17歳からのメッセージReport2004

17歳からのメッセージReport2004 page 30/40

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17歳からのメッセージReport2004

してならない。それでストレスが浄化できたらいいが、ネット上に溜ったそれらはだんだん狂気じみた現実感を帯びてくる。その結果が、あの小学6年生の女の子、なのかもしれない。このますます身近になりつつあるインターネットという仮想現実をどう規制するのか、ということは今後の大きな課題になるだろう。私には幼い時から仲良くしてる友達がいる。けれども小学校から現在まで同じ学校には通っていない。私は朝鮮人なので当然朝鮮学校に、彼女は日本人なので日本学校に通っている。お互い国は違うけれど、何の違和感もなく過ごしてきた。中学に入学してからの三年間は時間が合わず、ほとんど会えなかったが、最近になり一緒に地域のバレーボールに参加するので話す機会が多くなりました。ある日、バレーが終わり、いつものように近所迷惑になる程、大笑いしながら立ち話をしていると、ふと以前、日本で流行った”GO“という映画についての話題が出た。すると彼女は、「朝鮮学校ってあんなんなん?」と聞いてきた。私はビックリした。映画では朝鮮学校の生徒と教師が授業中に乱闘を起こしたり、朝鮮学校が正常じゃないように描かれている。それを見て影響を受ける人はいると思っていたが、こんな近くにいるとは…。私は即座に否定し、事なきを得たのだが、最近、情報社会の中で何が正しく、何が間違っているのかということの判断が麻痺しているような気がする。切り開かれた社会を築いていくためには、もう一度原点に戻って考えていかなければならない。国道一七〇号線――通称「外環」。自動車の通行量は朝も夜も多い。僕は高校の行き帰りに外環沿いを自転車で走る。帰り道、夏は夕方になるかならないか。冬は日が沈み、暗さ、灰色が全てを包む。そんな中、自動車には様々な年齢、職業、顔つきの人が色々な人数で乗っている。僕はそれを見るのが好きだ。というのは、乗っている人それぞれに幼い時があり、青春があり、思い出があり、家族があるのだと考えると、泣きそうになるからだ。何故泣きそうになるのか、また何故そんな気持ちが好きなのかは分からないが、きっとそういう、よく分からない感情が増えて、僕は大人になるのだと思う。幼い頃、大人になると、今の自分の世界(意識)が変わり、僕は僕とは全然違う僕になるのだろうなと考えていた。しかし、十七歳の僕が今思うのは、僕はずっと僕のままだ。ただ、多くの悲しい事、嬉しい、悔しい、辛い、苦しい事を経験し、僕が世界だと思っていた世界は実はただの町で、そのまわりには国があり、大陸があるということに気付き、最初に世界だと思っていたところを中心に、世界(意識)が広がっていくのだと思う。時々「自分は何故生きているのか」と不安になる。自分の存在のちっぽけさに叫びたくもなる。でも僕は死ぬ時に「いい人生やった」と言えるように、今走っている。世界(意識)は広がっていく。町の景色も変わる。でも、走り続ける。それが生きる意味だから。十七歳、初夏。日本は世界でもトップクラスの先進国だ。とくに繊細な技術においては、世界一と名乗ってもおかしくない。何故、人々は技術を追い求めるのだろうか。古来から人類は、楽をすることに重きを置いてきたように思う。楽をすることは、非常に素晴らしい事と思う。楽をすることを知っていたからこそ、人類は獣の持っていない余裕を持っているし、文明に力を注げたのだろう。しかし、今、人々は技術によって余裕を手に入れられているだろうか。確かに、技術の進歩によって便利にはなっているだろう。パソコン・携帯電話、この二つの出現は、目に見えるスピードで我々の暮らしを便利にしてくれている。だが、この現代社会を象徴するであろう二つの便利ツールは、我々に余裕をもたらしただろうか。瞬き一つの間に、何日分もの情報が生まれては消え、『人と繋がりっ放し』な毎日。余裕などという言葉の出て来る隙間は無に等しい。正に人々が、『技術』に食らい付く形で余裕は失われてしまった。人々は技術を追い求める。何故なら、技術は便利をもたらすからだ。そして、便利は楽をもたらす。嘗ては、それから余裕が生まれた。勿論、現代技術を悪く言うつもりは全く無い。しかし、時々、本当に時々、目を閉じて、深呼吸をして『余裕』を探してみるのも悪くないと、私は思うのだ。昔、母の友人の結婚式に、フリフリのドレスを着て行かせられそうになり、泣きわめきながら、抵抗しまくった。その時の私の世界で一番に嫌いな物、それは…レース付きのフリフリドレスだ。誰がそんなものを着てやるもんか!そんな私の前に必ずや彼は現れる。一室の暗い部屋で1時間以上の正座+説教付きだ。その時、私はまだ5才。ありえない。彼に”わがまま“は通用しないのだ。私の彼に対する印象はもうその頃から、”絶対的“なものとなっていた。彼が帰って来る日には、自分の部屋を完璧に掃除しまくり、良い子でいるよう出来るだけ努力する。彼に見放されないように、必死なのだ。勉強だって、頑張った。思春期に入ると、私の行動はさらにエスカレートし、極力彼をさけるようになった。大嫌いになった訳だ。彼も私の事を嫌ってると思った。正義感が強く、わがまま嫌いな、仕事一筋の彼、私と正反対。ん?だから嫌いなのか?いや、違うのではないか…?本当は誰よりも、尊敬し、憧れているのではないか?家族を大切にする事を忘れない彼、私達の為に一生懸命働いてくれる彼。今、考えると誰が好きでもない娘に”愛情“という名を与えるだろうか。そしてわかった。彼のジャマになりたくなかった自分。彼が好きだったから、一生懸命に好かれようとした自分…。結局、私は彼が大好きだったのだ。今までゴメンよ、父。元気で居てくれよ、父…。「あぁ?。なにも書く事がない。」って、この「十七歳からのメッセージ」を書く時、この言葉ばかりさけんでいた。これといって、ぱっとした事もなくて、正直あまり今考えている事もなかった。そして、今までの事を思い出したり、家族・友だち・学校の事を考えていたりしたら、私ってめっちゃ「幸せ」やんって事に気がついた。家族は、四人家族でお金持ちでもなく、平凡な家だけど、一番素の自分でいられるところだ。父は、礼儀、門限にはかなりうるさい人だけど、優しくていつも心配してくれる。母は、なんでも話せて、一番気の合う人で、すごく好き。家ではいつも一緒。妹は、かわいくて、友だちみたいで、女兄弟でよかったと思う。これだけでも、幸せって思える。友だちもいろんな子がいて、みんな大好き。一緒に笑ったり、泣いたり、怒ったり、アホな事したり、ケンカもしたりして「青春謳歌」している。そして、私があかん事したら、しかってくれて、ヘコんでたら、励ましてくれて、今日も、ヘコんでたら、「シャカリキでがんばれ」って言われて、その瞬間から、テンション上がって、ニコニコだった。わたしって幸せやろ!?私は、家族、友だち、いろんな人がおらんようになったら、死んでまうわ。おもんないやん。だから、みんな元気でいてください。最後奨励賞?17歳からのメッセージ[受賞作品集]??28大阪府立長野高等学校(大阪府)辻裕貴さん裕福な国の食うことに困ったこともない何も知らない高校生のガキの独り言「強く生きたい」大阪府匿名希望『余裕』と『技術』大阪朝鮮高級学校(大阪府)李愛情さん紙一重兵庫県立松陽高等学校(兵庫県)梅谷佳世さん私は幸せ!!大阪朝鮮高級学校(大阪府)崔美湖さん影響…?