17歳からのメッセージReport2005

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17歳からのメッセージReport2005

17歳からのメッセージ?受賞作品集??銀賞?二〇〇五年、春。私が生まれて十七年が経とうとしている。先日、私は初めて自分のアルバムを見た。アルバムを見ることのきっかけとなったのは、学校の課題で幼い頃の写真が必要だったことで、これがなかったら、もうしばらくは目にすることもなかったと思う。結論を先に言ってしまうと、アルバムを開いてみて良かった。両親は、仕事が忙しかったにも関わらず、いろいろな体験をさせてくれ、たくさんの写真を撮ってくれていた。そして、それらの写真はコメントと共にきれいに貼られていて驚いた。同時に、とても嬉しかった。今、私の目の前に一枚の写真がある。一人の老人が赤ん坊を抱いている写真だ。老人は笑顔で、お正月の獅子舞に赤ん坊を見せている。誰の目から見ても、孫の誕生を喜び、その健康を願う老人の姿に見えると思う。その赤ん坊である私は、その老人があまり笑わないことを知っているから、老人はとても喜んでいるのだと更に感じる。私が生まれた時、喜んでくれた人がいたことが嬉しくて、少し泣いた。生後、十七年。今、両親に、祖父に、そして十七年前の赤ん坊に伝えたい。ありがとう。未来の私へ、ここに人生と言う名のレースの途中経過を報告します。十七歳とも後三ヵ月でおさらばしようとしている春、私は高校三年生になりました。私は今、一枚の用紙に大変苦しめられている状況です。その名は、進路希望調査。私はこの用紙を見る度に、青春の三年間の事を振り返り、いつも後悔するのです。どうして、この輝けるはずの三年間を中途半端に過ごしてしまったのだろう、と。中途半端に過ごした所為で、私は人生のレースで他人より遅れをとっているように感じるからです。私の横で沢山の友が勢いよく走り去って行きます。近かった背中が今では、何十キロも遠くに見えます。未来の私は大人なので、こう言うでしょう。「自分のペースでいいよ。他人との競争ではないんだ。」と。でも今の私は子供なので、他人と競う事でしか、このレースの意味を見い出せないのです。追いつけない、置いて行かれる、逃げたい。でもわかっています。レースでのリタイアとは自分に負けたと言う事を意味するって事を。それはいささか、かっこ悪い気がします。だから私は自分だけのレースを走れるまで、そしていつか、あなたとバトンタッチするまで走り続けます。私が自分の区間を走り終えた時その時は、ふらふらの私からバトンを受け取って下さい。十七歳も後三カ月で終わろうとしている高三の春。ここに、人生と言う名のレースの途中経過を報告しました。私は、1年前から野菜作りを始めた。きっかけは、学校の選択授業で訪れた、老人ホームでの出来事。主な内容は、高齢者の方とのコミュニケーションをとる事。ホームに行くまでは簡単だと思っていた。しかし、現実はそうではなかった。ホームにいる高齢者の方々というのは、だいたい70を超えている方々で、会話を試みるものの、55年以上という年の差で、共通の話題を見つけるのは、本当に大変なものであった。そんな経験をした私は、高齢者の方々との会話を楽しむ為に、野菜作りを始める事にしたのだ。まずは、野菜を作るには何が必要かを、近所のおばあちゃんに尋ねると、誰もが快く、なんでも教えてくれた。今まで、挨拶程度しかしなかったおばあちゃんも、自分達から話しかけて来てくれるようになったのだ。「共通の話題作り」から始めた、なにげないただの野菜作りが今では、近所のおばあちゃんと自分をつなぐ、大切な”種“となった。一生懸命育てれば、どんな種でも、いずれは花となる。私が蒔いた”会話の種“は、みごとな花を咲かせ、自分の知らない新しい世界を見せてくれた。私はこれからも、この花が枯れる事がないように、大切にしていきたいと思う。そして、今よりももっと、高齢者との距離を縮めるためにも、また新しい種を蒔いていきたい。「今、電停」「気をつけて帰っておいで」私と母の、初めてのメール。この母からのメールは、今でも大切に保護してある。反対する母をやっとの思いで説得し、夜遅くまである習い事に通い始めた。そこは家からも遠く、夜は人通りが少ない。そんな中を週三・四日、遅いときは十時過ぎに娘が一人で帰ってくるなんて、親としてはとても心配だと思う。母には、いつも心配ばかりかけてきた。毎日のように遊んでいた中学時代。帰りが遅く、いつもドアには鍵がかかっていた。勉強をしない私に、最後は何も言わなくなってしまった。今もあまり変わっていない。そんな私に、今回習い事を許してくれたときに母とした約束、「帰るときにはメールをすること」。遅い返信の中に、慣れない手つきで一生懸命打っている母の姿が見えた。たった十一文字のいつも耳にする言葉なのに、なぜか胸が締めつけられるような思いがした。いつも自分のことだけで、親の気持ちなんて少しも考えていなかった私。これからは、もう心配をかけない。今もちゃんと、母との約束は守っている。「今、終わった」「今、電停」「今、降りた」。母とのメールはなんとなく恥ずかしく、ついそっけないメールを送ってしまう私への、母の返事はいつも同じだ。「気をつけて帰っておいで」私の人生には『マニュアル』というモノがあった。「中学は勉強に専念。(特に数学。私の家族は数学マニアだから。)高校は公立の普通科へ。そして四年制大学に入学し、卒業して公務員になる。」こういう内容だ。これを私は親に幼い頃から言われ続けた。私には2人の兄がいるが、2人ともこの『マニュアル』通りに高校、大学へと進んでいった。だから私も迷わず普通科高校に進学した。しかし入学してすぐ、私はなぜここにいるのだろうと思った。『マニュアル』を見ると間違っていない。だがどうも落ち着かない。そして半年が経ち、やっと答えが分かった。自分の好きな事を見つけたのだ。小・中学校から続けてきた事だ。なぜこの学校にいるのだろう。もっと早く気付けば、その専攻科に進むことができた。『マニュアル』を壊すことになるが。だが、この高校に進学した事は後悔していない。自分が好きな事、これからも続けていきたい事を見つけさせてくれたからだ。そして、この『マニュアル』があったからこそ、今の、夢をもつ自分がいる。『マニュアル』はもういらない!これからは、自分がやりたい事をやる。人に何を言われようがやり通して見せる。夢は叶えるためにあるものだから。純心女子高等学校(長崎県)江上沙和子さん中間報告書?Halfway springtime?長崎県立豊玉高等学校(長崎県)中島笑利奈さん会話の種熊本学園大学付属高等学校(熊本県)鮫島悠子さん母とのメール鹿児島県立指宿高等学校(鹿児島県)岡元亜希子さん『マニュアル』は、もういらない!広島県立宮島工業高等学校(広島県)山地愛美さん写真12