17歳からのメッセージReport2005

17歳からのメッセージReport2005 page 12/44

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17歳からのメッセージReport2005

17歳からのメッセージ?受賞作品集??銀賞?「今」に追いつこうとしている街を見ていると自分がそこに重なる。精一杯毎日をこなしている自分は、いつも何かに焦っているように思うのだ。生まれた街を顧みる事も少なくなった。いつか大人になった日、今の自分を失っていたくはないけれど。夜、疲れた体を横たえる時、目を閉じると秒針の音が聞こえる。それと同じリズムで、重なる様に雨の落ちる音が聞こえる。自分の気持ちがはりさけそうな時はだれかにぶつける。それは、楽しみ、悲しみ、あるいは怒りだったかもしれない。それは心のドッジボール。うまく受け止める人や、よけて逃げてしまう人もいる。当たれば痛い。それはあたりまえ。私はそれでたくさんの人を傷つけた。当ててしまったのは私の大切な人達。ドッジボールはそもそも人に当てるもの。気もちをだれかにぶつけたいという気もちが込められているからすごいスピード。考える暇もないくらい速く、そして強く当たる。当たった人の中にはもう二度と立ち上がらなかった人もいた。ドッジボールは人に当てるもの。だけど私のその「ぶつけたい」の中には、「この人なら受けとってくれる。」という甘い考えがある。大切になればなるほどボールは大きく速く強くなる。心の傷は深くなる。だけどぶつけた私の傷はさらに深く治りにくい。投げたボールが何倍にもなって返ってくる。その傷はある日ふと治る。だけどある日ふと、かさぶたがはがれてズキズキ痛むんだ。きっと一生治らない。私の傷もあなたの傷も。もうこれ以上傷を増やさない様にボールのコントロールをしなきゃいけない。ドッジボールをキャッチボールに。これ以上大切な人を傷つけないようにする為に日々、トレーニングをするんだ。これからずっと、少しずつ。「まいちゃん、早く帰ってこないかな。心配だな」「大丈夫よ。もうすぐ帰ってくるわ。それより、まいちゃん最近、よく笑うようになったと思わない?」ぬいぐるみの熊君とうさぎさんが話しています。「そうだね。今までは泣いてばかりだったし、いつも寂しそうにしてたもんな」「それに、今まではしょっちゅう病気してたしね。でも、今は、すごく元気になって、まるで別人みたいよね」「今は友達もいっぱいできたみたいだし、最近では童話を書いたりしているみたいだよ」「僕は童話を書いてる時のまいちゃん、とても楽しそうで好きだな」「この間言ってたけど、童話作家になることを目指して頑張ってるみたいよ」「まいちゃんが、そう思うようになったきっかけって何かあったのかな?うさぎさんは知ってる?」「金子みすゞの詩の中の言葉で『みんなちがって、みんないい。』ってあるでしょう」「ああ、まいちゃんが小学生の時に一生懸命、暗唱した詩だよね」「あの言葉が、まいちゃんが童話を書くようになったきっかけだと思うわ」「それとまいちゃんのお母さんの言葉『過去と他人は変えることはできないけど、自分と未来はいくらでも変えることができる』っていう言葉」「あの言葉でいろんなことに挑戦しようという気持ちになったんだね」「これからもいろんなことに挑戦して自信をつけていって欲しいね」「ただいま」その時、まいちゃんが元気よく部屋に入って来ました。とたんに部屋が明るくなりました。「そんな顔で近付くな。」と言われた。前から来て唾を吐いて去って行く人もいた。時には追い回される事もあった。すべてのでき事がガラスの破片のように、長い間私の心に刺さったままで、触れると強烈に痛んだ。私と同じく顔に障害を持つ人達の多くは、やはり世間に忌み嫌われている。自殺を選ぶ人も少なくない。私もその一人だった。ずっと悩んで苦しんで来た。だけど、ふと、生きてみたい、と思った。きっかけは些細な事だった。毎朝友達が「おはよう。」と声を掛けてくれた。通りすがりの人が、こかした自転車を起こすのを手伝ってくれた。家に帰ると、母が温かいご飯を作ってくれていた。――世間も、全く希望がないわけではないと思った。その希望をもっと見たいと思った。心に刺さったガラスの破片は、取り除くことができるのかもしれないと思った。だから、もう二度と、自殺を選ぼうとなんてしない。でも、諦めたような人生をダラダラ送るのも嫌だ。『障害』を盾にして現実から逃げるのは、もう嫌だ。これからは、闘ってみせる…今までの弱い自分と。信じられないくらい長生きして、「あぁなんていい人生だったんだ。」って、笑いながら死んでやる。同じ苦しみを持つ人も、健常者の人も、みんな、私を見ててよ。異形の者にだって、こんな生き方ができるんだって、私の生涯をかけて、証明してみせるから。私は、変わっているとよく言われる。特に母親に。考え方が面白いらしい。周りのことを実はよく見ていたり、聞いていたりするらしいのだ。「よく、見とんなぁ?」とか「よぉ、聞いとるなぁ?」とよく大人に言われる。母親に言わせると、大人には油断ならない子供らしい。これは、私も自覚している。例えば担任の先生と話していても、必ず一度は焦らせてしまう。中学の頃は、よく友達に「保険のセールスとか上手そう」とか「人を貶すことを言っていても面白く聞こえる」と言われていた。母親もそうだからしかたない。おしゃべりが得意というか、ブラックユーモアが発達しているらしい。それに私は、母親似の俗に言う「敵も味方も多い性格」の様だ。そんな母は、利発でサバサバした性格、そして「自分」を持った女性である。小学校で、私はアトピーのことでよくいじめられた。でも、そんな中で休み時間も一人で読書に没頭する私を母は褒めた。もしも、ここで普通の母親なら「友達つくってみたら?」とか言うかもしれない。でも、私は褒めてくれた母が好きだ。けれど、母は「強い=孤独」ということもちゃんと教えてくれた。私は、その経験を経て母みたいな女性になろうと思う。時に、親は「育て方を間違った」などと言うことがあるが私は「育てられ方を間違ってはないんだ」と思う。我が子にそこまで思わせる母のような女性になりたい。「アンタは兄ちゃんによく似てる。」小さい頃母によく言われた言葉でした。それを言われていた僕はうれしいのかうれしくないのか複雑でしたが、その言葉には納得できず長い間疑問に思っていました。そもそも兄と僕は似ても似つかない兄弟で兄は母親似で頭が良くておとなしい性格で何でもできる人でした。それに対し僕は父親似で頭が悪くて明るい性格でどちらかと言うと不器用でした。そんな兄を持った所為か、事あるごとに兄と自分を比べてしまい少なからずコンプレックスを持っていたのかもしれません。しかしある日僕が部活動でやっている卓球の試合で好成積を残して帰ってきた日の晩に、ここ最近聞いていなかった言葉が母の口から出てきました。「アンタはやっぱ兄ちゃんに似てる。」と。京都府立嵯峨野高等学校(京都府)山菜月さん心のドッジボール大阪市立盲学校高等部(大阪府)出水麻依子さん私の応援団大阪府匿名希望ハンデ大阪市立此花総合高等学校(大阪府)中谷早希さん母の背中と私の背中神戸市立御影工業高等学校(兵庫県)半明広さん自分らしい道10