17歳からのメッセージReport2004

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17歳からのメッセージReport2004

17歳からのメッセージ[受賞作品集]??奨励賞?29に私は幸せやで!!高校2年の7月、私はいつもと変わらず暑い毎日をダラダラと過ごしていました。私がイメージする刺激的な夏休みとはほど遠く、これといったイベントもなく、汗だくになって自分が頑張れる事もありません。このままでは去年と同じく、暑さと宿題に追われるだけの夏休みになってしまうのではないかという不安がよぎりました。そこで私は、この夏は何か周りも驚くような事をやろうと友達を誘いました。2人で話し合った末、高校生漫才コンクールに出場することになりました。8月初旬に予選があり、それを通過できれば周囲の人に話すことになりました。予選通過の時にもらえる賞金と豪華ホテル宿泊券ほしさに練習しました。予選当日になり、緊張しましたが、何とか120組中の3組に入ることができ、本選出場が決定しました。そして両親に全て事情を話しました。本番まで約3週間ありました。どんなに暑くても、公園の隅や草むらの中で練習をしました。その時の私達は、賞金や旅行券目的ではなく、絶対優勝したい、笑わせたいと思っていました。途中もめたり行き詰まる事もありましたが、何度も繰り返し練習し、もめた次の日もいつもの時間に集まってまた練習していました。そして本番に近づく度成長している事も自分で感じていました。結果は優勝できなかったけど、この夏で得たものは、賞品の20万円とアメリカ旅行よりも大切なものだったと思います。私は今、個性というものが何なのか分からない。「個性」という意味なら分かる、人や物の特徴だ。しかし、私が本心から答えて欲しいのは「個性とは何と比べての個性」かということである。親や友人、教師にも聞けないようなこの疑問は学校のホームルームの時間に湧いたものだ。ある一人の子の髪の色を担任が黒く染めるように注意した。するとその子は「そんなん個性が無くなるやん。地味や」と言ったのだ。同じ教室にいた私は疑問に感じた。「地味は個性じゃないのだろうか」「派手なら個性があるの?」と。私の髪の色は黒いが自分自身に個性が無いとは思っていない。なぜなら服装は人より少し上品な物を好むし、何より生まれて今まで全て同じ考えの人に出会っていないからだ。私は個性とはその人の特徴、つまり他の人が持ち合わせていない物だと理解している。もしその人が地味やおとなしいと言われていても、その人独自の行動はその人しかとれないのだから、それも個性なのだ。「個性は比べようがない」これが私の答えである。良い意味でも悪い意味でも私達は今、自分というものを見てほしい。だから私は友人の言葉に自分が否定されたような悲しみを感じた。私は個性とは、己の負の部分も全て見つめ直した上で受け入れる自分なのだと思っている。あえて言いたい、個性とはその人の考え方だ。それを輝かせ、認められている人は自分を大切に考えられる人だ。トクトクトクという生きている音と、カチコチカチという死に近づく音の二重奏。ごくシンプルにすると、そんな音を聴かされて、わたしたちは生きているんだと思う。街の喧騒や笑い声、小さく連続的な電子音、人それぞれの足音、わたしがいま、この文章を書くのに奏でている、シャーペンの芯が紙の上を滑る音。いま、わたしの耳に聴こえてくる音はとても書き出しきれないし、またすべてを把握できてさえいないと思う。何十、何百種類になるのだろうか。たまらなく、音が嫌になる時がある。そういう時は決まって真っ先に耳を塞ぐのだが、それでも音は塞いだ手を突き抜けて私の鼓膜を刺す。残酷な光景を目にするより、暴力的な言葉をきかされることに深く滅入るから、つらいのである。レコード屋に売られている優しい音楽や、優しくわたしの名前を呼ぶ声では縫い合わすのが追いつかないほど、引き裂かれていく。見たくないものもたくさんあるけれど、そんな時は目を閉じていれば済む。―――耳は閉じられないじゃないか。それなのに。完全な静寂というのも恐ろしく、「どうしようもないだろう」と結論を下す傍ら、思う。パタリ、と。ある日突然、まるで本を閉じるかのように終わってしまえたら楽でしょうに。「えみのおばちゃんっておもしろいよなあ!!」ってよく言われます。「あの人変わってるからなあ」苦笑いで私は言います。家の母の名前はえり子。私がえみこだから一文字違いで、えり子。私と母は仲がいいときはとことん仲が良く、悪いときはとことん悪い。性格も激似の二人だから興味をもつところも同じで、盛り上がるとすごくうるさい。でもけんかが始まると、もう誰にも止められない。お互い絶対に意見をゆずりません。私が見るファッション雑誌を同じように見て、私のファッションチェックをしたり、職場の若い子と遊びに行ったり、メールもします。一見チャランポランな母親だなあと思われがちなこんな母だけど、なかなか尊敬できるところもあります。私が中三の春、食中毒になり入院したときの話です。意外にも私の母は看護婦という職業についていて、当時「腹が痛いー!死ぬー!!」ともがき苦しむ私を、すばやい判断で病院に連れて行き、入院させました。お腹の痛みと病院生活にすっかりやられていた私に、「そんな肝っ玉の小さいことでどーすんの!!もっと強気でおりなさい!!」と説教し私を強くさせました。当時はこんなにしんどいのに何言うんだこの人は!と泣きたい気持ちだったけど、今考えればその言葉、今私がピンチになったとき、心の中で何度も繰り返しているおまじないになってるみたいです。ちょっと尊敬したよ。お母さん!!「先生に出会えたからこそ私は今こうして幸せにいられるのです。」この言葉に私は強く心を打たれた。他の病院では死を宣告された患者が、ある医者に出会ったことで再び生きる道を歩むことができたという記事を私は先日読んだ。その時その医者は、自分ができることの全てをその患者に尽くした。そのようなことが私の身近でも実際にあった。私がまだ小さい頃、祖父が末期の癌になった。苦しそうに病と闘っている祖父を、母は必死で毎日看病し続けた。母は祖父のそばにつきっきりでほとんど寝ずに毎日看病をしていた。そんなときに母が言った言葉を私は今でもはっきりと覚えている。「今自分ができる全てのことをやることが一番大切なのよ。それで相手が喜んでくれたら、それはそれは素晴らしいことじゃない?」そのときの母は、まさしく記事の中の医者そのものだった。母のあのときの看病を、祖父はとても喜んでくれたことだろうと私は思っている。私はこの母の優しさと、あのときの言葉から『今自分にできることをできる限り頑張りたい。』そういう気持ちを強く抱くようになった。自分にできることを一生懸命にして、周りの人が幸せになって喜んでくれることがあれば、私の人生は大成功だ。僕は父が嫌いだ。いつも僕に干渉してくるからだ。「勉強したか?」これが僕を苦しめる言葉の一つだ。この言葉を食事中に吐かれると長い長い小言が始まる。ご飯の温度が一気に下がる。岡山県立総社南高等学校(岡山県)山本恵美子さんおまじない福岡雙葉高等学校(福岡県)石井佑佳さん今、自分にできること和歌山県匿名希望音神戸国際高等学校(兵庫県)野田百合さん個性が分からない兵庫県匿名希望頑張る自分を見つけた夏西日本短期大学附属高等学校(福岡県)三宅崇文さん僕の逃亡