17歳からのメッセージReport2005

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17歳からのメッセージReport2005

17歳からのメッセージ?受賞作品集??奨励賞?はある。嫌な色であれば自分で何とかして絵の具を付けたす事ができる。今でも私の中で様々な色がまじっていく。自分という存在を考えた時、世界の存在を考えた。舞踏家や学生としての世界、記憶の中に広がる世界、大切な人達との世界。どれも今、自分という存在を証明する上で欠かせない世界だ。つまり「私」はこれら様々な「世界」を組み合わせた「世界」を抱えて生きている。人はこれをアイデンティティと呼ぶのだろうか。この17年間、私は世界を求め、集め、構築している。そうした世界を他人と干渉、共有し合いながら生きている。それはさながら「ヤマアラシのジレンマ」の様である。しかし、世界はただ積み上げていくだけでは創り得ない。故に、新しい世界を手にする際、それまでの世界を失わなくてはいけない時がある。人はヤマアラシの針よりも複雑な世界を抱き、求めるからだ。例えば、身近な人との別れや自分とは真逆の世界を理解しようとする時などだ。傷付くだけでは掴めない。でも、求めずにいられない。けれど、この手には収まりきらない。だから自ら壊す必要がある。構築の為の崩壊。この一見矛盾した輪廻の中で、人は世界同士の距離を測り、自らの世界を深めつつ、その確立を目指しているのだ。これからも私は、自分の世界の破壊と構築を繰り返していくだろう。そしていつかその世界を愛せた時に、本当の意味で他人の世界を愛せる気がする。その時、この沢山の矛盾を孕んだ世界をも愛せるのだと思う。そうなる様これから生きていきたい。私は負けず嫌いだ。何事に対しても「負けたくない。」という気持ちが働き、そのためならどんなに辛いことでも(言い方はおかしいかもしれないが。)好んで出来る。その後にある負けなかった時の喜びは大変気分が良いものであり、また、万が一負けてしまったとしても、「今まで十分頑張れた。」ということで、どっちにしろ良い結果になったのだ。私は今まで自分の「負けず嫌い。」な性格を良いものだと思ってきた。だが、それだけではいけないと最近思い始めたのだ。高校生になった今、勉強についていくだけに必死で、他の事になかなか手をつけられない状態の私がいる。そんな私を、負けず嫌いの性格が狂わせるのだ。今やらなければいけないことが沢山あるのに、負けたくない人への挑戦・闘志が私の中で膨らむのだ。もちろんそれによってやる気は出来る。だが、今やるべき事をおろそかにしてまで行うべき事なのだろうか。私はそこに疑問を感じたのだ。今までの私は人と比べてどうだのこうだのとしか言っていなかった。結局「私」というものにきっちり目を向けられてなかったのだ。一番大切なのは、私と人を比べてどうだ。という事ではなく、私と「前の私」を比べてどうだ。という事なのだ。今更こんな事に気付いたのか。と笑う人もいるだろう。だが、今更でも私はこの事を理解することが出来て本当に良かったと思う。これからは人と比べるのではなく、「私」と「私」を見つめていきたい。それは、二〇〇二年二月――。およそ四ヵ月後に迫った、史上初の日韓共同開催のワールドカップに周りが沸いていた時だった。日韓共同開催。その言葉が何故かひっかかる。ひっかかるというよりは、すごく嫌だと思っていた。今考えてみると、どうしてそんな考え方をしていたのかと思うくらい、私の韓国に対する考えは、どこか馬鹿にしたところがあった。小学校で歴史を習い、私は初めて日本が韓国を支配していたことを知った。その時、韓国という国は弱い国なんだと思ったのを、今でも覚えている。ただ昔、日本が支配していたからという理由で、弱い国だと思い込んでいた。そんな時、一つのドラマを見た。それが、二〇〇二年二月にあった、日韓共同制作ドラマだ。最初はなんとなく見ていただけだった。でも、だんだんとストーリーに引き込まれていった。それに、ドラマの中の韓国は、日本と違うところなどなかった。私が韓国に興味を持ったのはその頃からだ。一年程、独学で韓国語も勉強した。韓国へも行き、現地の人とも話をして、韓国人の情にもろいところや、親切なところが好きになった。自分が嫌だと思い込んでいる物に少しでも興味を持てば、だんだんと差別や偏見はなくなるだろう。今までの自分の勝手な思い込みだけで判断するようなことはしない、そんな人になりたい。今までの自分について、一番記憶に残っている中学校二年生の時に的をしぼって、振り返ってみたいと思います。何故、この中学二年生という時期を選んだのかというと唯一、私が積極的になれたなぁと思う時だったからです。文化祭が近付き二年生は、展示か舞台での劇発表のどちらかを行う事になり、私は劇を選びました。人前での発表など、すごく緊張してしまうので、最初は裏方の仕事をしようと思っていました。しかし、未だに分からないのですが、役決めの時に手を挙げている自分がいたのです。阪神大震災を元にした話で、演じることになった役は何事にも立ち向かっていく強さを持っている女の子でした。自分の性格とのギャップに悩み、一度は変わってもらおうかと思った時もありましたが、夜遅くまでみんなと練習していく内に頑張ろうと思える様になり、本番も成功する事ができました。積極的に物事に取り組む事、最後まであきらめずに一つの事をやり遂げる大切さと達成感を教えてくれたこの出来事は、私の人生の中できっと何かの糧になるのではないかと思います。だから、これからもこの気持ちを忘れず、壁にぶつかり立ち止まりそうになった時にも、思い出して物事に前向きに取り組んでいける自分になりたいと思っています。七年前、僕は日本にやって来た。当時九歳で、まだ幼かった。自分が何故日本に来たのかもわからなかった。僕にとって日本とは見知らぬ世界のようなものだった。言葉もわからないまま毎日学校に通っていた。日本語を教えてくださる先生が一ヶ月に5回ぐらい学校にきて、日本語を四十五分間学んであとは自分で家に帰って勉強するだけだった。日本に来る前までは勉強なんて大嫌いだった。でも、日本語を勉強しているうちに楽しくなって、他の外国語も日本語のように覚えられたら楽しいし将来のためにもなると思って、僕は九歳の時から通訳者になりたいと思って今まで頑張ってきた。知りあいや家族の通訳をやってきて、通訳者は人を助けることができるのに気づいて、益々通訳者になりたいと思うようになった。でも、通訳者になるのは決して簡単なことではないということを知った。一般の通訳者になるには少なくとも四ヶ国語は普通に話さないといけないということ。通訳には、いろんな分野があること、同時通訳や会議通訳のようにたくさん種類があるということ。それに通訳の分野によって収入などはとんでもなく違うところもある。一般に通訳というと簡単にきこえるが、本当はとても複雑だ。でも僕はこれからも頑張っていくつもりだ。日本につれてきてくれた親に感謝している。日本に来れたおかげで、僕の人生に大きな「目標」を得ることができたから。城星学園高等学校(大阪府)青田眞由子さん環――世界から世界、そして世界へ大阪女学院高等学校(大阪府)鈴木沙季さん変わるわたし大阪府匿名希望今までの自分、これからの自分大阪府立茨木東高等学校(大阪府)高村麻衣さん無題大阪府立八尾翠翔高等学校(大阪府)ピニロスデレクさん目標24