17歳からのメッセージReport2005

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17歳からのメッセージReport2005

17歳からのメッセージ?受賞作品集??銀賞?私は、仮面をかぶっていた。笑いたい時には笑いの仮面、泣きたい時には泣きの仮面をかぶっていた。仮面の女になった理由は、どんな人から見ても「良い人」で居たい、「良い人」で在りたい、そんな思いから。仮面をかぶるのはとても容易なこと。ただその場面、場面にあった顔をつくればいいのだ。そうすれば、その人の中で、仮面をかぶった私は、もう「良い人」になっている。本当の私はどこ?暗闇をさまよい歩く私がいた。そんな中、一筋の光が暗闇に射し込んできた。その一筋の光となったのが、意外にも我が家の飼い犬であった。ペットが来た当初、やはり一番にする事といえばしつけであろう。しかし、我が家に来た彼は、何を教えても聞かず、覚えないという始末であった。私はその自由奔放に振舞う彼の姿に、半ば呆れながらも、その行動に魅力を感じ、今の自分がどうでも良くなったのである。そう思ったと同時に、私の仮面が外れた。こんな些細な出来事から、私は180度変わることが出来た。今では、友達や親とも正面からぶつかりあい、分かり合えるようになった。だから、彼にはとても感謝している。そのおかげで、今の私が存在するのだから…仮面をかぶった人はこの世に多く存在するだろう。しかし私から見れば、みんな「良い人」である。私は仮面をかぶった人と出会っていたのかもしれない…そんな事を思いつつ、いつも通りに学校へ行く今日この頃である。私は二歳の時に聴力を失った。この障害のためにこれまで辛い思いをした。特に辛かったのは、コミュニケーションができずにいじめられたことだ。私なんか生まれてこなければ良かったと思うこともあった。しかし沖縄ろう学校の高等部へ進学し、これまでの私の気持ちは大きく変わった。ろう学校では同じ障害を持つ仲間が生き生きと学校生活を送っていた。また、手話でコミュニケーションするので、私の気持ちを伝えることができた。学校が楽しくなり、友達もたくさんできた。そして、耳が聞こえないことは仕方ない。ここまで頑張ってきたのだから、これから先どんな辛いことがあっても前向きに生きていこうと思うようになった。そして、私に将来の夢と希望を与えてくれたのが就業体験学習であった。保育士の従姉妹から色々と聞いていた私は、楽しそうという理由で実習先を保育所にした。それが私の今後を決定づける大きな転機となった。初めて保育所へ行った時は不安で胸いっぱいだった。でも子ども達が私の周りに集まってきてすぐ友達になった。コミュニケーションも少しずつできるようになった。耳が聞こえないからコミュニケーションはできない。そう思っていた私に子ども達は大きな希望を与えてくれた。子どもと一緒にいる時間が楽しくなり、子どものことが好きになった。そして、将来は保育士になりたいと思うようになった。卒業後は大学へ進学し、保育士を目指して勉学に励みたいと思う。「医者が人を救うのではない。よくなっていく患者は患者自身でよくなっていくのである。医者や看護師はその手助けをしているにしか過ぎない。患者がよくなっていくように環境を整えているに過ぎない」。ある医師の言葉である。医師という仕事は、「?してあげる」というような奉仕作業ではないというのだ。正直ショックだった。きっと私が医師になりたいという思いのどこかに、人からの感謝を求める下心が潜んでいたのだろう。彼は患者の人生における医師の存在を、芝居の通行人にたとえている。スポットライトを浴びない医者は、損な役回りなのかもしれない。しかし、よく考えるとドラマの撮影では、主役だけでなく通行人も厳しく指導される。それは、通行人の存在が不可欠で大切なものである事を意味している。医療に限らず、働くということは小さな事である。しかし、こちらの働き掛けにより、相手の人生へ何かしらの違いを生じさせるという大きな結果をもたらす。人々は、より好ましい結果になるよう通行人を選択する。働き手は主役によってライトを当てられる選ばれし者なのである。そして、光の下でどう動くのか、という事が働くという事なのだ。ただ、ドラマとは違い、監督はいない。自分自身で考え、行動する。台本もない。自分を演じるのだ。まだ保育園に通っていた頃、私の朝の日課は、会社へ行くお父さんを縁側から見送ることだった。幼いながらも、髪をバッチリきめて、スーツに身を包んだ父がかっこよくて、誇らしかった。「バイバイ、いってらっしゃい、気をつけてね。」このセリフを何度も何度も言いながら、何度も何度も手を振っていた。しかし、小学校入学と同時に父よりも先に登校するようになり、その日課もいつの間にか終わってしまった。そして、歳を重ねるにつれ、かっこいい父の後ろ姿しか知らなかった私も、父の苦労を知るようになった。上手く仕事が進まなかったり、上司と衝突したり、部下から相談されたり、企業の社長さんばかりの会議に出席したり…。「仕事嫌だな。」ってグチを言う事もある。それでも次の日になれば仕事に行く。大人は毎日、何の為に仕事するんだろう……。社会の為、自分自身の為……ダレノタメ?働いた事のない私にはよくわからないけれど、お父さんが私たち家族の為に頑張ってくれている姿はたくさん知ってるよ。これから休日はあの見送りの日課を再開しようかな。無理せずにいってらっしゃい、お父さん。さて、私は将来、何の為に働くのだろう。昔に比べて近年、生涯を通して働く女性が増えてきた。男女雇用機会均等法などが成立し、女性の活躍する場が作られてきたことが大きく影響しているのだろう。しかし未だに男性主体であることは否めない。つい先日も新聞に「同期で同じ事務職、仕事量も同じなのに、男性の方が給料は多いし、昇進の機会も与えられている。」という女性の嘆きが掲載されていた。しかしそんな社会であろうとも、「女性」を言い訳にせず、自分の力を発揮して頑張っている女性達がいる。私の母やその知り合いがそうである。私の目から見て彼女達はとても格好よい。社会の中で自分という「一人の人間」を確立させている。これこそが働くということに違いない。ここで私の母について少し話そう。母は保健所の保健総務課に勤めている。女性は多い職場だが、やはり上役は男性が占めている。朝8時から夕方5時までの勤務だが、仕事が多い為毎日のように残業をし、帰ってくるのは夜8時を過ぎていることが多い。疲労を顔ににじませ帰宅する母、しかしその目の奥には常に生き沖縄県立具志川高等学校(沖縄県)平川彩乃さん仮面の女沖縄県匿名希望障害をのり越えて働く、ということ?テーマ?2北陸高等学校(福井県)波綾乃さん選ばれし者光ヶ丘女子高等学校(愛知県)高木早紀さん縁側から”いってらっしゃい“立命館高等学校(京都府)清原亜祐実さん一人の人間として働く13