負け組」といって切り捨てるのはどうかと思う。私は、フリーターもある意味、勝ち組ではないかと思う。私には、今目指している夢がある。夢を叶えるためには途中でつまずいたり、くじけたり、たくさんの大変な試練が待ちうけているだろう。でも私はこれらから逃げずに、自分の生きる道を全うしていきたいと思っている。私は将来、保育士になりたいと思っています。保育士という仕事はたくさんの子供と関わっていかないといけないし、すごく大変な仕事だと思います。けど、だからこそやりがいがあると私は思います。最近の保育士は、結婚したら辞めたり、子供ができたら辞めたりする人が沢山いるけど、私は結婚しても、子供ができても辞めません。確かに自分に子供が出来ると、自分の子供で精一杯になると思うけど、保育所にいる子供達の事も考えないといけないと思います。「先生はいいなぁ。辞めたいときに辞めれて。」って思うはずです。その子達は将来、何でもすぐ諦めたり、辞めたりしてしまうかもしれません。そんな子供を作らないためにも、辞めるのはよくないと思います。自分の子供と園児たちを平等にするのはなかなか難しいと思うけど、それが出来る保育士になりたいです。自分のことだけじゃなく、自分の子供、そして園児の事も考えて行動出来る保育士に。「働く」ということはすごく大変な事だと改めて実感しました。色々あると思うけど頑張っていきたいと思います。私の両親は共働きです!特に母は看護師という時間が不規則で大変な仕事をしています。私は小さいころそんな働く母が嫌で、嫌で堪りませんでした。なぜなら、保育所の迎えに来ず、小学校の参観日にも来てくれなかったからです。私は何度、仕事に向かう母に「私と仕事、どっちが大事?」と問い掛けたかわかりません。そのたびに母は困っ大阪府立東住吉高等学校(大阪府)乾真由美さん悔いなき人生を生きたい大阪府立河南高等学校(大阪府)小杉亜友美さん祖父が私に教えてくれたこと大阪府立河南高等学校(大阪府)森下育恵さん天職につきたい兵庫県立川西北陵高等学校(兵庫県)坂口めぐみさん”勝ち組“って何だろう。尼崎市立尼崎高等学校(兵庫県)津川小智子さん働くこと和歌山県立和歌山商業高等学校(和歌山県)中谷紘子さん働く、ということ(「働く」という名のバトンをつないで)