17歳からのメッセージReport2005

17歳からのメッセージReport2005 page 24/44

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17歳からのメッセージReport2005

とにかく笑えれば、最後に笑えれば、情けない帰り道ワハハと笑えれば……笑えれば。歌手のウルフルズの歌だ。今でこそ大好きな曲の一つだが、昔の私なら意味も理解できなかっただろう。私には姉がいる。二歳年上で、私は彼女に何かで勝てた試しがない。頭も良く、器用で、自分の考えをしっかりともつ姉に、私は勝てない。強いてあげるなら、せいぜい作り笑顔、とでも言うのだろうか。私は昔から作り笑顔だけは上手に作れた。ニコニコ笑っていれば、皆優しくしてくれる。笑っていれば友達もできた。そうやってムリヤリ笑顔を作れば、笑う事が嫌いになるのは当然だ。男子のくだらない下ネタに付き合って笑い、女子のくだらない恋愛話を微笑みながら聴いて、いつからか、無意識に笑顔を作っていた。そんな自分に気付いて、私は私自身が嫌いになった。そんな私を変えたのは友達だった。その友達は、私のこの作り笑顔が好きだと言ってくれた。自分も笑顔になれると。その言葉は、私に、本当の笑顔を与えてくれた。私は今、本当の笑顔を持っている。作り笑顔という姉に勝てる項目は失くしたが、大切な友達はできた。私は友達と、友達のために、笑いたい。他に何もいらない。ただ笑って生きたい。何があってもとにかく最後に笑えれば。ときどき思う。毎日機械的に朝起き学校へ行く。机に向かう、帰宅して宿題をする。俺は何か見えないモノに管理されてるんじゃないかって。そんな時、俺は一体自分が何なのか解らなくなる。俺が生きる意義なんて、ブタと一緒なんじゃないかって―。ときどき思う。モラルとか体面とかが、全部俺に倒れかかってきてるんじゃないかって。自分が何なのか解らない俺は、片手でそれら全部を支えている状態。最近解ったんだ。俺みたいなことを考えてるやつは山ほどいるんだって。俺はその他大勢の内の一人なんだって。世の中病んでるんだ、そこら中でウイルスが充満してる。そのウイルスは人間の中枢神経まで侵蝕してきて、大勢のウェンディ達をネバーランドへ連れていく。俺は周りが思ってるほど素直じゃない。アプローチ次第ではとげとげしい態度をとるぜ。別に俺はグレてやろうとは思ってないが、それしかできないんだ、それが俺なんだから。周りが俺にどんなレッテルを貼ろうと、きっとそれが俺なんだろう、もしそれが間違ったレッテルだとしたら、一体俺は何者だってことになるからな。毎日みんなが俺のことを勝手に決め付けてる、解らないがそれが俺なんだ。今まで、当たり前だと思っていた事が、おかしいと思えた瞬間、それは、今年の春休みに学校から語学研修として、カナダに三週間滞在している間に経験した。滞在期間中は、ホームステイをしていたのだが、ある日、ホストファミリーの意見をインタビューして聞いてきなさい、という宿題が出された。早速家に帰ってホストファザーとホストマザーにインタビューをした。しかし、二人の意見が対立して、ものすごい討論が始まってしまった。私は、どうする事もできずに、ただ二人の様子を心配しながら、ずっと見ていた。そして、数分後、激しい討論は収まった。しかし、私は、二人が言い争った後だったので、インタビューを続け辛くなり、しばらく止まっていた。すると、二人は、すっかり元通り仲良く「しほ、次は何?」と聞いた。私は、二人が討論している、イコール喧嘩をしていると思っていたが、後からホストマザーは、二人で討論する事は、とても楽しい事だと教えてくれた。その瞬間、私の考えは変わった。討論する事は、お互いの意見を知る事のできるすばらしい事なのだ。今までは、喧嘩になるから、後で具合が悪くなるから、と避けてきたけれど、そういう考えを持っている日本人は、おかしいと思った。日本人の概念にとらわれない二人の言動は、私に新たな疑問をもたらした。今まで当たり前だと思っていた事に疑問を持った瞬間だ。これからは、何も恐れずに、討論を楽しんでいこうと思う。私のチャームポイントは目だ。祖父からの遺伝だと思う。私は祖父が大好きだ。祖父はとても頑固だけれど誰からも愛され、親しまれていた。祖父は皆の誇りだ。強く、たくましく、かっこいい。祖父の目は、カエルのように大きく、家族で「おじいちゃんはカエル1号や」と笑っていた。祖母にはとても亭主関白だったが、私たち孫は一度も叱られたことがなく、優しくて温かかった。しかし祖父は去年の11月に亡くなった。享年68歳だった。あんなにたくましく強い祖父がガンに負けた。医師から余命2ヶ月という宣告。私は、亡くなる当日まで、ガンだった事も余命2ヶ月だったことも知らなかった。見舞いに行くにつれて、私は筋肉が落ちて、やせて弱っていく祖父を見るのが辛かった。帰りの車の中で必ず泣いた。そのうち私は病院に行かなくなった。私は祖父から逃げていた。会っても笑ってあげられない。でも、今思えば、もっと祖父のそばにいて手を握ったりしたかった。私にもできることは何かあったはずだ。今もふと、考える。祖父が亡くなって7ヶ月。私は今でも祖父の元気な姿を願わない日はない。きっとどこかで生きている。カエル1号が死ぬはずがない。またカブに乗っている、左官の仕事をしているおじいちゃんが見たい。祖父の死で、命の尊さを学んだ。私は祖父ゆずりのでかい目で、これからも色々なものを見て、そして学んでいきたい。中三までの私は、みんなと同じカバン…服…アクセサリ…考え……何もかも同じ物を持っていたかった。というより、持たなければいけないと思っていた。そんな中三のある日、ある歌手に出会った。その人達の歌にはいつも「オレらはスーパーオリジナル!!。」など入っている。スーパーオリジナルとは「自分は誰でもない。他人と同じ事をする必要はない、自分のやり方で自己主張すること。」という意味だと私は解釈している。私はそんな彼らの歌を聴いて、「スーパーオリジナルってカッコイイ!!。」と思い始め、その時から人のマネ事のような事はやめて、自分らしいスーパーオリジナルな生き方をしているつもりである。今は人と同じ事をするのは好きではないけど、「人のマネをしたい時期なんて誰にでもある。」そんな風に思うと中三までのスーパーオリジナルじゃなかった頃の自分もすごくなつかしく感じたりもする。17歳からのメッセージ?受賞作品集??奨励賞?奨励賞75点?今までの自分、これからの自分?テーマ?1藤枝順心高等学校(静岡県)戸尾実紗さん笑えれば高田高等学校(三重県)堅田信明さんthe real identityセントヨゼフ女子学園高等学校(三重県)殿畑志帆さんカナダをとおして自国を学ぶ守山市立守山女子高等学校(滋賀県)中西恵理香さんありがとうカエル1号近江兄弟社高等学校(滋賀県)西川友美さんスーパーオリジナル22