17歳からのメッセージReport2005

17歳からのメッセージReport2005 page 28/44

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17歳からのメッセージReport2005

17歳からのメッセージ?受賞作品集??奨励賞?今年の春まで、私は中学生だった。中学生の頃は、午前中は家でだらだらしていて、午後に学校に行っていた。そうしても母は何も言わなかった。私は、母も若い頃私のような生活をしていたから、怒れないのだと思っていた。そして、何も言われないのをいいことに、好き勝手をしていた。高校に入ってから、今はちゃんと学校へ遅刻もしないで通っている。新しい世界に入ったから、ちょっとはやる気を出してみようと考えたからだ。通い始めると、学校は結構楽しい所で、授業もそんなに苦にならない。ところで最近、母が私の生活に、やたら口を挟みだした。「早よ行け」「終わったら早よ帰ってこい」「人に迷惑かけんな」中学の頃は何も言わなかったのに、どうして今頃になってうるさく言うんだろう?最近やっと母の気持ちが分かってきた。女手一つで私を育ててきた母は、きっと言うのが怖かったんだろう。そして、私が自分から気がつくのをじっと我慢してきたんだろう。本当は心配してたのに、じっと耐えてたんだろう。私が反発して、もっとひどくなるのが怖かったんだろう。高校生になった今、母の言うことも素直に聞けるようになってきた。これからは母に何も言われなくても、人には迷惑をかけない人間になってやろうと思っている。「痛っ。」私はこの間久しぶりに石ころにつまずき、派手に転んでしまった。ヒザからはじんわりと血がにじみ出ていた。”なんでこんなところに石ころがあるんだ!“と、私は無性に腹が立って、心の中で石に当たっていた。でも、よく考えてみれば石はたまたま偶然そこに落ちていただけで、悪いのは自分の不注意いわゆる気のゆるみである。長い間つまずいてこけるなんてあまりなかったから、いつの間にか歩く時に気のゆるみが出てきてしまっていたのだ。それは『道を歩く』時に限らず、『人生みちを歩く』時にも同じことが言える。昔はよくちょっとしたことでもすごく落ち込んで、これからは二度と同じことがないようにしようと気をつけていたが、ここ最近の自分はどうだろう?ちょっとしたことでは気にとめることもなく、大切な何かまで見落としてしまっているぐらいだ。たまには石につまずいて思いっきり転んで、気のゆるみをひきしめて、そして大切な何かを落としてはいないか見直すのもいいと思う。あの日の石ころは私をつまずかせて『気をひきしめろ!』としかってくれたのだろうなぁ。「ねぇ、ちゃんと自分の人生みちを見直せてる?」その日の朝はやけに暑かった。あまりの寝苦しさに目を覚ますと直ぐに時間を確認した。五時十分、下手したらクラスで一番の早起きではないだろうか。起き上がってグッと伸びをした。ポキポキと背骨が大きな音で鳴った。「運動しなきゃなぁ」思わず口にした。外へ出てみると、パステルブルーの世界がそこにあった。朝焼けなんて見るのは一年ぶりくらいだった。フワッとやわらかい風がふいた、妙な心地よさに懐かしさを感じた。朝と夏が混じったにおいは、太陽のにおいよりも優しく、気持ちいい。自分が夏を好きなのは、このにおいのせいかもしれない。その時初めて自分が、去年の事を懐かしく思っている事に気付いた。以前のことを懐かしく思っているのは、自分が成長している証拠だ。短いような時の中でも、時間はちゃんと正確に動いているようだ。日が明るさを滲み出し始めた。手を太陽に伸ばす。昔は太陽に透けてしまうほど小さく細い掌は、逞しく厚くなっていた。蝉が鳴き始め、景色は徐々に朝の景色に変わっていく。そんな中、僕は大きくなった自分の掌を見つめ、あの太陽よりも、もっと眩しい光明を、いつかこの手に握りしめる。そんな予感を感じていた。ある夏の一日。私には独り暮らしの祖母がいます。今はもうあまり会いに行けなくなったけれど、私が幼い頃はよくお世話になっていたそうです。でも記憶に残っている思い出は数えるほどしかありません。一番鮮明に覚えているのは、雪の降った朝、私が風邪をひかぬようにと祖母がバケツ一杯に雪を集め、玄関で楽しみに待っている私のところまで運んできてくれたことです。その時に作った南天の赤い目をした雪うさぎははっきりと思い出せます。遊びに行った時は、祖母はいつも私の幼い頃の話を懐かしそうに話します。「あの頃は私も若かったねぇ。よく瞳と散歩しよったねぇ。今の私じゃ無理だもんねぇ。…瞳の花嫁姿が見られるまで生きてるといいけどねぇ。」「何言いよっと。長生きするって!」と、周りにいる私たちは明るく返すけれど、私はこの言葉を聞く度に、いつも目の前が涙でぼやけます。「瞳はもう覚えとらんやろうねぇ。」と笑いながら、でも少し悲しそうに私に言う祖母を見るといつも、幼い頃一番長く一緒にいたはずなのに、どうして忘れてしまったんだろうと悔しい気持ちになります。…ごめんね、おばあちゃん。記憶はなくても、祖母と過ごした日々はきっと私の心の中で生きています。祖母からの電話の最後に付く「体に気をつけて頑張りんしゃいよ」という言葉に後押しされ、私は今日も始めの一歩を踏み出します。私は本当に心から尊敬している人がいる。それは女手一つで私を育ててくれた母だ。私が産まれる一週間前に母は初めての子供、私の兄を亡くした。私の兄はガンだった。4才の兄は幼い小さな体で必死に病と闘った。その姿を隣で見ていた母。それは母親として耐えられない光景だったはずだ。母は息子を亡くし、出産一週間後をむかえてた状況の中自殺も考えていたそうだ。正直私を産むどころではなかっただろう。だけど母は私を産んでくれた。それなのに私は母を小学校、中学校今でもそうだと思うけど困らせてきた。中学校の頃私が帰りが遅くなると母は心配してケータイに電話を入れてきた。正直煩わしくて私は母からの電話を切った。家に帰ると母とはケンカ。本当に「こんな母親は嫌だ」と思い、母にその言葉をぶつけた。その時初めて母の涙を見た。胸がギューとしめつけられた。部屋に戻ると私は自分で言った言葉をすごく後悔し、私も涙が出てきた。絶望の中で自分を見失いそうになりながらも、なんとか必死に生き、そして私を産んでくれた母に対して私は決して言ってはならぬ事を言ってしまったのだ。母のことが本当は大好きで、心から尊敬しているのに、いつも傷つけてばかりだ。そんな自分に腹が立った。母が自分を取り戻すために闘ったように、私も自分自身に対して素直になれるよう自分としっかり向き合っていきたいと思う。和歌山県立和歌山第二工業高等学校(和歌山県)大橋雄平さん「今までの自分・これからの自分」開智高等学校(和歌山県)和田真那実さん「石ころ」広島県立尾道商業高等学校(広島県)竹國正洋さん「Further light」久留米信愛女学院高等学校(福岡県)津留瞳さん思い出と共に西日本短期大学附属高等学校(福岡県)早水祥子さん母の背中26