17歳からのメッセージReport2005

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17歳からのメッセージReport2005

17歳からのメッセージ?受賞作品集??銀賞?私はその後ギリギリまでおばあさんの手伝いをした。その中で過去の話や近所の人との話をしているうちに何だかずっと昔からの友達のような気がしてきた。今も駅に行くときれいな駅のホームとあのおばあさんが時々いる。それを見ると私はとてもうれしい気もちになるのだ。そして、「おはようございます。」と気もちの良いあいさつができる。【涙脆い】すぐ涙を流しがちである。また、情にもろい。涙っぽい。私は涙脆いと自分で思っている。事実、感動モノの映画やドラマを見るとすぐポロポロ涙が出てくる。また、自分自身で怖い体験や痛いこと(転んだり)を体験したりしてもつい泣いてしまう。泣き虫なのか?しかし、ある時気づいてしまったのだ。泣いていても心の奥は冷え切っていることに!クラスの皆で一致団結して一つのものを作り上げたが賞に入らず、皆で悔し涙を流した時もそうだった。「私、なんで泣いているんだろう?」と、ふと思ってしまったのだ。ニュースには毎日事件や事故の被害者について、その知り合いがマイクの前で何かを語る姿が映る。涙ながらに「悔しい!ひどいですよ!」と訴える人もいる。私は「本当はそんなに悲しんでないんでしょ?」といじわるな連想をしてしまう。こんな自分が嫌で嫌で、心がひねくれているとしか思えずにいた。情にもろくてすぐ泣いてしまう自分と醒めた無感動な自分。どちらが本当の私なんだろう。しかし、どちらかに決めるのは無意味かもしれない。人は両面があるのではと思った。私はそんなすぐ理解される存在ではないのだ。そうだ、両方とも私なんだと認めて共存していけばいいのだ。そう考えたら心が軽くなった気がした。昔の僕は、今よりずっと沢山の感情を持っていた。例えば、夜に家が停電になった時。何故かワクワクして、騒ぎながら弟と家中を走り回っていた。例えば、夜に雪が降り出すと、「明日の朝、積もっていますように」と祈り、次の日、それが叶わなかったと知って、本気で落ち込んでいた。学校で席替えがあって、好きなあの子が自分の隣の席になった時、それだけで学校が楽しくて毎日ドキドキしていた。授業参観の日、自分の席からチラチラ後ろを窺って、ふと親と目が合った時、何だか妙に照れ臭かった。初めて自分で買った服は、毎日着ようと本気で思う程のお気に入りだった。自分で捕えたカブト虫が、ある日死んでいたのを見た時、とても悲しくて肩を「ひくひく」させて泣いた。そんな沢山の感情を持っていた、あの頃の僕に比べて今の僕は何て冷静でつまらないんだろうか。もう、テレビのヒーローに自分を重ねる事も、雨に打たれてはしゃぐ事も、恥ずかしくて出来やしない。それを人は「大人になる事」と言うが、大人だって、もっと色んな事に、ドキドキしたりワクワクしたりしても良いハズだ。よし、決めた。これからの僕は、もっと沢山の事を感じて、「ドキドキ」や「ワクワク」を忘れない人間になろう。まずは、その前段階として、今まで食わず嫌いだったゴーヤでも食べてみようか。意外といけるかも。なんて一人ワクワクしている十七歳の僕なのだった。ふと、50号の大きなキャンバスを見上げた。そこには、まだ何もない。ただ真っ白な世界が広がっている。じっと見つめていると、それが何かに似ているような奇妙な感覚に襲われた。正体が分からず、もやもやしながら、私はパレットに七色の絵の具を流し始める。そして、使い古した筆で、絵の具を掬う。その時、はっとした。そうか、このキャンバスは、私に似ているんだ。私は、あと2日で18になる。この18年間、私にとって絵はとても身近なもので、ずっと描きたいものを思うままに描き続けてきた。しかし最近、絵を描くことに意味を持たせるようになった。絵を描くことは私を創ることと同じではないかと思うのだ。キャンバスという名の過去の私がいる。そこに、家族という名の色を塗っていく。次に友達という色、先生という色を塗る。さらに学校、地域……と環境が私に与える独特の影響を塗りたくっていく。それを、どんなタッチで、どんなタイミングで加えるかは、筆である現在の私が決めること。誰にも真似の出来ない、その瞬間にしか描けない絵を描いていく。気がつけば、世界にたった一つしかない絵画、つまり、世界に一つしかいない未来の私自身が出来上がる。今、高3は進路で悩む時期だ。私もこれからの未来に、不安や焦りを感じている。しかし、それでも私はためらわず未来を描き続けていきたい。「素敵だね」と言われる自分を創るために。今の私があるのは、とても大切な人との「ぎゅっ」があってこそだと思います。幼い頃から、嬉しい時も、悲しい時も、怒っている時も、いつでも「ぎゅっ」と抱きしめてくれた家族。学校で、楽しい時にぴょんと飛びついて「ぎゅっ」と抱きつき合ったり、泣いてしまいそうな時には、ぴたっとお互いの肩をくっつけて、何も言わずに「ぎゅっ」と手を握ってくれた友達。これらの「ぎゅっ」に私はいつも励まされてきたと思います。先日、近所のスーパーへ行くと、赤ちゃんの泣く声が響いていました。ベビーカーの中をちらっと覗いてみると、まだ生後1ヶ月ぐらいの赤ちゃんでした。全く泣きやむ気配もないので「どうしたんだろう。お腹が減ったのかな?おむつが汚れたのかな?」と思って見ていました。すると、ベビーカーをおしていたお父さんが、赤ちゃんをすっと抱き上げて左腕の中にすっぽりと入れ「ぎゅっ」と抱くと、一瞬にして店内から赤ちゃんの泣く声が消えました。私はその時「あぁ、泣いていたのは、ぎゅってしてと言っていたんだね」と思いました。どんな時でも、大切な人と腕や手で「ぎゅっ」とする事で安心し、お互いの存在を確かめ、認め合う事がとても大事であり、そうする事を生まれたての赤ちゃんの頃から、誰でも求めているんだという事を、あらためて実感しました。小さい頃から自然の音が好きだった。それは近くの川が流れる音だったり、風が吹き草をサワサワと揺らす音だったりするのだが、そんな中にいるととても満ちたりた気持ちになった。言葉の意味はまだよく知らなかったが、自分が本当に幸福な存在だと思えた。その音の中に不自然なものが混じり始めたのは、いったいいつからだっただろうか。カンカンカンという規則正しい工事の音。昔からあった家は取り壊され、近代的なマンションが建設された。畑は埋め立てられてガレージに変わり、アパートやマンションに変わった。あそこは夏休み、絵日記を書いた場所。あぁ、小学生の頃、まだガレージだったここで氷の上を滑って遊んだっけ。あの場所は……この場所は……。自分の大切なものがぽろぽろとこぼれていく様で、何とも言えない気持ちになった。進んでいく日常の中で、確実に「トキ」は変化している。街も、人も、心も、流れる様に変わっていく。以前の面影を失いながら静岡県西遠女子学園高等学校(静岡県)谷麻未さん私の二面性日生学園第一高等学校(三重県)佐藤雅哉さん「ドキドキ」と「ワクワク」京都府匿名希望未来のキャンバス京都府立京都すばる高等学校(京都府)川北望さん「ぎゅっ」立命館高等学校(京都府)日置結香子さん聞こえてくる音9