17歳からのメッセージReport2004

17歳からのメッセージReport2004 page 29/40

電子ブックを開く

このページは 17歳からのメッセージReport2004 の電子ブックに掲載されている29ページの概要です。
秒後に電子ブックの対象ページへ移動します。
「電子ブックを開く」をクリックすると今すぐ対象ページへ移動します。

概要:
17歳からのメッセージReport2004

17歳からのメッセージ[受賞作品集]??奨励賞?27目を気にするようになった。「外人だ、アメリカ人だ。」と指をさされたり、わざと私と関わるのを避けられたりと、日本人離れをした容姿のせいか、常に異質な存在として見られていた。しかし私は、周りと変わることなく日本で生まれ育ってきた。そのはずなのに、異邦人としてしか認識されないことは私の自己に対する疑問を非常に強くさせていった。私は何者なのか。なぜ「日本人」として胸を張って生きていけないのか。世界には、このように「人種」や「国籍」に縛られながら苦しんでいる人が大勢いる。人類の歴史上、悲しいことに差別は絶えず行われてきた。異質なもの、少数派を排斥する前に、私はよく考えてほしい。人間は「何人なにじん」である前に一個人の人間である。肌や髪の色、話す言語、文化が違っても、私たちの血は皆同じ色である。人は、国籍にとらわれず、一人の人間として生きるべきだ。私は「色」について、かなり強いこだわりをもっている。それは、色彩感覚とは異なる、色の名前に対するこだわりである。私が日本古来の色の名前に興味をもったのは、源氏物語を読んだ時だ。源氏物語においては、紫という色が非常に大きなウエイトを占めている。この紫というのは現代の紫より赤みがかっていて、春の夜明けのような色を指すという。言わば「梅紫」である。私が初めてこの色の名前を目にした時、2つの感覚を同時に味わった。1つは視覚で、平安の紅色に近い紫色が目に浮かんだ。もう1つは嗅覚、紫の上が合わせた「梅香」という香のかおりがした気がした。もちろん実際にかいだことなどないが、この感覚の連鎖が起こったことは間違いない。日本には、この梅紫のように美しい色の名前がたくさんある。ピンク・オレンジといった外来の色名との違いは、色につけられた名前も、その色と同様に、見る者に色々な感覚をもたらすことだ。漢字のもつ美しさ、その重ね方の微妙なバランスで、名には色がつけられた。色が名づけられたのではないのだ。名が見る者に、色彩や匂い・温度・手触りなどを与えるのだと思う。言霊というのもきっと同じ類だろう。色の名前というのは、私にとってとても特別な言葉だ。文字が匂い立つという感覚は、他のものでは絶対に味わえない。古語の「匂ふ」の意味を、ここに見たような気がした。梅雨も終わり、暑い夏がやってきた。夏祭りや、花火大会など夏の風情がいっぱいだ。私はいつも自分の家の窓から長良川の花火を観るのが楽しみだった。「昔、うちの窓から観る花火は絶景だった。」とよく祖母が口にする。そういえば窓から観る風景がだんだん変わってきたような気がする。周りには大きなビルが建つようになり、何だか窓から観る風景そのものが狭く感じられるようになった。窓から観る風景といえば、もう一つ変わったことがある。私の家から北東の山の頂上に城がある。昔は朝日に照らされる城を見ながら起き、月夜に映える城を見ながら床についたものだが、それもできなくなってしまった。大きなマンションが建ったのである。マンションは見事に城を覆い隠してしまった。それからというもの私はあまり窓から外の風景を観なくなった。地域が発展してゆくのは良いことである。それに伴って、大きなビルが建つのも仕方のないことだろう。しかし、そのために美しい景観をそこに住む人々から奪ってしまうというのはどうしても納得がいかない。土地にはその土地に住む人々の心の寄り所としての風景がある。それを効率性、利益性を追求するあまり破壊してしまうというのは悲しいことである。私は願っている。あの頃窓から観た、あの風景を、もう一度観ることができる日が来ることを。彼女は突然やってきた。海へ散歩に行った祖父の後をよちよち付いてきて、私の家から離れようとしなかったのだ。海へ来る何人もの人間たちの中から私たち家族を選んでくれたようで、猫嫌いの私たちも彼女を愛さずにはいられなかった。だが私の家のまわりでは捨て猫が問題になっていて、一緒に暮らしていくには、家族で一つの条件を決めなければならなかった。不妊手術をすることだった。私はあなたが愛しくてたまらない。離れたくない。だけど私が一緒にいたいなんて思わなければ、あなたは本当の幸せを得られるのかもしれない。青い眼を輝やかせ、庭を駆け回る彼女の姿に胸がつまる思いがした。「ごめんね、ごめんね…。」私たちは弱かった。彼女は白い包帯をお腹に巻き、遠くの海を眺めている。何をされたのか、薄々理解しているようだった。人間側の都合だけで人生をもて遊ばれている彼女にどうしたら許してもらえるのかな?私は人間としてこんな生き方をするのはもう嫌だ。自分たちの為だけに技術と権力を使い、他の生き物の幸せを本当に奪っていく。これではいつか地球上から仲間外れにされる気がする。私たち一人一人が共生の正しい道を歩まなければと思う。ときどき不安になる。私たちを無邪気に見つめかえす彼女の青い眼に、私たちはどう写っているのだろう。日本という国は、とても美しいと思う。言葉や文化、それぞれが魅力を持っていて、独特の味を出しているとも思う。私はその美しい国に生まれたのだから、美しい日本語が話したい。今の汚れた言葉ではなく、本来の美しい日本の言葉を学びたい。今、学校では英語を習っているけれど、英語を学ぶ前に私達現代人はもっと正しい日本語を学ぶべきではないかなと思う。昔、日本には言葉の魔力を重んじる風習があったと聞く。言葉、言ノ葉には霊力が宿るとし、言葉を正しく大切にしていた。現代ではそれは忘れ去られ、言葉は省略され、汚れてしまっている。相手の存在そのものを否定する様な言葉も気にすることなく気軽に使っている。しかし、それを耳にして心地よいはずはない。美しく、正しい日本語は耳に心地よく響き、全身を良い音で満たしてくれるだろう。そうすれば、争いは減り、心の余裕もできるのではないだろうか。そう思うとやはり、古きを生かし、新しきを生きることが今の私達にもっとも必要だと考えられる。それにはまず、今使っている汚れた日本語を捨てて、美しい日本語を取り入れることからはじめるのが良いだろう。いつか社会に出た時、正しい、美しい日本語が話せるようにしたい。長崎県小6女児、同級生をカッターで切り殺す。原因、HPへの書きこみ。この事件は私に少なからず衝撃を与えた。私は比較的皆より早くからインターネットに親しんできた。その分、色々なものをネット上で見てきたと思う。ネット上での行動範囲が広がるにつれて、昔は見えなかった隠された部分が見えてきた。中学の頃だ。客観的に常識を持って見ると、どう考えてもおかしい事を平気で書く人がたくさんいることに気付いたのだ。そんな人は表立ったところにはいないだろうと思うかもしれないが、どこにでも、大勢いるのだ。とある、映画の意見を書きこむページを見たことがある。ある人が「この映画は良かった、最高」と書けば、次の人が「こんな最悪なのは見たことがない、これがいいと思える奴なんか死んでしまえ」と書いてある。そんなの、よく見る。ネット上なら相手の顔が見えないし、現実感も薄い。結構な無法地帯である。私にはインターネットが、実生活で発散できないストレスの掃溜めになっているような気が愛知県立成章高等学校(愛知県)越河真子さん青い眼の審判セントヨゼフ女子学園高等学校(三重県)増田有莉さん美しい言葉大阪府立千里高等学校(大阪府)河内美春さん現代のごみばこ岐阜県立羽島北高等学校(岐阜県)高橋直也さん奪われた景観組合立甲陵高等学校(山梨県)亀井春菜さん匂い立つ色